TRADITION

〈紫式部〉
日本の女流文学の創世期を作った人物
百人一首の女流歌人図鑑

2024.5.28
〈紫式部〉<br>日本の女流文学の創世期を作った人物<br><small>百人一首の女流歌人図鑑</small>

日本の美しい原風景や歌人たちの心を感じられ、古典を気軽に楽しめるツールでもある百人一首。平安を中心にこの時代の日本文学界は女性の活躍が目覚ましく、百人一首には21人の女流歌人が選ばれている。

NHK大河ドラマ『光る君へ』の主役であり、日本の女流文学の創世期を作った人物・紫式部。千年以上たってなお人々を魅了する作品をものした彼女は、百人一首にその歌を選ばれる和歌の名手でもあった。あらためて知っておきたい紫式部の人物像や作品、ゆかりの地をひも解こう。

雲かくれしてしまったのは恋人ではなく…?

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな

百人一首に選ばれた紫式部の歌だ
やっとめぐり逢い、見たけれどそれが月かどうかもわからない間に、雲に隠れてしまった夜半の月よ、というのが歌の意味で、背景を知らずにこの歌だけを鑑賞すれば、すれ違う恋人のこととも受け取れる内容だが、これ実は女友達とのエピソードを詠んだ歌なのだ。

もともとこの歌は『新古今集』に収められており、その詞書(※その歌を詠んだときのエピソードなどが、歌に添えられている)には「はやくより童友達に侍りける人の、年ごろ経て行きあひたる、ほのかにて、七月十日のころ、月にきほいて侍りければ」と書かれており、古い幼馴染で久しく合わなかった人が、7月10日ごろ、月に競うようにして帰ってしまったので、その時の気持ちを歌にしたというものだ。

ちなみに『新古今集』ではおしまいを「夜半の月影」としたものが収録されているが、彼女自身が自作の歌を選んで集めた『紫式部集』では「夜半の月かな」となっており、百人一首は『紫式部集』の形を採用している。

紫式部は教育界のサラブレッド

紫式部日記絵巻断簡

紫式部の父・藤原為時も詩人だが、彼は和歌ではなくジャンル違いの漢詩を詠む漢詩人だった。日本では長い間公式文書は漢文で書く(※時代が下るにつれて、中国で用いられている漢文そのものではなく、漢文の体裁をした文体へと変化していく)習慣があり、平安時代の貴族男子にとって漢文に精通していることは、宮廷に出仕するための最低条件。さらにその漢文で詩を読むとなると、相当高い教養の持ち主ということになる。紫式部は、兄である惟規を相手に父が漢文などを教えているのをそばで聞いて、兄よりも早くそれを覚えて使いこなすという才能を見せ、父に「この子が男だったら(世に出て立派な活躍をするだろうに)」と嘆いたと言われる。

紫式部日記絵巻(模本)

この為時の父であり、紫式部の祖父の藤原兼輔は、優れた和歌を多く残した人物で、土佐日記で有名な紀貫之らも参加する文化サロンを自宅で開くなど、当時の歌壇を牽引する歌人の一人だった。ちなみに祖父の歌は「みかの原 わきて流るる泉川 いつ見きとてか 恋しかるらむ」で、いつ好きになったのかもわからないのに、湧き流れる川のようにあなたが恋しいのはなぜだろうという、恋心を歌っている。なおこの歌の「いつ見きとてか」は「まだ会ったことがない」という意味だとする説と、「ほんのわずか会っただけ」という意味だとする説があるなど、解釈は一つに定まらない。

学校教育のない時代、貴族の子弟はよい学者を自分の子につけて、教養を身に着けさせるのが常であり、紫式部も優秀な家庭教師的役割を期待されて、宮中に出仕することになるわけだが、一流の歌人の祖父、さらに漢学者の父を持つ紫式部は、まさに教育界のサラブレッド的存在だった。

源氏物語図扇面(空蝉)

紫式部=源氏物語というイメージが強いが、紫式部が残したのは小説だけでなく、自分が仕えた中宮彰子の出産などを記録した日記「紫式部日記」や、前述の家集「紫式部集」もあり、文学全般に秀でた才能を発揮した女流作家だった。現代まで名が残る同時代の才媛には清少納言らがいるが、マンガや舞台、映画にもなるほどの人気作「源氏物語」の生みの親である紫式部は、平安時代の女性の中でもピカイチの注目人物と言ってよいだろう。

紫式部のゆかりの地
京都・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)

「古都京都の文化財」のひとつとして世界文化遺産にも登録されている神社。賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)を正式名とし、上賀茂神社や上社(かみしゃ)の名で親しまれている。神代に賀茂別雷大神が降臨したと伝わり、677年に賀茂神宮が造営され現在の社殿の礎が構築された。

紫式部が参拝に訪れたと言われる片岡社

上賀茂神社には境内外に24の摂末社を有し、そのひとつに縁結びの神様として尊崇を集める片岡社こと片山御子神社がある。紫式部は恋愛成就を願い、片岡社を参拝し、そのときに詠んだ恋の歌が、いまも昔も変わらない好きな人を想う気持ちを伝えている。

ほととぎす 声まつほどは片岡のもりのしずくに たちやぬれまし

「ほととぎす」とは紫式部が想いを寄せる男性を表し、「あなたが現れるまで、私はいつまでも待っています」という恋心を詠んだ歌だと解釈されている。

読了ライン

紫式部の姿が描かれた片岡社縁結び絵馬

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
住所|京都府京都市北区上賀茂本山339
Tel|075-781-0011
https://www.kamigamojinja.jp

ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)
大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。

百人一首の女流歌人図鑑

紫式部

小野小町

清少納言

photo=ColBase、上賀茂神社
参考文献=百人一首を知りたい(枻出版社)、こんなに面白かった「百人一首」(PHP文庫)、紫式部と源氏物語ゆかりの地をめぐる(東京ニュース通信社)、図説 百人一首(河出書房新社)、百人一首 解剖図巻(エクスナレッジ)、百人一首(全)_角川ソフィア文庫

京都のオススメ記事

関連するテーマの人気記事