TRADITION

〈和泉式部〉
メロドラマ顔負けのエピソードをもつ恋愛体質女子?!
百人一首の女流歌人図鑑

2024.8.11
〈和泉式部〉<br>メロドラマ顔負けのエピソードをもつ恋愛体質女子?! <br><small>百人一首の女流歌人図鑑</small>

日本の美しい原風景や歌人たちの心を感じられ、古典を気軽に楽しめるツールでもある百人一首。平安を中心にこの時代の日本文学界は女性の活躍が目覚ましく、百人一首には21人の女流歌人が選ばれている。

日本の女流歌人には、恋に奔放な女性が多い。そもそも女が何かを表現する機会が少ない中で、表現者として名を成してきた女性は、才能もさることながら、自分らしく生きたいという思いを、表に出す強さを持っているのだろう。
その道のファーストランナーとも言うべきなのが和泉式部だ。あの藤原道長に「ちょっと恋に生きすぎだろ」と言われたほどの恋愛体質。その思いを多くの歌に詠んで残した。

夫ある身で不倫…
離婚と勘当にもくじけず恋に生きる

五十六番 和泉式部 (百人一首絵抄)

和泉式部は藤原道長の娘である彰子に仕えた女房の一人で、父の大江雅致が式部省という役職についており、最初の夫である橘道貞が和泉守という役職についていたことから、両方の役職の名をとって和泉式部と呼ばれた。この橘道貞との結婚は和泉式部が20歳前後のことで、二人の間には小式部内侍という娘がいる。小式部内侍も、のちに歌人としての才能を開花させ、彼女が詠んだ歌も百人一首に入っている。

人妻となった和泉式部は、冷泉天皇の子どもである為尊親王と出会い恋仲に。人妻と年下の王子の恋愛はやがて多くの人が知るところとなり、和泉式部は夫からは離婚を言い渡され、父からは勘当されてしまう。

身内に見放されても、和泉式部は為尊親王との恋に生きた。だが彼は2年後に亡くなってしまう。悲しみに暮れる和泉式部に、為尊親王の弟である敦道親王が花を送ってきた……というところから、『和泉式部日記』が始まる。そこに描かれるのは、和歌のやり取りを通して恋を深めていく和泉式部と敦道親王。とうとう敦道親王は自分の館に和泉式部を住まわせるようになり、怒った正妻が敦道親王の館を出て行ってしまうという、メロドラマ顔負けの騒動まで起こす。だがこの敦道親王も四年ほどで亡くなり、『和泉式部日記』は正妻が館を出たあたりまでで終わっている。

貴公子を落とした和歌の才能を買われて宮廷に出仕

和泉式部像

身分の高い若い男性を2人も恋人に持った和泉式部を、藤原道長は「浮かれ女」(恋の楽しみばかり追いかけている女性)という風に、揶揄したと言われているが、彼女の和歌の才能には一目も二目も置いていたようで、自分の娘の彰子に仕えるように和泉式部に依頼する。天皇の寵愛を巡って強力なライバルがいる娘にとって、次々と貴公子たちを和歌で落としてきた和泉式部は、強力な助っ人になると考えたのだろう。「夫がいながら若い男と不倫するなんて!」という非難よりも、「あの人は凄腕の貴公子キラー」という才能を買った、道長の能力主義がうかがえる。

宮廷に出仕するようになった和泉式部は、やがて藤原保昌と二度目の結婚。夫の任地である丹後の国へ同道して宮廷を去った。

死の床でつれなき恋人に会いたいと願う

観音霊験記 西国巡礼第一番紀州那智山 和泉式部 (観音霊験記 西国巡礼)

百人一首に選ばれた和泉式部の歌は、
あらざらむ この世のほかの思い出に 今一度の逢ふこともがな
というもので、後拾遺集に「心地例ならず侍りける頃、人のもとにつかはしける」という説明とともに収められている。

心地例ならずというのは、気分(体の具合)がいつも通りでない、良くないという意味で、病にかかっているときに、ある人(恋人)に贈ったということだろう。もうすぐ私はこの世からいなくなるだろう。あの世への思い出に、せめて今一度あなたに逢いたい……と詠んだこの歌が、誰にあてたものかは定かではない。恋に落ちたら周囲のことなどお構いなしに突き進み、花から花へ飛び移るように新しい恋を楽しんできた和泉式部にも、こんな風に、病んで心細いときに逢いに来てくれないような不実な男に、すがるような思いを詠まなければならない時があったのだろうか。

和泉式部ゆかりの地
和泉式部公園

和泉式部は佐賀県杵島の生まれで、9歳まで塩田郷の大黒丸という夫婦の元で育ったといわれている。「ふるさとに帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」という和泉式部の歌に感動した天皇が、彼女の恩人である大黒丸夫婦に五町歩の田を贈ったことから生まれた「五町田」という地名など、現在の佐賀県嬉野市塩田町には和泉式部にまつわる地名や伝説が残っている。

和泉式部公園がある佐賀県嬉野市にはロマンあふれる伝説が数多く残る

彼女が人生の大半を過ごした京都にも、彼女が不仲になった夫との復縁を願った貴船神社や、初代住職となった誠心院など、和泉式部ゆかりの地は多く、恋愛成就を願う人々にとってのパワースポットとして知られている。

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和泉式部公園
住所|佐賀県嬉野市塩田町大字五町田甲4003
アクセス|車:長崎自動車道武雄北方インターチェンジから車で20分/電車:JR長崎本線肥前鹿島駅から祐徳バス武雄温泉行き乗車。五町田バス停下車徒歩10分
Tel|0954-27-7020(嬉野市 新幹線・まちづくり課)

ライタープロフィール
湊屋一子(みなとや・いちこ)
大概カイケツ Bricoleur。あえて専門を持たず、ジャンルをまたいで仕事をする執筆者。趣味が高じた落語戯作者であり、江戸庶民文化には特に詳しい。「知らない」とめったに言わない、横町のご隠居的キャラクター。

photo=嬉野市、国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献=こんなに面白かった「百人一首」(PHP文庫)、百人一首 解剖図巻(エクスナレッジ)、百人一首(全)(角川ソフィア文庫)、図説 百人一首(河出書房新社)、百人一首を知りたい(枻出版社)、嬉野市ウェブサイト

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