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北海道余市《ドメーヌ・タカヒコ》
余市そして日本ワインを牽引するワイナリー

2023.12.21
北海道余市《ドメーヌ・タカヒコ》<br>余市そして日本ワインを牽引するワイナリー

北海道・余市のテロワールをワインに表現した「ドメーヌ・タカヒコ」のワインは、日本のワインシーンに革命をもたらした。そしていま、ドメーヌ・タカヒコの曽我貴彦さんがワインを通して考える地域社会の継続とは?

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ワイン産地・余市を未来に残したい。

フラッグシップ・ワインのナナツモリ ピノ・ノワール。独特の旨みをもちグラスの中でからみ合った糸がほどけるように香りが開く

余市のワインシーンを牽引しているのが「ドメーヌ・タカヒコ」の曽我貴彦さん。余市とのかかわりは2002年からだった。上質なブドウを求め、余市のブドウ農家と契約栽培をはじめた栃木県足利市「ココ・ファーム・ワイナリー」の農場長として、余市を定期的に訪ね、栽培管理にあたっていた。

独立を視野に入れていた曽我さん、契約農家第1号の「木村農園」のピノ・ノワールの素晴らしさに、冷涼な余市にワイン産地としての大きな可能性を見出した。2009年には余市に移住。翌年、果樹農家を引き継ぎ、「ドメーヌ・タカヒコ」を起こした。まずは果樹園をブドウ畑へと変え、ピノ・ノワールを植えた。畑名は7品種の果樹が植えられていた果樹園の歴史と宮沢賢治の童話に登場する七ツ森にかけ「ナナツモリ」とした。自園が成園化するまで、木村農園や、農家資格を得るための研修を受けた「中井観光農園」からブドウを得てワインを造った。

余市の新しいビュー・ポイント、ナナツモリの展望台

世界のワインを知る曽我さんは、雨の多い日本でワインを造る意味を考えた。行き着いたのがほかにはない、雨も含め余市・登のテロワールを反映した日本の食に合うワインだった。風や雨にさらされ、雪が積もり、草が生え枯れていく、四季の繰り返しが育んだ微生物層の豊かなナナツモリのテロワールを守り、増幅させ、ワインに詰め込むため有機栽培を実践する。

醸造所ではできるだけ人為を介在させないようにしている。ブドウについた多様な酵母が働けるように房ごと樹脂製のキューブ・タンクへ入れ発酵させる。野生酵母の働きを阻害する亜硫酸も培養酵母も添加しない。1カ月、年によっては50日ほどかけて醸し、樽へと移す。約1年樽に寝かせボトリング、収穫の翌々年春にリリースする。

除梗破砕をしない全房仕込みが基本。収穫コンテナから直接樹脂製キューブ・タンクにブドウを投げ込む

ドメーヌ・タカヒコのワインを象徴する言葉が旨みだ。水に恵まれた冷涼な余市のテロワールが育んだピノ・ノワールは果実味とタンニンは控えめで、昆布や鰹節で取った出汁と同じ旨みをもつ。果実の繊細な味わいを支え、心地よく後味に残る旨み。旨みの共通項をもつ和食と響き合う。

ドメーヌ・タカヒコの登場後、ワイン産地として余市は広く知られるようになり、ワイナリー創業が続く。その中には曽我さんの下で研修した門下生のワイナリーも少なくない。それでも町外に出ていくブドウが多く、曽我さんは栽培農家にワイナリー創業を促す。その第1号が「ドメーヌ・ミズキ ナカイ」だ。

研修生の高松亨さんは日本人初のマスターソムリエ。海外からの訪問客の案内係も務め日本ワインの輸出業務にも携わる

入手困難なワインを町内の飲食店に優先して提供し、余市町のふるさと納税にも参加。それもこれも自分の子どもたちの故郷となった余市をワイン産地として未来に残したいからだ。優れたワインの造り手・曽我さんは、名地域プロデューサーの面もあるのだ。

読了ライン

春以降の週末、ナナツモリの展望台では元パティシエのスタッフ土屋祐子さんがナナツモリのオリを使ったショコラ・ド・オーリを販売予定

 

ドメーヌ・タカヒコ卒業生のワイナリーも続々!
 
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ドメーヌ・タカヒコ
創業年|2009年
自社畑面積|5ha
自社畑主要栽培品種|ピノ・ノワール
ワイン生産量|2万本
住所|北海道余市郡余市町登町1395
Tel|0135-22-6752
http://takahiko.co.jp/index.html

photo: Kenta Yoshizawa
2024年1月号「ニッポンの酒最前線2024」

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