多彩な表情が魅力のいいオンナ
「於染久松色読販」土手のお六
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑
名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げる作品は、惚れた男のために悪事を働く女性「悪婆」を代表するヒロイン・土手のお六と夫の鬼門の喜兵衛が躍動する「於染久松色読販」です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
歌舞伎には「悪婆」と呼ばれるキャラクター・役どころがあります。婆の字がついていますが、年老いた女性ではありません。はすっぱな悪態をついて相手を震え上がらせたかと思うと、好きな男にはめっぽう一途だったり、おっちょこちょいな一面もあったり、多彩な表情にあふれています。そして、なんといっても、「いいオンナ」です。
長い黒髪を無造作に後ろで束ねて、そのままだらーんと垂らした「馬の尻尾」という髪型が、悪婆のトレードマーク、定番のヘアスタイルです。馬の尻尾……、そうです、英語にすれば、まさに「ポニーテール」。この偶然の一致も、おもしろいですねぇ。
そんな悪婆を代表するといってもいいヒロインが、お六です。鬼門の喜兵衛というワルな男の女房で、この夫婦、江戸の向島で刻みたばこ店を商っています。紙で巻いたたばこがない時代ですから、お客は、たばこ店が包丁で細かく刻んだたばこの葉っぱを、めいめいキセルに詰めて、ふかしていたわけですが……まぁ、その日その日をしのいでいくのがやっとの、しがない稼業です。だから、お六は、針仕事の内職もしています。
というわけで、がっぽり稼ぎたいわけですよ、やっぱり(笑)。そこで夫婦が思いついた悪だくみが、フグにあたった丁稚の死体を、無理矢理、質屋へ持ち込んで、あれこれ言いがかりをつけて大金を強請る、という無茶苦茶なもの。さて、どうなることやら……。
見ていて肩の凝らない、ドタバタコメディ、コント劇、といった趣きの芝居ですね。お六の名誉のために言っておきますと、彼女が大金を欲している本当の理由は、もともと仕えていたお武家への忠義の気持ちゆえなのです。かつて、お六は、立派な奥女中(武家奉公の女性)の召使いでした。そのお家で起きている騒動を静めるのに、まとまったお金が必要なのです。
今回の上演では割愛されますが、この作品、武家のお家騒動を背景に、一人の女形が、老若男女さまざまな登場人物を、七役も、早変わりで演じ分ける、という全体像をもっています。その中のひとつがお六の役なのです。
ほかの六つの役が、着せ替え人形のように、役から役へと目まぐるしく変わるのに比べると、お六の芝居は、喜兵衛との楽しいやりとりを、これでもか、とたっぷり見せるように書かれています。そしてむしろ、お六という一人の女の中に、ずる賢さや、愛らしさや、一途な想いなど、何役にも匹敵するさまざまな個性が息づいているのです。
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
Discover Japan 2021年3月号「ワーケーションが生き方を変える?地域を変える?」