菅原道真の流罪を招いた逢瀬
「菅原伝授手習鑑」桜丸と八重
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑
名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げるのは、菅原道真を主人公に大宰府流罪の悲劇とそれに翻弄される人々の運命を描いた名作狂言「菅原伝授手習鑑」に登場する若き夫婦の桜丸と八重です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
受験シーズンたけなわとなれば、天神さまの神社は大賑わいですね。学問の神さま・菅原道真公が祀られています。
マンネリ・陳腐化していた遣唐使の制度を思いきって廃止するなど、政治の手腕もいろいろと発揮した人物ですが、藤原時平との勢力争いに敗れ、九州の大宰府へと左遷されました。どんな確執やあつれきがあったのか。さまざまな説がありますが、お芝居においては、権力に飢えた時平が、悪質なデマを流して、道真を都から追いやったことになっています。
そのデマとは、道真(お芝居には、菅丞相、という名で登場)が、娘の色仕掛けを用いて天皇家に取り入った、という何とも下品なものですが——火のない処に煙は立たぬ、といっては丞相さまには申し訳ないのですが、まったく根拠のない話ではないんですね。
というのは、丞相の娘・苅屋姫と、時の王子・斎世親王さまが、互いに惹かれ合っていた。やんごとない子息と令嬢同士ですから、デートの場所にも困りますよね。そこで、親王の牛車の牛の世話をしている「舎人役」の桜丸という若者が、女房の八重と手分けして、逢い引きの場をセッティングして差し上げたのです。
うららかな春の日差しの、京都・加茂川の堤に牛車を止めて、その中へお二人を「さぁ、こちらで、ごゆっくりと……」と夫婦でいざないます。親王も娘も大いに感謝して、ともに車の中へ消えると……まあ、当然、ああいうことがはじまります(笑)。
してやったりの桜丸夫婦ですが、彼らだって若い盛りのカップルですからね、牛車の外で待っているうちに、だんだん、コーフンしてきちゃうんですよね(笑)。まさに、愛の連鎖反応♡
ところが、結局この逢い引きが、あだになってしまう。この逢瀬を根拠・証拠に藤原時平は、菅丞相のうわさを悪しざまに広めて、彼を九州へと追放してしまうのです。思わぬところからほころびが生じて、大きな責任問題へと膨らんでいくのです。
作品全体を通じて、菅丞相は、きわめて潔白な人物に描かれています。有能な弟子である武部源蔵という男に、書の道の奥義は伝授しますが、源蔵が色恋に深くはまっていることをよしとせず、奥義は授けつつも、師弟の関係はきっぱりと絶ってしまう。公私のけじめが明白なのです。
ですから、丞相自身も、一切の弁解をせずに、潔く九州へと去っていきます。そういう悲劇の発端となるのが、加茂の堤の牛車の場面なのです。
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2020年3月号 特集『SAKEに恋する5秒前。』