北前船はなぜ儲かった?
海の大動脈・北前船の世界
夢とロマンを運ぶ商人たちに迫る|後編
江戸時代中期から明治30年代まで蝦夷島(北海道)と内地を結んだ北前船。日本の物流と経済を担った大動脈には、船乗りたちの夢とロマンが詰まっていた。北前船が儲かった理由や弁財船の構造に迫る!
取材協力=中西 聡(なかにし さとる)
参考文献:『北前船の近代史―海の豪商たちが遺したもの―』(中西聡著、成山堂書店)、『週刊 新発見!日本の歴史 18号』(朝日新聞出版)、『日本経済の歴史―列島経済史入門―』(中西聡編、名古屋大学出版会)
北前船はなぜ儲かった?
| ①弁財船の発達 | 元は瀬戸内海で活躍した帆走・櫓漕兼用の中型船だったが、船体構造を改良し堪航性と安定性の向上、積載量の増大を実現。また木綿帆を採用して帆走専用とし、荷役の容易化、櫓走用の乗組員を削減して経済性を高めた。 |
| ②買積船形態 | 他者の荷物を運んで運賃収入を得る「運賃積み」ではなく、船主自身が荷主となり寄港地で商品を売買しながら航行する「買い積み」が最大の特徴。利益が大きい一方、損害もすべて船主の負担となるためリスクも大きかった。 |
| ③地域間の価格差を利用 | 交通手段が未発達な時代は地域によって物価が異なり、中でも地理的、政治的な理由などから陸路整備が後回しにされた日本海側の価格差は大きかった。その差額を利用し、安く買った品を他地域で高く売って利益を上げた。 |
| ④陸上輸送の整備の遅れ | 江戸幕府は、統治体制を安定させるため江戸と地方を結ぶ五街道を整備したが、険しい山が連なるなど地理的・気候的な条件や、太平洋側と比べて幕府の関心が低かったことから、日本海側の陸路整備は後回しにされた。 |
荷物を積んで海を進む船を廻船といい、大坂から江戸へ樽酒などを運んだ菱垣廻船や、瀬戸内の塩を江戸に運ぶ塩廻船など、全国にさまざまな航路があった。菱垣廻船が荷物を運ぶことで収入を得る「運賃積み」だったのに対し、船主自身が寄港地で買い付けた品を別の寄港地に運んで売りさばく「買い積み」だったことが北前船最大の特徴といえる。
利益も損失も船主自身のものとなる買い積みは、ハイリスク・ハイリターン。運賃積みの復路は基本的に空船となり、片道分の利益しか得られなかったが、海難事故のリスクはあるものの、行きも帰りも商売をする北前船が生み出す富は莫大で、「一航海千両」といわれるほどだった。

それほどの利益を上げられた理由は地域間の価格差。たとえば蝦夷島で大量に漁獲されるニシンは、燈火用油の菜種、綿花、染料の藍といった商品作物などを栽培するための肥料として西日本で高く売れた。一方、稲作ができなかった蝦夷島では主食の米はもちろん、稲藁がないために縄や草鞋などの生活物資も貴重品。また、綿花の栽培が難しい北日本では、西日本の古着がもてはやされた。通信手段が手紙しかなかった時代、そうした情報を得ることができたのは港を往来する船頭の特権だった。巨万の富を築いた船主は数多く、「日本一の富豪村」といわれた瀬越と橋立(現・石川県加賀市)など、豪奢な屋敷や蔵が並ぶ船主集落が各地に点在した。
北前船は明治時代初期に全盛期を迎えたが、明治20年代になると電信や郵便など通信が発達。価格情報は北前船の独占ではなくなり、相場が安定するにつれて地域間の価格差も減少。青森と東京を結ぶ鉄道の開通や大量の荷物を安全に輸送できる汽船の普及と相まって、北前船は衰退の一途をたどり、明治30年代に歴史の幕を閉じた。
北前船主の相棒・弁財船を解剖!

〈日本海の荒波に負けないデザイン〉
船首尾を大きく反り上げ、波の抵抗を減らして安定性を高め、船体は厚い大板を継ぎ合わせて強度を高めた。一本水押(みよし)の船首により、波を乗り越える力にも優れていた。
〈1本のマストに大きな帆〉
船主の力の増大を恐れた幕府が帆柱1本・帆1枚に制限すると、帆桁も1本にして帆の膨らみを調整。舵の大型化で操舵性を向上するなどして横風帆走や逆風帆走も可能になった。
〈浅瀬に強い引き上げ式の舵〉
航行中に引き上げて操舵性を高めたり、浅瀬の港に出入りする際に舵の破損や船体が傾くのを防いだりできる。岸近くまで船を寄せられるため、荷物の積み下ろしも容易になる。
〈荷物の積み下ろしが容易な構造〉
船の側面である舷側(げんそく)を高く、胴部を大きく膨らませて積載量を増やしている。船体には隔壁がなく、甲板は着脱式で、荷物の積み降ろしが容易だった。
line
01|「航路の歴史」とは?
02|太古~平安時代前期
03|平安時代後期~戦国(安土桃山)時代
04|江戸時代~明治時代
05|北前船の主要ルートとは?
06|北前船はなぜ儲かった?
07|「10人の北前船主」【前編】
08|「10人の北前船主」【後編】
09|北前船が運んだもの
text: Miyu Narita
2025年7月号「海旅と沖縄」































