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うつわと和食文化の深い関係とは?
|日本の食文化「和食」を科学でひも解く①

2024.1.14
うつわと和食文化の深い関係とは?<br><small>|日本の食文化「和食」を科学でひも解く①</small>

料理の印象、さらには美味しさの感じ方さえも変えてしまう料理とうつわの関係。中でも日本人なら知っておきたい「和食」を科学的な切り口でひも解く展覧会が、国立科学博物館で開かれている。その見どころをピックアップ!
 
今回はうつわと和食文化の深い関係について解説。

特別展「和食 〜日本の自然、人々の知恵〜」監修
佐藤洋一郎(さとう・よういちろう)

農学博士。ふじのくに地球環境史ミュージアム館長。和食文化学会初代会長。2018年から2023年3月まで京都府立大学で和食文化を研究。著書に『和食の文化史 各地に息づくさまざまな食』(平凡社新書)などがある

うつわと和食文化には深い関係がある

室町時代の風俗画に描かれた食事風景。御膳に奇数のうつわが並び、ご飯が手前左、汁物が手前右という配置になっていることもうかがえる
『酒飯論絵巻』部分 国立国会図書館

うつわと和食の関係性を考えるにあたって、まず和食が生まれた背景を、和食展の監修者、佐藤洋一郎さんにうかがった。
 
日本列島に人々が暮らすようになった旧石器時代から縄文時代には、獣類や魚類などの動物性食料が中心で、やがて水田稲作が本格化し、米が主要な食料となるのは弥生時代以降のこと。天皇を中心とした古代国家が成立した奈良時代には、肉食を否定して米の生産を重視したことから和食の原型がつくられたと考えられている。 
 
平安時代後期には、藤原家といった高級貴族の大臣家が正月などに盛大な宴会(大臣大饗)を催すように。皇族から正客を招き、朱塗りの台盤(テーブル)とうつわでもてなしたという。米飯を中心に干物、生物などが食材ごとに朱塗りのうつわに盛られ、米飯の横には、塩、酢、酒、醤といった調味料が並び、自ら味つけをしながら食事をしていた。料理の品数が偶数組であったり、小麦粉を揚げた唐菓子があることから中国の影響が感じられるが、料理そのものは自然の素材を最大限生かした神さまに献上する神饌料理の系譜を引いている。
 
その後、平安時代末から鎌倉時代初期には後の和食の基本となる、折敷に奇数組の料理が並ぶ一汁三菜の食事が成立。さらに鎌倉時代後期から室町時代になると精進料理が発達し、食材そのものに味を含ませる料理に進化していく。 
 
本格的な武家政権となる室町時代には、折敷を発展させた膳を用い、膳の上に漆器の椀や皿、鉢を大小組み合わせた奇数組の料理をのせた本膳料理が登場し和食は完成する。 
 
戦国時代には茶の湯のもてなしの精神から懐石料理が登場。江戸時代になると磁器のうつわも使われるようになる。江戸の町人たちの日常食は飯、汁、菜、漬物が基本になり、外食文化の発展で「蒲焼き」などを飯の上にのせた「重」や「丼もの」、ぶっかけ飯といった新たな食文化が広まる。
 
和食のうつわで最も特徴的なのは、個々に割り当てられた属人器(飯碗や箸など)があること。そして料理に合わせた種類(飯碗、汁椀、鉢、皿など)、色やかたち、材質などが豊富なこと。植物の葉や花、和紙の演出もあり、四季のある日本らしい楽しみになっている。

そもそも、和食ってなんだろう?

※画像はイメージ

南北に長い島国で、四季のある日本では、土地固有の気候風土によって育まれた多彩な食材が食文化を発展させてきた。
 
人の身体は骨や筋肉、脂肪、皮膚などで構成され、身体づくりに不可欠なタンパク質、エネルギーとなる糖質、脂質の三大栄養素を摂取して生きている。多くの場合、エネルギーは植物性の食材から、タンパク質と脂質は動物性の食材から得ていて、原則として植物性と動物性の食材を組み合わせることが必要だという。例外はあるものの、この原則に合わせると、和食の根幹をなす食材が「米」、「魚」、「大豆」であるのはごく自然なことで、弥生時代にはじまった水田耕作によって和食の基本がかたちづくられたともいえる。
 
この3つの食材の関係性は田んぼを中心に形成されていて、稲を栽培する田んぼの近くに大豆を植えることで稲の養分になる窒素が田んぼに流れ、田んぼに灌漑用水をつくることで淡水魚の生息地が広がっていく。このシステムの成立が和食の礎となった。

自然を尊重することで多様性のある食文化に

※画像はイメージ photo: Tetsuya Ito

日本の自然の多様性と日本人の知恵と工夫によって、和食はより洗練された味わいへと進化していく。京都では「五法」と呼ばれる基本の調理法で、「生食(切る)」、「焼く」、「煮る」、「蒸す」、「揚げる」を食材に合わせて調理するようになる。
 
そして、甘み、酸味、塩味、苦みに加えて日本人が発見した「うま味」。うま味は世界にも知られるようになったが、日本特有の軟水の美味しさもうま味には重要で、出汁を取るときには軟水が適しているといわれる。
 
また、味つけの基本となる発酵食品をつくり上げたことも、和食の文化が発展した要素のひとつになっている。日本人が猛毒のあるカビの中から無毒の麹菌(コウジカビ)の分離に成功。味噌、醤油、酒、みりんといった発酵食品が生まれることになる。関東でつくられた濃口醤油は、江戸の屋台料理を支えた調味料で、江戸の食文化とともに全国へ広がっていった。

田んぼは米と魚の生産の場であり、
かつ大豆生産の場でもあった

水田稲作が本格的にはじまるのは弥生時代から。古墳時代になるとさらに水田の開発が進み、和食の基本がかたちづくられる

<米>
田んぼを開いたのが和食のはじまり
縄文時代には原始的な農耕が行われたと考えられるが、水田稲作が本格化するのは弥生時代に入ってからのこと。大陸から九州の北部に渡来し、日本全国に広がったとみられる。古墳時代を迎えると、古墳をつくる国家的な公共事業に労働者が集められ、そのエネルギー源として米が必要に。古墳づくりが水田の開発を後押ししたという

<豆>
田んぼの近くに植えた「畦豆」
畦豆は、田んぼの畦で栽培された大豆のこと。稲の近くに大豆を植えるようになったのは、大豆が根にある根粒菌と呼ばれるところから空気中の窒素を養分として取り込み、その窒素が田んぼに流れて、稲の栄養にもなっていたため。大豆は発酵させれば味噌として保存が利くため、特に戦国時代には、貴重なタンパク源として重宝された

<魚(淡水魚)>
田んぼの水路にすむ魚は天然資源
大陸から九州北部に渡来した水田稲作は、かなりの速さで日本列島に伝わり、その後、灌漑(農地へ水を人工的に供給すること)の普及によって微高地などにも進出。ため池も整備され、淡水魚の生息域も広がっていく。現在は養殖もあるが、魚と家畜が根本的に違うのは魚は天然資源であること。田んぼは「米と魚」の生産の場でもある

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和食の根幹をなす食材
《米・豆・魚》の歴史

 
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text: Yukari Akiyama
参考|『特別展「和食 〜日本の自然、人々の知恵〜」公式カイドブック』

Discover Japan 2023年12月号「うつわと料理」

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