鮭とともにある歴史と食文化が残る
新潟・村上の鮭文化を訪ねて
【第一章】
新潟県村上市の城下町には、1000年続く鮭文化がいまも残されている。三面川の鮭漁と人工ふ化施設、戦後に廃れかけた鮭文化を守り継ぐ人たち、そして余すところなく美味しくいただく鮭料理。鮭のことを「イヨボヤ」と慕う村上では、鮭がいとおしく思えてきます。
放流されて海に出て
鮭はまた三面川に戻ってくる
古くから鮭が遡上する川として知られる三面川。源流ではブナの原生林が栄養分豊かな水を川へと送り、川底の砂れきが鮭の産卵場をつくる。河口のタブノキ林は、鮭の稚魚たちが海への旅に出る前に休息の場を提供する。
秋には必ず鮭が大群でやってきたこの川に異変が起こったのが江戸時代後半のこと。村上藩の大切な収入源であった鮭が、年々捕れなくなっていったのだ。鮭の母川回帰性を見抜いた村上藩士・青砥武平治の提言で、藩は三面川に分流をつくり、鮭の産卵場を確保する。このような鮭の増殖事業は世界初のこと。明治時代に鮭の人工ふ化技術が日本に伝わると、三面川の川岸にふ化場を設立。現代につながっている。
現在、鮭のふ化場では、毎年10月末から12月上旬まで、人工ふ化のために鮭を捕り、人工受精させて稚魚まで育て、2月から4月上旬にかけて順次川に放流している。
鮭の捕獲と人工受精の現場を見せてもらった。川を上ってきた鮭は、川に掛けられた柵を避けて落とし柵に入る。そこから網ですくい出し、すぐにふ化場に運ばれ、オスと、卵が成熟しているメスを選別。メスから採卵し、オスの精子をかけて受精させる。
「肌に赤い婚姻色が出て、オスは鼻が曲がってすごい顔をしているでしょ」と平田茂伸さん(三面川鮭産漁業協同組合副組合長)。「メスを誘い、時にはほかのオスを威嚇するために体が劇的に変化するさまは神秘的。鮭は魚の中では珍しく、一夫一婦制なんです」
鮭の稚魚は川を出て、北の海を目指す。ベーリング海やアラスカ湾など冷たい海で過ごし、およそ4年後、産卵を控えた秋に三面川に戻ってくる。稚魚たちが再びこの川を上る確率は0・5%程度だそうだ。それでも春の放流会に参加する子どもたちは「また戻っておいで!」と小さな命を見送る。
<採卵から飼育・放流まで>
シーズン中は直売所がオープン
ふ化場の中に設けられた直売所には、オスの鮭や、まだ卵が成熟していないメスの鮭が並ぶ。メスのほうが高価なのはお腹に卵が入っているから。地元の料理人や一般の人も訪れ、川の恵みを享受する。
三面川鮭産漁業協同組合
住所|新潟県村上市若葉町15-1
Tel|0254-52-3758
※10月21日〜12月上旬、直売所オープン
営業時間|8:00〜16:00
定休日|なし
text: Yukie Masumoto photo: Kenji Itano
Discover Japan 2022年2月号「美味しい魚の基本」