《日光街道》江戸幕府の聖地へ
向かうための祈りの道
|浮世絵からひも解く、五街道と地域文化
徳川家康が整備を進めた、江戸と地方を結ぶ五街道。江戸幕府が国を統治するための重要な街道であると同時に、さまざまな役割を担っていた。今回は歴史家の安藤優一郎さん監修のもと、五街道の一つ「日光街道」の成り立ちや特徴をご紹介!
江戸幕府の聖地・日光東照宮へ

歌川広重が日本の名所・約70カ所を描いた連作『六十余州名所図会』内の「下野 日光山裏見ノ滝」。日光は日光街道の終着地であり、東照宮のお膝元として栄えた
歌川広重『六十余州名所図会 下野 日光山裏見ノ滝』/国立国会図書館デジタルコレクション
徳川家康を祀る日光東照宮への参詣を目的に整備。宇都宮までは奥州街道と共通の道程である。家康の家臣であった松平正綱・正信の親子は、20数年の歳月をかけて街道沿いに20万本以上の杉を植樹。日光街道、例幣使街道、会津西街道からなる「日光杉並木街道」は総延長約37㎞に及び、貴重な文化資産となっている。
〈伝統工芸品〉
東照宮を造営した職人が生んだ桐だんす

日光東照宮造営の際、各地から集められた腕利きの職人のうち、粕壁宿(埼玉県春日部市)に移り住んだ職人が指物などをつくりはじめたのが、伝統的工芸品・春日部桐たんすの発祥とされる。
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01|五街道とは?
02|天下の大動脈「東海道」
03|大名や庶民から大人気「中山道」
04|時の文人も夢中「奥州街道」
05|日光東照宮へ向かう「日光街道」
06|脱走路として整備された!?「甲州街道」
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text: Nao Ohmori
2025年8月号「道をめぐる冒険。」































