TRADITION

《奥州街道》時の文人も夢中になった!
北方の秘境へつながる道
|浮世絵からひも解く、五街道と地域文化

2025.8.31
《奥州街道》時の文人も夢中になった!<br>北方の秘境へつながる道<br><small>|浮世絵からひも解く、五街道と地域文化</small>

徳川家康が整備を進めた、江戸と地方を結ぶ五街道。江戸幕府が国を統治するための重要な街道であると同時に、さまざまな役割を担っていた。今回は歴史家の安藤優一郎さん監修のもと、五街道の一つ「奥州街道」の成り立ちや特徴をご紹介!

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監修=安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
1965年、千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマとする執筆や講演、セミナー講師のほか、TV番組の時代考証など幅広く活動。『15の街道からよむ日本史』 (日経ビジネス人文庫)をはじめ著書多数。

松尾芭蕉が歩き、
庶民にも人気となった旅ルート

幕府管轄の最終地点・白河宿
歌川貞秀が1868年に描いた『大日本国郡名所』内の白河宿。幕府の道中奉行が管轄する奥州街道最終の宿場だが、街道そのものは、白河宿から陸奥国(青森県三厩)までつながっていった

俳人・松尾芭蕉は江戸・深川から日光街道、奥州街道を通り、さらに北へと進んだ。その旅をつづったのが紀行文『おくのほそ道』。芭蕉の作品は庶民にも親しまれていたため、その影響から奥州街道は庶民にも人気の旅ルートに。しかし芭蕉が訪れた頃の奥州街道はまだ、街道や宿場の整備があまり進んでいなかったという。

奥州街道
総距離|約190㎞
宿場町の数|10(白沢宿〜白河宿)

〈食文化〉
那珂川なかがわや鬼怒川など
清流の美味となる鮎料理

内陸部の栃木県において川魚は貴重なたんぱく源でもある。塩焼きはもちろん、干し鮎で出汁を取る佐久山宿名物・鮎うどん、鮎と米を炊き込んだ鮎めしなど、多様な鮎料理がつくられた。

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日光東照宮へ向かう「日光街道」
 
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text: Nao Ohmori
2025年8月号「道をめぐる冒険。」

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