上杉謙信×野沢温泉
信玄との戦いに臨み一時的に支配
|あの武将の温泉好きエピソード⑥

2024.2.26
上杉謙信×野沢温泉<br><small>信玄との戦いに臨み一時的に支配<br>|あの武将の温泉好きエピソード⑥</small>

戦国時代の名将にも温泉を愛し、湯に癒しを求めた人は多い。戦いの合間に彼らが温泉地で過ごした逸話あれこれをピックアップ。
 
今回は、川中島の戦いで武田信玄と激しい火花を散らした上杉謙信と野沢温泉の関係を紹介する。

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上杉謙信(1530-1578)
越後(新潟県)守護代・長尾為景の子。名は景虎、後輝虎。越後春日山城主。関東の名族・上杉憲政(のりまさ)を保護し、上杉の姓と関東管領(かんれい)職を譲られた

野沢温泉
長野県下高井郡。スキーの名所で13の外湯が点在することで有名。外湯は江戸時代から「湯仲間」という制度で守られてきた

1557(弘治3)年、第三次・川中島の戦いがあった年、上杉謙信は小菅神社(長野県飯山市)に戦勝を祈願する『小菅元隆寺願文』を出した。その一文に「北に温泉有り、山岳これ隔て、群迷を平日に洗う……」とある。この「北の温泉」とは野沢温泉と思われる。小菅神社から約5㎞の距離にあり、南方には謙信が信濃攻めの拠点にしていた飯山城があった。謙信の本拠地・春日山城(新潟県上越市)からも近い。それを証明するのが皮肉にも敵方の武田信玄の書状だ。「よって景虎(謙信)、野沢の湯に至りて陣を進め……」と戦況を書いたもの(『市河家文書』)がある。もともと野沢温泉は武田方の武将の勢力下にあったが、この戦いの間は上杉軍が押さえていた。湯治した具体的な記録はないが、ここへ来て、湯煙と湯の匂いに魅了されない人はいない。将兵の疲れを癒す野戦病院として使われたと考えても違和感はないだろう。もしかすると謙信自身も利用した可能性も考えてみたくなる。

上杉謙信の隠し湯
「信玄ゆかりの湯」が山梨や長野などに数多くあるのに対抗してか、新潟や群馬には「謙信の隠し湯」と呼ばれる温泉地がいくつかある。信玄よりも数は少ないが、上杉謙信の地元・越後の燕温泉をはじめ、関温泉、貝掛(かいかけ)温泉などが、そのような看板を出している。しかし、いずれも史料には出てこない。どうやら伝承レベルのようだ。しかし、そのような伝承が生まれること自体、謙信がいかに地元で慕われ、人気の高い武将であるかがうかがえる

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《あの武将の温泉好きエピソード》
1|豊臣秀吉×有馬温泉
2|明智光秀×山代温泉
3|伊達政宗×小野川温泉
4|前田利家×草津温泉
5|武田信玄×湯村温泉
6|上杉謙信×野沢温泉

text:Tetsuya Uenaga illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan 2024年2月号「人生に効く温泉」

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