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沖縄を撮り続けて50年。
写真家 垂見健吾が琉球王国の魅力を語る

2023.8.12
沖縄を撮り続けて50年。<br>写真家 垂見健吾が琉球王国の魅力を語る

オジィの愛称で知られる南方写真師の垂見健吾さんは昭和から平成、令和へと変わりゆくを沖縄を見守り続けて50年。南国の自然や人々の暮らし、伝統、文化、風習などを切り取り、さまざまな媒体を通して、その時代、瞬間の沖縄を発信し続けてきた。集大成として先頃発表した写真集が記憶するのは沖縄を生きる人々のDNA、確かに受け継がれている琉球王国かもしれない。

垂見健吾(たるみ・けんご)
1948年、長野県生まれ。桑沢デザイン研究所で遊び、写真家・山田脩二氏に師事。文藝春秋写真部を経てフリーランスとなる。JTA機内誌『Coralway』の写真撮影を通して沖縄の島々を歩き、日本や世界各地の撮影を続けている。「最近ハマっているのは、iPhoneの写真撮影やさぁ〜!」

2月は晴れない!はじめての沖縄で洗礼を受ける

画像はイメージです

オジィがはじめて沖縄に来たのは1973年の2月。サトウキビ畑と真っ青な空を背景にモデルを撮る広告の仕事だったのだけど、2月は沖縄の雨季だから全然晴れないわけ。当時の航空券は10日間限定で10万円ぐらいはしたよ。雨はザーザー降るし暗いし、期限は迫ってくるしで、毎日悶々としていたよ。仕方がないから夜は桜坂(※1)で安くてまずい泡盛を飲むわけ。当時のスナックにはまだ冷蔵庫なんてなかったのに、ヒージャー(※2)の刺身がどんどん出てくる。「今日つぶしたばかりだから新鮮さっ」ってオバアは言うんだけど、臭いがきつくてさ。食べたふりしてポケットに隠し、トイレにポイって。お店を出る頃にはポケットが脂でギトギトになっちゃった。結局晴れたのは9日目だったよ。
 
※1 桜坂/戦後発展した民謡スナックや飲み屋が集中する社交街
※2 ヒージャー/ヤギ 

「ハイサイ」は魔法の言葉

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1982年に雑誌の撮影で沖縄へ。沖縄の食文化を紹介する特集で公設市場(※3)を取材するのだけど、当時の公設市場は、地元のアンマー(※4)やオバアしかいない相対市場(※5)だったから、買い物をするわけでもなくカメラをぶら下げたオジィは「買わないのに何しに来たかっ?」って怒られるわけ。カメラを向けると新聞紙をさっと開いて顔を隠されたり、新聞紙を丸めて投げてくる人や「写真は魂を抜かれるからお断り!」(※6)って言う人もいたよ。
 
何度足を運んでも誰も撮らせてくれなくて、ほとほと困っていたら、ある肉屋のアンマーが、「仕方がないね、私を撮らせてあげるよ、ほかにも紹介してあげようね。あいさつはハイサイ(沖縄方言で、こんにちは)。この言葉を使えば沖縄の人は、おっ! 沖縄のことを知っているって思うわけ」って。それ以来オジィの中でハイサイは魔法の言葉になったよね。ちなみに「ハイタイ」は女言葉だから使っちゃ駄目だよとも。沖縄には男言葉と女言葉があるのかと、フランス語みたいでびっくりしたさぁ。
 
※3 公設市場/旧第一牧志公設市場のこと
※4 アンマー/お母さん、女性
※5 相対市場/売り手と買い手で取引の条件が決まる
※6 当時の沖縄では写真を撮られるのを嫌がる人も多かった

原風景に触れる離島への旅

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1980年代の中ごろになると、観光ガイドブックがどんどん創刊されて、離島へ行く機会も増えてきた。那覇と離島を結ぶ南西航空(※7)は、飛行場がある離島の人にとって上等で特別な移動手段。小さな飛行機はコックピットの扉が開放されていて、計器や機長の操作を見せてくれた。大東島(※8)を結ぶ便は9人乗りでね。飛行機の中に仮設のトイレ があるんだけど、誰かがトイレに入るとぽわーんと機内にいい香りが充満するから、オジィは使い切れなかったな(笑)。
 
離島にはいまでも昔の風景が残っているし、残そうとしている。日本中がどこも同じような景色になっていく中で、島の自然や町並み、暮らしを写真に残せたのは本当に幸せだと思うよ。オジィは4×5(大判カメラ)が大好きだから、離島のロケも大荷物でさ。わざわざ三脚を立てて、島の人のポートレートもたくさん撮らせてもらったよ。
 
※7 南西航空/現在のJTA日本トランスオーシャン航空
※8 大東島/南大東島・北大東島のこと。島は断崖絶壁なので下船する際はクレーンを利用する

知るほどに惹かれていく沖縄の魅力とは

作家の椎名誠さんや池澤夏樹さん、筑紫哲也さんなど、著名な作家やジャーナリストの方々と旅することも多かった。南の島を転々として創作していた池澤さんと何度か仕事をさせてもらううちに、オジィが沖縄の写真をいっぱい持っているのを知って、「このまま写真を埋もれさせるのはもったいないよ、事典をつくろう!」となり、1992年に『沖縄いろいろ事典』が完成した。ほかにも旅ライターの斎藤潤さんや作家の大竹昭子さんらも参加して、手分けをして執筆してくれる人を探し、それそれが編集者の目線で沖縄の言葉を集め、独自に掘り下げた一冊になった。
 
この本の制作を通してあらためて、言葉で沖縄を理解できたし、琉球王国の歴史や文化を学ぶうちに、沖縄は日本のいち県じゃなくて、ひとつの国だったと認識できたから、その後のさまざまなシーンで合点がいった。そして、さらに沖縄に魅了されていったように思う。カメラを構えるオジィの目線と作家たちの視点が異なるのも新鮮だった。たとえば同じ被写体を見ていても、池澤さんはいつもそのバックボーンを見ているさ。そのときは何が見えているのかわからないのだけど、後に発表する作品を読んで、あのとき池澤さんが視ていたのはそういうことか! って唸ったね〜。

変化の50年。島に感謝、人に感謝

オジィが沖縄と出合った復帰の頃は、まだ日常に戦争の影や琉球王国450年の名残があった。そこから50年の変遷を撮りためた写真をいつかどこかで発表したいなと思っていたら、『コントマガジン』の川口美保さんから写真集をつくりませんか? と提案をもらって、576ページもの大作『めくってもめくってもオキナワ』が完成しました。ポジを引っ張り出しながらよみがえる思い出に浸ってしまい、なかなか作業が進まなかったことも、いま思えば楽しかった。だけど、これが写真の力さ〜。
 
自然や工芸、食、伝統、文化と沖縄に対するイメージは人それぞれだし、観光客は自分の沖縄に対するイメージを写真に収めていく。これほど写真に愛された島はほかにはないと思う、そして、沖縄最大の魅力だと思うわけ。沖縄を訪れた人たちが、なぜそこでシャッターを切ったのか? が、実は次のオジィのテーマ(笑)。
 
2026年の春頃の首里城再建のお披露目と合わせて、世界中のカメラマンが残した沖縄の写真を集めて、写真展をやりたいんです。そこから何が見えるのか? 時空を超えて何を感じるのか。いまからよんなー(ゆっくり)計画中だよ。その前に、新しい第一牧志公設市場の中で、沖縄のカメラマンたちが撮影した、アンマーたちのポートレートの写真展をやります。オジィの原点でもある市場への恩返しになればいいな。

読了ライン

text: Kiyomi Gon photo: Kengo Tarumi
Discover Japan 2023年7月号「感性を刺激するホテル/ローカルが愛する沖縄」

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