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《LeTAO/ルタオ》の新たな挑戦
「旧小樽倉庫」が文化観光拠点に生まれ変わる!①
|小樽のまちづくり

2025.4.22
《LeTAO/ルタオ》の新たな挑戦<br>「旧小樽倉庫」が文化観光拠点に生まれ変わる!①<br>|小樽のまちづくり

江戸時代、莫大な富を生んだニシン漁場として栄え、明治期の官営幌内鉄道開通などを経て繁栄した北海道・小樽。いまも多くの人や物が行き交う観光商業都市で、歴史的建造物を守りつつ現代に生かすまちづくりが進行中。そのひとつが、2024年10月に南側が「ルタオ運河プラザ店」として生まれ変わった「旧小樽倉庫」だ。

洋菓子店「ルタオ」の新たな挑戦とは?

130年以上の歴史をもつ小樽市指定歴史的建造物「旧小樽倉庫」の一部が、「ルタオ運河プラザ店」としてグランドオープン。小樽運河の歴史を見つめてきた旧小樽倉庫。小樽ならではの木骨石造の佇まいを生かした新たな活用事例を紹介する

JR小樽駅から徒歩約10分、運河に沿って走る道道の交差点に建つのが「旧小樽倉庫」だ。1890年~94年にかけて建てられた営業用倉庫で、増築を重ねふたつの中庭を囲む大倉庫となったという。

1985年には「小樽市指定歴史的建造物 第13号 旧小樽倉庫」として登録された。市は1990年に旧小樽倉庫の南側を活用し、小樽市観光物産プラザ(通称:運河プラザ)を開設。当プラザは、小樽観光協会が指定管理者として運営を担い、観光案内所や休憩所、物販・喫茶コーナーを営業するほか、イベントや展示会に使える場所として市民に愛されてきた。

二番庫は物販スペースで定番から限定商品まで多彩なラインアップが揃う

その後、第3号ふ頭の再開発に伴い、運河プラザの機能は新たに開設された「小樽国際インフォメーションセンター」に移転することとなり、2024年3月末に一度幕を下ろした。

市はその後の再活用にあたり、公募型プロポーザル方式により民間事業者を募集し貸付事業者の選定を行った。これに挙手したのが「小樽洋菓子舗ルタオ」を運営する「ケイシイシイ」だ。こうして同年10月、旧小樽倉庫の南側は「ルタオ運河プラザ店」として再スタートを切った。

オープン記念の「カダンス ストロベリー」は、甘酸っぱいイチゴクリームを北海道産の発酵バターを使ったパイでサンドしたスイーツ

小樽市民が主役のまちづくりの文化

持ち込みの飲食も可能
誰もが寛げるフリースペース

地元民や観光客の誰もが使え、テイクアウトした商品も楽しむことができるフリースペース。ルタオのフラッグシップスイーツ「ドゥーブルフロマージュ」をかたどったソファなどが並び、市民の憩いの場に。一番庫奥には授乳室も

「北海道の心臓みたいな都会である」。小樽の街をこう表現したのは、青春時代を小樽で過ごした小説家・小林多喜二だ。

小樽は江戸後期からニシン漁場として栄え、漁夫たちの豪奢な生活ぶりは、鰊御殿にしんごてんや番屋としていまに伝えられる。明治期に入り、小樽が“北海道の心臓”となる契機は国策として開発された幌内(現:三笠市)と小樽(手宮)を結ぶ官営幌内鉄道の開通だ。1882年に全線開通したこの鉄道は、北海道の内陸部から良質な石炭を本州へ送り出し、それらは日本の近代化の原動力となる一方、本州から運ばれてきたさまざまな物資は道内に供給され、小樽は物流の拠点として発展していった。

地元アーティストの作品を展示する通路型の「アートギャラリー」
中庭に面した物販スペースの壁際にあえて空間をつくり、通路にすると同時に北海道で活躍するアーティストの作品を展示するアートギャラリーを設けた。絵画や書といった多様な作家とのコラボレーションも視野に入れている

海岸線には物資を保管する石造倉庫が建ち並び、ゴールド・ラッシュさながらに仕事を求める人々が殺到。鉄道と港の整備によって資源の物流拠点なった小樽には、多くの商社や金融機関が進出し、25もの銀行が存在したという。

第二次大戦後には、石炭から石油へのエネルギーの転換や港湾の市場が太平洋側に移行するのに伴い、小樽港では取り扱い貨物が減少。そこで市は、車社会への対応や経済の再生を目指し、運河を埋め立て道路を建設する都市計画を決定。次々に壊されはじめた石造倉庫を目の当たりにした市民から、先人の貴重な遺産である運河を守ろうという保存運動が起こった。

小樽市や運河の歴史に触れる「ヒストリーギャラリー」を設置 一番庫の奥には小樽の歴史をパネルで展示するミニスペース「ヒストリーギャラリー」を設置した。目の前に運河が迫り艀(はしけ)が並ぶかつての旧小樽倉庫の様子や、運河の保存運動の歴史に触れることができる

その後、約10年にわたる大論争の結果、市は極めて異例の都市計画変更を決断し、運河の半分を埋め立て水辺の散策路として整備。こうして国内外から観光客が絶えない「小樽運河」の風景ができた。

さらに、運河の保存運動に端を発して市民の中に醸成された「歴史に学び、歴史を生かす」という意識は受け継がれ、市民が主役の「民の力」によるまちづくりの文化が、現在の小樽の街をかたちづくっているのだ。

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小樽のまちづくり
01|《LeTAO/ルタオ》の新たな挑戦①
02|《LeTAO/ルタオ》の新たな挑戦②
03|小樽とルタオのこれから

text: Tomoko Homma photo: Kenji Okazaki
2025年3月号「ニッポンのまちづくり最前線」

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