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現存する世界最古の会社《金剛組》
創業1445年の歩み【後編】

2023.7.31
現存する世界最古の会社《金剛組》<br>創業1445年の歩み【後編】

日本の社寺建築には驚異的な技術が投入されている。釘・金物に頼らない木組みによって建てられた仏塔が地震をものともせず、何百年もの風雪に耐える事実にはただただ驚かされる。
 
そんな仕事を1445年前から脈々と受け継いでいるのが、大阪の天王寺区に本拠地を置く金剛組。四天王寺のお抱え大工として西暦578年から続くと聞くと、天恵に浴する順風満帆の集団をイメージするかもしれないが、実際は違っている。金剛組はその歩みを止めざるを得ないような苦境に幾度も立たされ、事業承継の難しさにも向き合ってきた。
 
しかし現在は、技術者としての誇りを決して失わず、会社としても存続し続けるひとつの着地点にたどり着いている。大阪の堺にある広大な加工センターでは日本が誇る宮大工がいきいきと仕事をしている。社寺建築という日本の伝統文化を守る使命を担う彼らの歴史と歩みを、いまひも解きたい。

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金剛組棟梁
木内繁男(きうち・しげお)さん
(写真右)

1950年大阪府生まれ。金剛組の棟梁を務めた父の仕事を見て育ち、10代から修業をはじめる。金剛組の専属宮大工の会「匠会」の会長。後進の育成にも力を注ぐ

金剛組会長
刀根健一(とね・けんいち)さん
(写真左)

1954年福井県生まれ。’73年髙松建設入社、2001年に取締役就任。’11年に金剛組入社後は専務として運営の基盤を築く。’13年に社長就任、’20年に会長就任

大阪府堺市の加工センター内にある現寸場では図面の実寸を起こして繊細な調整を行う

——金剛組が経営危機に陥った2005年、絶対に倒産させてはいけないと髙松建設の会長が救いの手を差し伸べました。
 
刀根 私が当時勤めていた髙松建設の会長は、金剛組をなくしたら大阪の恥やとまで言って、再建の旗振り役を買って出ました。同業他社ですから、高い技術を有することは承知しておりましたが、何よりこの歴史を途絶えさせてはいけないという強い思いがあったと聞いております。
 
——新生金剛組として再出発する際には銀行の協力も得なければなりませんが、それら関係者のほとんどが理解を示し、無事に歴史をつなぐことができました。
 
刀根 金剛組の屋号は残し、組織として再出発できる形にもっていけたのは有難いことですね。しかし、金剛組が存続の危機に立たされたのは何もこのときばかりではありません。1942年の企業整備令では政府が中小の整理統合を進めました。金剛組もその対象になったのですが、38代のよしゑが役所に何度も掛け合い、軍事用木箱をつくる会社として独立性を保つことができました。
 
木内 よしゑさんは本当にすごい方でした。私は父の代から金剛組の仕事をしておりますが、父が31歳のときに、よしゑさんは四天王寺金堂再建を父に命じました。若い大工に大切な仕事を任せるのはそうできることではありません。
 
刀根 金剛組は代々そうですが、よしゑさんは宮大工を大事にされていたと思います。仕事には厳しかったですが、泊まり込みで仕事をする大工のご飯を用意するなど世話もしていました。金剛組に伝わる16の教えに、下の者には優しく接することやチームプレーの大切さが書かれていますが、よしゑさんはそれを実践されていたのでしょう。

——金剛組には現在「組」と呼ぶ7組の宮大工集団が東京と大阪で仕事をされています。木内棟梁ら宮大工にとって、金剛組とはどのような位置づけですか。
 
木内 わかりやすく言いますと、将軍と大名です。ほかの宮大工もそうだと思いますが、私たちは四天王寺様のお役に立ち、金剛組がずっと続くことだけを願って仕事をしています。技術を磨くのは、さすが金剛組、つまり金剛家の仕事は素晴らしいと思ってもらえるためなのです。
 
刀根 木内さんもそうですが、うちの宮大工にとって金剛家の当主の言うことは絶対。これは一般企業で勤めてきた人間にはなかなか理解できないことですが、金剛家と宮大工たちの強い信頼関係と結び付きがあったことも、金剛組が長く続いた要因だと思います。
 
——素晴らしい仕事をするための技術の研鑽はどのようにしておられるのでしょうか。
 
木内 先達の仕事から学ぶことはありますね。たとえば解体工事のときに、昔はこんな仕事をしていたのだと驚くことがあります。技術は廃れていきますが、ひとつ言えることは、昔の宮大工は大胆な仕事もしたということ。思い切りがいい。いまは失敗を恐れる傾向にありますが、昔は失敗して何が悪いという意気込みと覚悟を感じます。失敗を恐れていてはいい仕事はできないということですね。
 
刀根 宮大工の仕事は大胆さと丁寧さの両方がありますね。納得のいくまでやる徹底した仕事ぶりは、効率を重視する一般企業で仕事をしてきた私には、最初は理解ができませんでした。私が金剛組に入社して間もないときに木内さんと交わしたやりとりで、いまでも覚えている印象的な言葉があります。
 
——どういった言葉でしょうか。
 
刀根 加工センターで木内組の宮大工さんがひとつの部材を整えるために何回も鉋がけをしていて、私からすると同じ作業を何度も繰り返しているように見えたのです。経営の視点に立つと、作業効率はどうして頭をよぎります。ですので、たまらず「もう少し(作業時間を縮めるなど)なんとかならないですか」と言いました。すると木内さんからは「それは手を抜けということですか」と返ってきました。私はそのときに、宮大工の仕事に一般企業でいう効率性を当てはめてはいけないとわかりました。私の仕事は金剛組を後世につなぐための仕組みづくり。そう考えをあらためました。

——信頼できる技術者がいることは会社の何よりの強みですね。
 
刀根 金剛組は創業からの約1300年は四天王寺様の仕事だけしてまいりましたが、昭和に入ってからは一般建築の分野にも進出。一時は一般建築コンクリートの仕事もしていましたが、原点回帰していまは社寺建築の仕事に専念しています。その中心が宮大工の仕事ですので、たとえば地方の仕事でも安心して任せられる宮大工の存在は、まさに屋台骨ですね。
 
木内 私たちの仕事はいますぐその真価がわかるものではありません。建ててから200年、300年と経って、ようやくいい仕事をしてきたとわかってもらえます。
 
刀根 逆に言いますと、お寺の伽藍の200年後、300年後の姿がわかるのが金剛組です。伽藍の経年変化が実体験として理解できるのは、おそらく金剛組をおいてほかにないでしょう。

読了ライン

text: Mayumi Furuichi photo: Toshihiko Takenaka
Discover Japan 2023年6月号「愛されるブランドのつくり方。」

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