TRADITION

江戸時代の「旅行ブーム」
庶民が夢中になったお伊勢参り
|江戸時代の旅の歴史

2025.10.3
江戸時代の「旅行ブーム」<br>庶民が夢中になったお伊勢参り<br>|江戸時代の旅の歴史

日本ではじめて庶民の旅行が本格化したのは、江戸時代中期頃。全国各地に敷かれた街道が整備され、宿場町が発展したことに端を発する。当時の文学や美術をひも解くと、一世一代の冒険に沸き立つ人々の期待が見えてくる。今回はそんな江戸時代の旅行ブームのはじまりである「道」について、歴史家・安藤優一郎さん監修のもと紐解いていく。

監修=安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
1965年生まれ。歴史家。早稲田大学大学院文学研究科後期課程満期退学。「JR東日本・大人の休日倶楽部」の講師や江戸にかんする執筆活動など、幅広い分野で活躍中。著書に『江戸の旅行の裏事情 大名・将軍・庶民 それぞれのお楽しみ』(朝日新聞出版)など多数。

旅行ブームのはじまりは
「道」でした

手前は外宮参拝の様子で、後方には周辺の名所が描かれる。絵のような群衆によるお伊勢参りを「お蔭参り」と呼ぶ。江戸時代最大のものは1830年。4カ月で約486万人が伊勢街道を往来したという記録が残る
歌川広重『伊勢参宮略図』/国立国会図書館デジタルコレクション

江戸時代中期にあたる元禄年間は政治経済が安定し、学問や芸術などさまざまな文化が花開いた時代として知られている。同時期に起こったのが庶民による旅行ブームだ。当時、庶民の移動は領主によって制限されていたが、寺社参詣や湯治を目的にすれば許可が得やすかったため、商人や町人、さらに農民までもがそれらを目的に旅へと向かった。

街道沿いの宿場町は旅人で常に賑わった
大きな鳥居が出迎える日永の追分。街道沿いの宿場町は常に繁盛したが、特に、宮川を船で渡る「宮川の渡し」を終えたところにある中川原は宿泊や休憩地として人気だった
歌川広重『東海道名所之内 四日市追分(東海道名所風景)』/ 国立国会図書館デジタルコレクション

旅が身近になった背景には、全国各地で“道”が整備されたことが挙げられる。徳川家康が幕府成立の際に整備した「五街道」は江戸と京都などを結ぶ5本の街道のことで、参勤交代や物流ルートとして整備、さらに宿場に人と馬を常備する「宿駅制度」も制定された。ヒトやモノの往来が活発になるにつれて宿場町は発展し、宿泊施設としての設備も充実。庶民も気軽に旅行することが可能になったのだ。

江戸時代の街道整備で
お伊勢参りが大流行

江戸っ子のお伊勢参りは東海道経由で
東方からの旅人は、東海道の四日市宿~石薬師宿間の分岐地点・日永の追分から伊勢街道に入るのが通例だった。神宮に近づくにつれて、西方からの旅行者も合流していき、街道は賑わいを増していった。神宮参詣後は、京都など周辺の物見遊山を行う人も多かった

旅の中でも一番人気だったのは「お伊勢参り」。個人での旅行だけでなく「講」と呼ばれる組合を組み、集団で参詣に訪れる人も多かった。

東方からの旅行者は東海道から伊勢街道へ入る。ここでは宿場町沿いの人々が参詣者に施しをする習慣があったため、金銭的余裕のない庶民でも旅行を楽しむことができた。このことから、お伊勢参りは旅行ブームを全国的なものにしたきっかけともいえるだろう。

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江戸時代のパスポート 旅に欠かせない往来手形
必ず携帯する「往来手形」は現代の身分証明書。庶民の移動は制限されていたため、旅行時には、手形を檀那寺の住職に発行してもらう必要があった。左は善光寺参りを許可された女性の往来手形
「寺請一札之事(南菅生浦三左衛門妻、善光寺参詣)」/ 福井県文書館

 

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text: Discover Japan
2025年8月号「道をめぐる冒険。」

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