《赤木明登うるし工房》赤木明登
輪島の木地師の技を次世代へ
|輪島塗に新風を吹き込む塗師たち
日本有数の漆器の産地として名高い石川・輪島。2024年元日の大地震により甚大な被害を受ける中、輪島塗再建に向けて新たな一歩を踏み出した人々がいる。
今回は、被災した木地師工房をいち早く再建し、その心と技を次世代へとつないでいる「赤木明登うるし工房」の赤木明登さんの活動に迫る。
輪島塗の伝統を大切にしながら自分が信じるかたちを追求してきた塗師・赤木明登(あかぎ あきと)さん。赤木さんのうつわがなぜ美しいのかを、86歳の椀木地師・池下満雄さんが教えてくれた。
「この親方は厳しいよ。かたちに妥協協せん。それがよその親方と違うところ。常にいまあるのよりもっといいかたちをとね」
代々、木地師の家に育った池下さんの身体の中には、輪島塗の昔からあるいいかたちが息づいていると赤木さんは言う。輪島塗の魅力は材料や技術の継承だけでなく、職人の中にも昔の美しいかたちが残っていること。熟練の木地師が内包するいいかたちを引き出し、ともにつくり上げていくことで、個人の力を超えたものができる……。
輪島には、木地師の中でも椀物、曲物、指物、朴(ほお)木地(くり物)それぞれの職人がいる。塗師とは漆を塗る職人を指すだけでなく、輪島では上塗りを受け持ちつつ、作品が完成するまでを一貫してディレクションする人のことをいう。塗師屋の親方である赤木さんは、木地師がつくるものを吟味してかたちを工夫し続けている。
「椀のかたちは左右対称の一本の線でできていて、その線を紙一枚分動かすだけで、かたちは変化する。その一番美しいところを求め続けないと、かたちはどんどん衰えていくのです」
震災で、池下さんの工房は倒壊。池下さんはその前にヘタリ込んで2日間動かず、3日目に意識を失って救急搬送されたそうだ。赤木さんは、彼をそのまま逝かせるわけにはいかない、工房を再建しようと一念発起。木地師の仕事場を再生する「小さな木地屋さん再生プロジェクト」を立ち上げ、広く支援を呼び掛けた。
輪島では、何十年も地道な仕事を続けてきた職人の工房や自宅が地震で大打撃を受けた。その多くは高齢の職人たちだ。何も手を打たないと、市や国の支援が届く前にそっと廃業し、この土地で受け継がれてきた大切なものが失われてしまう。赤木さんは、まずは輪島で最高齢の池下さんの工房を、輪島市内でどこよりも早く復元させた。
4月初旬、よみがえった工房に池下さんが戻った。その両隣には、赤木さんの工房から2名の職人が腰を据え、木地師としての修業をはじめた。
6月末の取材時に、見事な技を見せてくれた池下さん。7月頭に、惜しくもこの世を去ったが、彼の教えを受けた二人は、輪島の木地師としての覚悟を胸に、いまもほかの木地師に教えを請いつつ修業を続けている。
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桐本泰一
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問い合わせ|赤木明登うるし工房
www.nurimono.net
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text: Yukie Masumoto photo: Maiko Fukui
Discover Japan 2024年9月号「木と暮らす」