天神さん、マイ山椒、節分鰯と恵方巻…。
柏井壽に学ぶ《京都の心を知るための22のことば③》
「おいでやす」、「おこしやす」……。京都を訪れると耳にするはんなりした言葉。何気ない言葉に秘められた本当の意味を、京都で生まれ育った柏井さんに教えてもらいましょう。
選・文=柏井壽(かしわい・ひさし)
1952年京都生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区で歯科医院開業。一方で、『京都』『日本旅館』『食』をテーマとするエッセイ、小説を執筆。近著に「鴨川食堂おまかせ(小学館文庫)」「京都に行く前に知っておくと得する50の知識(ワニブックス)」がある。
「天神さん」
京都人の言葉は本当にややこしいです。京都で生まれ育った僕がいうのだから間違いありません。同じ言葉でも、そのときの状況で、内容が違ってくるのです。
たとえば松の内が過ぎて間無し。京都人同士が出会います。
「お出掛けですか?」
「へえ、ちょっと〈天神さん〉へ」
「お孫さん、今年受験どすか。お気ばりやすな」
「おおきに」と別れていきます。合格祈願だということが通じ合っています。これが25日だと違います。
「お出掛けですか?」
「〈天神さん〉へ行きますんやわ」
「そうどすか。ええ掘り出しもんがありますように」
毎月25日の〈天神市〉へ行くのだとあうんの呼吸でわかり合えるのです。つまりは、あらゆることに通じていないと、京都人同士の会話は成り立たないのです。本当にややこしいことです。
「マイ山椒」
京都人が東京へ行って、食事のときに何が困るかといえば、お店に粉山椒が置いてないことです。
さすがに鰻屋さんには置いてありますが、そば屋さんで粉山椒を置いているところは滅多にありません。これが辛いんです。天丼やカツ丼、親子丼などの丼物には七味より粉山椒、というのが京都人です。それだけではありません。焼き鳥にも粉山椒は不可欠なはずなのに、居酒屋さんで粉山椒を常備している店に出合ったことはありません。
なぜ京都人がこれほど山椒好きかといえば、京都は山里だからです。鞍馬をはじめとする山椒の名産地が近くにあるだけでなく、庭に山椒の木を植える家も少なくありません。そして何より大切なこと。それは山椒が春の訪れを告げてくれる木だということ。芽が出て、花が咲き、実がなる。この流れとともに京都の味は移ろいます。それを感じ続けるための〈マイ山椒〉です。
「柊と南天」
碁盤の目に整備された京都の街は、東西南北がわかりやすいはずです。比叡山のあるほうが東ですし、鴨川をはじめとして、川の上流は北です。
もしも景色がまったく見えない場所で方角に迷ったら、家々の庭に植えてある木を、よく見てみましょう。クリスマスに飾る柊や、お正月に飾る南天。このどちらか、あるいは両方が植えてあれば、そこは間違いなく北東の隅です。北東はの方向といって、〈鬼門〉にあたります。鬼がやって来る方角ですね。
そこで鬼がとげを嫌がる柊の木や、〈難を転じる〉といわれる南天の木を植えて、〈鬼門〉除けにするのです。他愛のない話ではありますけど。風水思想によって、四神相応の地とされたことから、平安京が置かれた京の街。1200年以上経ったいまでも、方角を大切にしているのです。
「節分鰯と恵方巻」
「節分に丸かぶりする〈恵方巻〉って、京都からはじまった行事ですよね」そう言われることがよくありますが、発祥は大阪のようで、京都とはまったく関係ありません。
京都で節分に必ず食べるものといえば、鰯の塩焼きです。僕が子どもの頃から、ずっと節分には鰯を食べてきました。食べることもですが、食べた後が肝心なんです。鰯の頭と骨を柊の枝に刺して、玄関に飾るために食べるようなものです。柊の葉のとげを鬼は嫌がりますが、そこに焼いた鰯の強烈な匂いが加わりますから、鬼は絶対に寄り付かない、というわけです。豆まきをする前に、まず鰯を食べ、頭を玄関に飾る。これが京都の節分です。つまりは、ちゃんと理由があるのです。「恵方巻? なんやそんなもんが流行ってるそうどすな」です。
illustraion : Takako Shukuwa special thanks : Motoe Fuk
Discover Japan TRAVEL 2017年号『プレミアム京都』