TRADITION

老舗、一見さんお断り、おいでやす…。
柏井壽に学ぶ《京都の心を知るための22のことば①》

2021.10.6
老舗、一見さんお断り、おいでやす…。<br><small>柏井壽に学ぶ《京都の心を知るための22のことば①》</small>
photo by oliver0723

「おいでやす」、「おこしやす」……。京都を訪れると耳にするはんなりした言葉。何気ない言葉に秘められた本当の意味を、京都で生まれ育った柏井さんに教えてもらいましょう。

選・文=柏井壽(かしわい・ひさし)
1952年京都生まれ。大阪歯科大学卒業後、京都市北区で歯科医院開業。一方で、『京都』『日本旅館』『食』をテーマとするエッセイ、小説を執筆。近著に「鴨川食堂おまかせ(小学館文庫)」「京都に行く前に知っておくと得する50の知識(ワニブックス)」がある。

「老舗」

テレビのグルメ番組などを見ていると、京都の洋菓子店を紹介するのに「昭和50年創業の、老舗菓子店……」と言っていました。京都で本物の老舗と呼べるのは、創業から100年を超えた店だけです。50年にも満たない店は老舗でも何でもありません。ただ古ければ価値があるというものではありませんが、そこには自ずと決まりがあるのが京都です。

古さを自慢しないのも京都の店の特徴です。100年やそこらだと「まだまだ新参者ですさかい」と言い、数百年を超える店は「古いだけしか取り柄のない店です」と言う。

それが本物の京都の老舗ですから、自らを〈何代目〉などと自慢したりもしません。ましてや屋号に〈何代目ナニガシ〉などと謳うことは、古くからの京都人なら決してしないことです。京都は1200年をはるかに超える古い街ですから、老舗はいくらでもあります。それを自慢するのは野暮の極みだと知っているのです。

「一見さんお断り」

京都の店は〈一見さんお断り〉が多い──。確かにお茶屋さんはそうですが、料理屋さんをはじめとして、ほかの店はそうでもないはずです。半年以上も先まで、予約の取れない店もありますが、それはまた別の意味合いです。

お茶屋さんなどが〈一見さんお断り〉を貫いているのは、何もイジワルなのではなく、本当の意味での〈おもてなし〉をしたいからなんです。お客さんが何を望んでいるか、を徹底して追求し、心底満足してもらうためにあらゆる努力をする。そのためには、お客さんのことを知らないといけない。見知らぬはじめてのお客さんだと、好みも何もわからないから無理なんです。

加えて支払いもすべてお茶屋さんが立て替えて、後日の支払いになりますから、一見さんだと、それも難しいですね。長く築いてきた信頼関係があってこそなんです。〈一見さんお断り〉にはそんな理由があるのです。

「京の台所」

「錦市場」のことを〈京の台所〉と長く呼んできましたが、寂しいことに、いまでもそう思っている京都人はほとんどいなくなりました。 少なくとも20年ほど前まで、間違いなく「錦市場」は〈京の台所〉でした。それも別格の存在として。近所の市場と違って、「錦市場」へ買い物に行くときは、子どもですら緊張したものです。そこはプロの聖域でもありましたから。

かつて「錦市場」の店は、どこも厳選した商品を並べ、誇り高い商いをしていましたから、客が店に値踏みされるのも当然のことでした。いつからか、すっかり変わってしまいました。店は競ってイートインスペースを設け、あらゆるものを串刺しにして、食べ歩きを推奨する。食とは無関係の店も増え、アジアの屋台市場と変わらぬ雑踏と化しました。〈京の台所〉。それは市内のあちこちに残る市場に移ったのです。

「おいでやす」

京都の店を訪れて、最初にかけられる言葉が、ふた通りあることに気付く人は、少ないのではないでしょうか。通りがかって、ふらりと入った漬物店なら「おいでやす」と迎えられます。予約しておいた割烹店。暖簾をくぐり店に入ると、「おこしやすぅ、ようこそ」と女将が迎えてくれるはずです。

「おいでやす」は店に入ってきた客すべてにかける言葉ですが、「おこしやす」は、より丁寧に迎え入れる言葉だと思ってください。わざわざお越しいただいて、ありがとうございます、という気持ちを込めての「おこしやす」です。

京都人は、さり気なく。こういう使い分けをします。この違いに気付けば、自分がどういう迎え方をされているか、がわかります。もっとも最近では、京都以外の方のお店も増えてきましたが、そういうところでは、こんな使い分けなどされていないでしょうね。

「お見送り」

京都の店で食事を終え、勘定もすませて、店を出ます。心ある店なら、主人か女将のどちらか、もしくは両方が、店の外まで見送りに出てきます。ここで率直な感想を述べましょう。満足したなら、その旨をちゃんと伝えます。短い言葉で十分です。店にはまだほかのお客さんも居られるのですから、長話は禁物。

最後の挨拶を交わし、店を後にします。が、そのまま立ち去ってはいけません。振り返ってみましょう。じっと立ったまま、或いはお辞儀をして、見送ってくれています。会釈を返しましょう。互いの名残を惜しむ儀式のようなものですから。これがどこまで続くかといえば、角を曲がって姿が見えなくなるまで、です。なので、客はそこまで早く到達しないといけません。

名残を惜しむのが京都の慣わしです。だから、見送る側も見送られる側も、最後の余韻を味わう〈お見送り〉を大切にするのです。

「この前の戦争」

京都人が〈この前の戦争〉というときは、〈第二次世界大戦〉ではなく、〈応仁の乱〉のことをいっている。まことしやかにそういわれます。 長い歴史をもつ京都自慢の、古めかしい京都人気質を揶揄する言葉ですが、当たらずといえども遠からずです。

〈応仁の乱〉が京都に甚大な被害をもたらしたのは間違いありません。いまの京都に平安京の面影がまったくないのは、間違いなく〈応仁の乱〉のせいです。歴史上、重要な建築物を、ほとんど焼き尽くしてしまったのです。

歴史にタラレバは禁物ですが、もしも〈応仁の乱〉がなかったなら、京都には平安の香りがいまも漂っていたに違いないのです。そんな悔しい思いを込めて、京都人は〈応仁の乱〉を、〈この前の戦争〉だというのです。ただのジョークではなく、京都人の素直な心情の吐露ともいえるのです。

 

《京都の心を知る言葉》

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illustraion : Takako Shukuwa special thanks : Motoe Fuk
Discover Japan TRAVEL 2017年号『プレミアム京都』

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