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山口県の歴史【第2回|温泉編】
仏教と神道が交差する温泉「恩湯」の物語

2021.1.5
山口県の歴史【第2回|温泉編】<br>仏教と神道が交差する温泉「恩湯」の物語

いまや山口県長門市のみならず、編集部は山口県全域への興味が増してきました。そこで前回から続いてお届けするのは、山口県の「歴史」。

現代の山口県長門市にある立ち寄り湯「恩湯」には、その起源にまつわる物語が語り継がれています。この物語はただの昔話ではなく、時の統治者の視点から見ると、人々をまとめるために必要なストーリーであったことが垣間見られます。

なぜ仏教の寺と、神道の神社が結びつき、温泉を軸とした物語が生まれたのか。大寧寺の岩田啓靖住職と、下関市にある長門國一宮住吉神社の鳴瀬道生宮司に話をうかがいました。

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大寧寺
岩田啓靖 住職
1938年島根県生まれ。九州大学大学院文学研究科修了。’88年大寧寺第53世住職に就任。’99年〜2006年まで山口県立大学学長を務める。曹洞宗大本山総持寺顧問。山口県立大学名誉教授

長門国一宮住吉神社
鳴瀬道生 宮司
1946年山口県下関市豊田町生まれ。皇學館大學卒業後、豊田神社禰宜、次いで宮司へ。2009年長門國一宮住吉神社宮司に就任。その間、山口県神社庁理事4期、副庁長2期を務める

長門湯本温泉には「恩湯」と呼ばれ、600年の歴史をもつ立ち寄り湯がある。この湯を授けたとされるのは、恩湯の近隣に位置する大寧寺で仏門を修めたといわれる住吉大明神。温泉が湧き出る岩盤の上には、住吉大明神像が鎮座する

住吉大明神、大寧寺に現る

大寧寺第3世住職の定庵殊禅が境内を散策していると、石の上で座禅を組む老翁に出会った。定庵殊禅(じょうあんしゅぜん)が名をたずねると、その老翁は「住吉の神」であるという。

 

住吉大明神が大寧寺で修業!?

定庵殊禅は老翁を大寧寺に招き、老翁は仏道修行に励むこととなる。そして定庵殊禅は仏道の奥義を印可する菩薩大戒と錦の袈裟を、老翁に授けたのだ。

お礼としてもらえたのは……

老翁は恩に報いるため「温泉を出しておきましたのでご利用ください」と告げる。そして老翁は大きな竜に姿を変え、雷鳴を轟かせながら空に登っていった。

戦国時代、地方経営戦略のキーポイントは温泉だった!?

大寧寺の開山堂に安置されている木像の住吉大明神像。狩衣(かりぎぬ)の上に袈裟を掛け、冠を戴いた堂々たる神像である

——大寧寺の概要と住吉神社の由緒についてお聞かせください。

岩田 曹洞宗の寺院である大寧寺の開創は1410年。大内鷲頭弘忠公が開基となり、石屋真梁禅師を開山として迎えたのがはじまりです。開山堂には住吉大明神の尊像が奉安され、寺域には住吉大明神が座っていた安禅石が残るなど、温泉の起源をいまに伝えています。

鳴瀬 住吉神社は全国に約600社あり、「長門国一宮」である当社は三大住吉のひとつとされています。海の神とされる表筒男命(うわつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)の住吉三神を主祭神とし、当社では荒魂をお祀りしています。

住吉大明神が座禅を組んでいたとされる住吉大明神安禅石。大寧寺の本堂の西側にあり、長い歴史を感じさせる神さびた佇まいだ

——大寧寺には「恩湯」にまつわる物語が“史実”として記録されているそうですね。

岩田 ええ。過去帳には大寧寺の4世住職として住吉大明神の名が綴られており、月命日とされる23日には現在でも供養を行なっています。袈裟を掛けた住吉大明神像の前には、「當山傳法第四位當国一宮住吉大明神」と記された尊牌(そんぱい=身分の高い人の位牌)も安置されているんですよ。

鳴瀬 大寧寺では住吉の神を“人”として供養してくださっているんですね。当社には何も記録がないのですが、物語の根底には温泉の存在が影響しているのかなと。

岩田 推測ですが、当時この地を治めた戦国大名、大内氏による地方経営戦略があったのでしょう。そこで鍵となるのが温泉です。当時、禅宗を学ぶカリキュラムは5日間単位で、4日間修行をし、5日目に入浴するものでした。湯を沸かすのは、当時は難儀な作業ですから、温泉のある立地は都合がよい。さらに教養と語学力を備えた僧侶は、この頃外交官のような役割も担っていたので、大内氏はこれを利用しようと大寧寺を創建したのです。

鳴瀬 私の話も推測の域を出ません。しかし国宝に指定される当社の本殿は大内弘世によって造営・寄進されたもの。要は大内氏がスポンサーであったわけですね。神道では住吉神社、仏教では大寧寺、という筋書きを大内氏は描き、実践したのだと考えています。

岩田 禅宗を介して中国とやりとりをする際には、貿易、経済、軍事などが組み込まれました。日本と中国を往来する手段は船のみで、航路は荒々しい日本海や玄界灘。ゆえに大内氏は大寧寺の宗教や僧侶の能力を活用するとともに、航海安全の神である住吉大明神を祀る住吉神社との連携を考えたのでしょう。時の権力者は土地を支配する神々の力をも、統合しなければならなかったのです。

「恩湯」のすぐ近くにあり、住吉神社(左)では住吉大明神像を、興阿寺(右)では地蔵菩薩、不動明王、毘沙門天を祀っている

——大寧寺と住吉神社の連携を図るうえで、なぜ恩湯誕生の伝説が必要だったのでしょうか?

岩田 恩湯の源泉は昔もいまも大寧寺の所有です。つまり当時、入湯税は大寧寺の大きな財源でした。大内氏は大寧寺の経済的な自立をねらっていたのかもしれませんね。ただ、そのままの目的が人に伝わると、生臭い話と受け取られることを警戒したことも考えられます。そこで「恩湯は住吉大明神がお礼に差し上げたもの」という物語を構築したのではないでしょうか。

鳴瀬 恩湯の近くには住吉大明神を祀る社があるのですが、この地に「分け御霊をした」という記録は当社にありません。ではなぜここに住吉神社があるのかというと、長門湯本の方々が自発的に建立してくださったのでしょう。

岩田 これまで大寧寺と住吉神社に直接的な交流はなかった。しかし2020年に住吉神社の本殿造営・寄進650年展が開催され、そこで大寧寺所蔵の住吉大明神像が展示されたのです。おそらく初となる神像の里帰り遷座でしたよ。

鳴瀬 寺と神社は、普通仲が悪い。明治政府によって神仏分離令が発せられましたしね。だけど私は、大寧寺と下関の住吉神社は同じ傘の中だと思っているのです。

大寧寺
住所|山口県長門市深川湯本門前1074-1
Tel|0837-25-3469
参拝時間|8:00~17:00

住吉神社
住所|山口県下関市一の宮住吉1-11-1
Tel|083-256-2656
参拝時間|6:00〜18:00(10〜3月は~17:30)

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山口県の歴史
1|中世編~中世史から見えた、近代の先鋭的な政治力~
2|温泉編~仏教と神道が交差する温泉「恩湯」の物語~
3|幕末・明治維新編~維新志士は、なぜ長州に多い?~

text=Nao Ohmori photo=Seitaro Ikeda,Daisuke Abe


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