TRADITION

「一楽、二萩、三唐津」。茶陶の名器
萩焼の次世代を担う、若き旗手の想いは…

2020.11.25
「一楽、二萩、三唐津」。茶陶の名器<br>萩焼の次世代を担う、若き旗手の想いは…

約400年の歴史をもつ「萩焼」で、萩焼深川窯の名跡「坂倉新兵衛」の後継者であり、いずれ16代坂倉新兵衛の名を引き継ぐことになる坂倉正紘さん。日々、技術と精神を磨きながら、「萩焼とは何か」という深淵な問いの答えを探し続けます。

坂倉 正紘(さかくら・まさひろ)
1983年、山口県長門市生まれ。2007年に東京藝術大学彫刻科を卒業し、’09年に同大学大学院彫刻専攻修了。その後、京都市伝統産業技術者研修で2年間、陶芸の技術を学んだ後、’11年に父である15代坂倉新兵衛の下で作陶の道に入る

萩焼とは何か……
「その本質を、探し続けています」

取材当日に使用されていた窯。萩焼に使われる胎土は、高温で焼いても焼き締まりきらず、吸水性に富んだ仕上がりとなるのが特徴だ

登り窯に薪が放り込まれるとパチパチと音をたてて爆ぜ、赤々とした炎が周囲を明るく照らす。窯から立ち上る煙が白色や黒色に変化しながら、谷に吹く風に舞い、木々を染めながら青空に吸い込まれていく。

山口県長門市の長門湯本温泉街のほど近く、音信川の支流をたどるように上った道の一番奥に、約400年の歴史をもつ萩焼の窯元「坂倉新兵衛窯」はある。

窯に火を入れる前、釉薬をかけるプロセス。「大学・大学院では彫刻を専攻しましたが、萩焼の道に入ること自体は自然なことでした」と正紘さん
父であり師匠でもある15代坂倉新兵衛氏。多くは語らないが、正紘さんを見つめる視線は厳しくも愛情にあふれていた

清らかな水と静謐な空気が満ちるその谷は、作陶の聖域

長門湯本の温泉街の賑やかさから一転、支流に沿うように、谷合いに窯元が点在する深川湯本三ノ瀬は、静かな深山の雰囲気が漂う

萩焼は、戦国大名の毛利輝元が関ヶ原の戦いの後、萩に本拠地を移した後に萩藩の御用窯として開かれた。開窯の中心となったのは、朝鮮半島から招致された李勺光や李敬などの「高麗茶碗」の技芸をもつ陶工たちだ。李勺光の子・山村作之允は李敬とともに御用窯を率いていたが、1657年に作之允の子である山村平四郎光俊が、藩の許しを得て、弟子たちと深川(現・長門市深川湯本)に移住し、第二の御用窯を創業。自家営業も認められ半官半民の窯として歴史を重ねてきた。

「一楽、二萩、三唐津」と呼ばれ、茶の湯の世界で好まれる萩焼だが、その特徴は土と登り窯。大道土、金峯土、見島土と3種類の原土を合わせて成形し、登り窯でじっくりと焼くことで、柔らかくふっくらした質感に仕上げる。また胎土は高温で焼いても焼き締まりきらず、吸水性に富んで「貫入」と呼ばれる細かいひび模様が表面に入る。使い込むうちに貫入に茶などが染み込み、色合いが変化して「侘び寂び」に通じる味わい深がさ感じられるように。これを「萩の七変化」と呼び、茶人たちに愛されてきた。

このような歴史ある萩焼において、深川窯の名跡「坂倉新兵衛」の後継者であり、自身も約10年前から作陶の道に入った坂倉正紘さんは、次世代を担う若き旗手。父・15代坂倉新兵衛の下、向上に励みつつ、萩焼の未来について探求し続けている。

かつて数々の銘品を生み出してきた、近隣の窯元共同の登り窯がひっそりと保存されていた
作業場の裏手の急峻な山の中腹には松の巨木が。2代の坂倉新兵衛の墓松でもある
山の中に静かに佇む坂倉新兵衛窯の茶室。茶人に愛されている萩焼の作品を、かつてはこの茶室で愛でてもらうために茶会が催されていたという

まだ見たことのない「萩焼」を求め
己の心に、向き合う

「萩茶盌 大道粉引」
伝統的な萩焼の胎土、大道土を主原料にする伝統技法ながら、素焼きせずに施釉して焼成。柔らかく穏やかな土味が好まれる萩焼には珍しい、焼け付いたような質感や、独特の窯変など、より土と炎の力を感じられる作品を目指す

「萩焼とは、何か。土を焼くとはどういうことなのか。説明書では語れない、本質的なものを探したいと思っています」。静かに語る坂倉正紘さんは、15代坂倉新兵衛の長男として生まれた。「この道に入ることはまったく嫌じゃなかった。大学・大学院では彫刻を専攻しましたが、そこでも土を焼いてつくっていた。土が好きなんです」

2011年に長門市深川湯本に帰ってきてから、「土」に向かい合うために山に入るようにしているという。「山の中では五感が研ぎ澄まされます。動物に会うこともあるし、土を掘っていると、縄文時代から人間はこうして土から焼物をつくってきたのだろうと考えます。とくにこの窯は、この先どこにも通じていない、谷の“どんつき”にあるためか、どこか不思議な空間ですよね。ほかのなにかが入る余地がなく、まるで外の世界から取り残されたかのような」

さらに「山の土は、10m離れるだけでまったく別のものになります。あらかじめ精製された土と違って、自分で掘った土は決して使いやすくはないけれど、その土だからこその魅力を引き出したい」と真摯なまなざしで語る。

土感、素材感、焼けついたような質感──。正紘さんが表現したいものは、萩焼の技法を踏襲しながらも「萩焼」ではない。「萩焼は、色合いや土の精製法などの技法や様式で縛るのではなく、もっとおおらかに捉えてよいのではと思います。新しいことに変に躊躇をしたくないです。ただ、私の土の精製法は萩流ですし、登り窯を使います。その他、さまざまな工程で萩焼作家のアプローチをとっています。おそらくほかの産地では違う方法をとるだろうと思いながら。萩焼らしさは、そのくらいでいいのかなと。あくまでも作り手としての視点ですが。むしろ萩焼らしくない、まだ見たことのないものをつくりたいです」。アート作品も手掛ける、正紘さんらしい言葉だ。

いつの日か継ぐ“16代”についての想いを聞くと、「父の作品が僕の中の“萩焼”像です。それは坂倉新兵衛窯のオフィシャルなものとして、引き継ぐスタイル。僕のスタイルと似て非なるものですが、決して『非』ではない。両方あっていいと考えています」と、柔らかな応えが返ってきた。

「陶芸家に必要なのは、持久力かもしれません。土づくりから焼成までのすべての作業に、物理的に時間がかかりますから」と話す坂倉正紘さん
「だいだら坊」
深山に住み、山や湖沼をつくった大男として日本各地に伝承が残る“だいだら坊”(ダイダラボッチ)の名を冠したアート作品。窯の裏山で掘った土をそのまま固めた武骨さに、山や土、自然に対する「畏敬の念」が表れている

text:Tomoko Honma photo: Ryusuke Honda(bird and insect)
Discover Japan 2020年12月 特集「うつわ作家50」


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