父娘の情念のせめぎ合い
「神霊矢口渡」お舟と頓兵衛
おくだ健太郎の歌舞伎キャラクター名鑑
名作歌舞伎を彩る個性豊かなキャラクターを、歌舞伎ソムリエのおくだ健太郎さんが紹介。今回取り上げるのは、江戸時代の奇才・平賀源内が書いた「神霊矢口渡」に登場する若き娘のお舟と強欲な父・頓兵衛です。
おくだ健太郎
歌舞伎ソムリエ。著書『歌舞伎鑑賞ガイド』(小学館)、『中村吉右衛門の歌舞伎ワールド』(小学館)ほか、TVなどで活躍。http://okken.jp
江戸時代のマルチ文化人・平賀源内が書いた芝居です。玉川べりの新田神社が参詣客の減少に悩み、「このお社を題材にした芝居を、話題づくりのために書いてほしい」と源内にもちかけて、上演が実現しました。大河ドラマにからめた地域おこしのルーツ、ともいえる作品です。
『太平記』の南北朝の時代が、物語の背景になっています。新田義貞の遺児・義峯は、深い仲の傾城うてなとともに、関東まで落ち延びてきましたが、追手の目が厳しいので、川岸に近い家に一夜の宿を求めます。
家の娘・お舟は、美しい義峯をひと目見て、メロメロ。「100年でも1000年でも、好きなだけ逗留してください♥」と、うてなの存在を気にしつつも、積極的にアプローチします。
義峯の心もなびきかけた、そのとき、唐突にドロドロ……と太鼓の音が聞こえてきて、二人は気絶してしまう。これ、神さまが警告してるんですね。「やめておけ! 大変なことになるぞ」という天の声です。神社をティーアップさせるための芝居ですから、こういう趣向が挟んであるわけ。
さて、お舟には頓兵衛という父がいます。年老いた渡し守ですが、とてつもなく強欲な男。ほうびの金欲しさに、かつて、義峯の兄を、彼を乗せた船ごと川に沈めて始末しています。ですから義峯は偶然にも、兄の敵が住む家に助けを求めていたわけですね。
さぁ頓兵衛は、2匹めのドジョウを……とばかりに、この義峯も殺して、たんまりほうびをせしめたい。わが家の床下へ忍んで、頭上に狙いを定めると、グサリと刀を突き上げます!
「うーん……」と苦しむ声に、よし、と頓兵衛が、仕留めた相手を確かめると、なんとそこには、お舟。愛しい義峯を救いたくて、身代わりになっていたのです。この展開、オペラの『リゴレット』に、誠によく似ています。
親不孝者め! と瀕死の娘をののしると、頓兵衛は、いちもくさんに義峯を追い駆けます。むき出しの刀を肩に担ぎ、老いの身もいとわず、ほうび欲しさの全力疾走……とはいえ、そこは老いぼれ、息は乱れ足どりはよろつき、醜さと執念深さがいっしょくたになった、ものすごい姿です。
駄目! 義峯さま逃げて! とお舟は、最後の力を振り絞って、やぐら太鼓を打ち鳴らします。この合図で村の囲いを解いて義峯を遠くへ逃がしたいからです。
さぁ、強欲おやじが勝つか、命懸けの恋にかけた娘が勝つか、情念と情念がせめぎ合います!
text=Kentaro Okuda illustration=Akane Uritani
2019年12月号 特集『人生を変えるモノ選び。』