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五感を使う美しき京都の食
柏井 壽のエッセイ

2024.12.18
五感を使う美しき京都の食<br>柏井 壽のエッセイ

世界に冠たる美食都市と評される「京都」。そんな京都を知り尽くした作家・柏井壽さんが、実際のおすすめの店を紹介しながら、京都の食と“美”との結びつきについて伝えるエッセイ。京都の美しい店とはを考え抜いた柏井さんが京都での店選びで見るべき基準を教えてくれる。五感を使って愉しむ京都の食とは?

柏井 壽(かしわい ひさし)
1952年、京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業するかたわら、京都や日本全国の旅や食、旅館にまつわるエッセイを執筆。ドラマ化もされた『鴨川食堂』(小学館)シリーズといった小説も執筆している

京都の食と“美”の強い結びつき

世界に冠たる美食都市。しばしば京都はそう評されますが、決してそうではありません。美食という言葉を辞書で引くと、「ぜいたくでうまいものばかり食べること。また、その食事」とあります。“ぜいたく”も、“うまいものばかり”も、京都の食には当てはまりません。

たとえば京都の食を代表する料理であるおばんざいは、ぜいたくとはほど遠いもので、その対極にある言葉、質素を旨とする料理です。
あるいは京料理の原点とも言えるのは、寺方の精進料理や懐石料理などですが、それらとて、ぜいたくという言葉で表されるものではないのです。そもそも懐石料理というものは、古く修行僧たちが空腹をしのぐために、懐に温めた石を忍ばせたことを語源とするくらいですから、ぜいたくとはまったく無縁なのです。京都に美食という言葉は似合いません。

ではありますが、京都の食は“美”という文字と強い結び付きをもっています。なぜなら京都には古くから、独特の美学が伝わっているからです。京都の食は美しい。美しくなければ京都の食とは言えません。料理そのものだけではなく、食を取り巻くあらゆるものが美を湛(たた)えることで、京都の食は成り立っているのです。

その規範となるべきなのが料理屋さんであるのは当然のことです。美しい店はかならず美味しい。そう確信しています。ぼくが美しいと思う店の例を何軒か挙げて、お店選びのヒントにしてもらおうというのが、このコラムの趣旨です。

 

美しい店はかならず美味しい?

美しい店の要素、まずは佇まいです。京都ならではの美しい佇まいをもつ店は、食べる前から胸を躍らせてくれます。
凛として、しかしお客が自然と誘われるような佇まいの代表は「点邑(てんゆう)」。日本一の名旅館「俵屋旅館」が営む天ぷら屋さんです。麩屋町通に面した店の入り口は至極控えめで、うっかりすると通り過ぎてしまいそうですが、建屋と黒塀の狭間に石畳が奥へと延びていて、すーっと引き込まれます。打ち水されたこの石畳を、黄昏時に歩けば、思わず息をのんでしまうほどの美しさです。

出町桝形商店街のそばにある「西角」の入り口も、同じような路地の空気でやさしくお客を迎えます。まったくの偶然ですが、「点邑」も「西角」も天ぷらを得意料理としています。京都で天ぷらを、となればまずはこの2軒をおすすめするのは、美しい店だからでもあります。

店の佇まいの美しさは何も日本建築に限ったことではありません。たとえば四条大橋の畔に建つ「東華菜館」の佇まいも京都ならではの美しさでお客を迎え入れます。かのヴォーリズ設計の洋館は細部にまで美が宿り、とりわけ玄関のファサードに施された意匠は、モダン建築の粋を凝らしたものですが、それをことさら売り物にすることなく、すぐそばを流れる鴨川の流れや、対岸に建つ南座ともよく調和しています。これ見よがしな大仰な仕掛けは、京都には似合いません。控えめでありながら、センスのよさがきらりと光る店構えでお客を迎えるのが要諦です。

その典型が京町家ですが、お手本となるのは「割烹しなとみ」。いっときほどではないものの、京町家を使った料理屋さんは高い人気を誇っています。しかしその中には、町家を強調するあまり、余計な意匠や装飾を施したりして、美しさを損ねている店も少なくありません。何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し、なのです。

京都御苑のすぐ近くに店を構えていて、おまかせコースでもアラカルトでも食べられる、使い勝手のいい割烹店です。連棟(れんとう)造の京町家。狭い間口の店の2階は鍾馗(しょうき)さんを祀った縦格子で目隠しされ、1階の右手が名栗戸、左手は店の中が垣間見えるガラス張り、その前には大きな松の鉢植えが置かれています。余計なものをそぎ落とし、瀟洒(しょうしゃ)という言葉がぴたりとはまる美しい店構えは、それだけですでに美味しさを確約してくれます。

佇まいの一環とも言えるのが草花です。坪庭の草木をはじめ、飾られた鉢植え、生けられた花々の美しさもまた、料理店にとっては極めて大切な要素ですが、「割烹しなとみ」に活けてある花には、いつも見とれてしまいます。季節を先取りした和花を、選りすぐりの花器に活け、洗練を極めた美しさが目を愉しませてくれるのです。花器も花もあくまでさりげなく、野にあるような佇まいです。

料理と同じく、花もうつわ次第と言っていいでしょう。どんなにきれいな花でも、不似合いな花器だと台無しになってしまいます。花そのものも華麗よりも楚々。すべては控えめを旨とすべしです。

「点邑」、「西角」、「割烹しなとみ」とここまでに書いてきた和食の店は、どこも控えめを旨としていて、その慎ましさが美しさを際立たせているのです。そしてその美しさの原点になっているのが、お客本位という真っ当な姿勢です。お客の立場に立てば、余計な蘊蓄などは不要で、無心で味わうのが一番だとわかるので、語り過ぎないという気が働きます。

おまかせコースのみ、いっせいスタートの店の多くは料理人の語りも売りになっているようですが、お客ではなく、料理人が主役に見えてしまうのは、それゆえのことです。料理もうつわ遣いも、どーだ!とお客に披瀝するのは、京都のお店本来の慎ましさとは相容れません。つまりは、お客の立場に立っていることで、京都の店は美しさを醸し出していると言えるのです。

五感を駆使して味わう

それは客席からの眺めにも表れます。「点邑」の窓際席では、「俵屋旅館」にも似た豊かな緑が目に入りますし、「下鴨茶寮」だと、1階ではよく手入れの行き届いた庭園、2階の部屋からは東山や高野川の流れが目を愉しませてくれます。外の眺めが得られない店でも、内なる眺めで美しさを魅せることができます。
「割烹しなとみ」のように、カウンター席の横壁に小さな掛花生けを吊るし、そこに野花の一輪でも生ければ、たおやかな眺めになります。とかく殺風景になりがちなカウンター席からの眺めですが、料理人の背後の壁に銘竹を貼りめぐらせると一幅の絵のようになります。

下鴨の住宅街に暖簾を上げる「鮨かわの」や、大宮通の鞍馬口通近くに建つ「紫(ゆかり)」では京都らしい竹壁を眺めながら、旬の料理を堪能できます。竹林をも思わせる雅な意匠は、どこか平安の都をほうふつさせ、ゆったりした時の流れを醸し出します。

1200年を優に超える歴史をもつ京都には、さまざまな伝統工芸が伝わり、それらもまた美しい店につながるのですが、行き過ぎると野暮になり、それがあらわになるのがうつわ遣いです。
料理を取り巻く美しさの中で、最も大きなウエイトを占めるものと言えば、料理を盛りつけるうつわなのですが、乾山や魯山人作といった銘品だと、先に説明されるとお客は端からひれ伏してしまい、虚心坦懐にうつわを味わうことができなくなってしまいます。

このあたりは料理の説明と同じ構図ですね。どこそこ産の稀少な食材を、かくかくしかじかの調理法で、これほどの手間をかけて調理したと、食べる前に料理人から説明を受ければ、先入観が味覚をじゃましたとしても仕方ないでしょう。
昨今の料理評論家さんや、グルメライターさん、ブロガーさんなどは、こぞって食材や料理法などの細かな部分にまで言及して賞賛されますが、うつわについて語る人がほとんどおられないのは、残念至極です。うつわに触れたとしても、たいていが店側の受け売りで、銘品にひれ伏すような記述しか見当たらず、視覚的なうつわと料理の相性や、手触り、口触りなど触覚で感じた記述は皆無と言えます。プロをはじめとした食通ですらそんな有様ですから、一般のお客がうつわに無頓着であっても、やむを得ないでしょう。

うつわというものは奥の深い世界ですから、それなりの知識や経験がないと、そのよさを理解するのはなかなか難しいものがありますが、好き嫌いで判断しても一向に構わないのです。評価の高低よりも自分の好みを優先したほうが、うつわへの造詣を早く深めることができるように思います。たとえばぼくの好きなうつわは、加藤静允さんという京都のお医者さんが作陶されたもので、通い詰めているお店では、不思議とこの作家さんのうつわが出てくるのです。「点邑」、「鮨かわの」、「八条口 燕en」など。ちなみにぼく好みの宿「俵屋旅館」や修善寺の「あさば」でも、よくこの作家さんのうつわが出てきます。ただこれらの店や宿では、わざわざ作家の名前を出したりしないので、知らなければただの食器に過ぎないのですが。

料理屋さんの美しさはこんなところにも表れます。美しい料理屋さんは多くを語り過ぎないのです。調理法やうつわなど聞かれれば答えてくれますが、あくまで控えめで、自慢げに語ることはありません。店の外から内、席に着くまで、目に入るものや香り、音に至るまで五感に響くあれこれこそが外食の大きな愉しみなのです。 五感とは、人間や動物が本能的に備えている五つの感覚を言い、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚がそれです。その五感を駆使して味わうのが、本来の食の姿なのですが、近頃は五感よりも知識が先行するようで、そうなると五感が鈍ってしまいます。

視覚については、すでにあれこれ書いてきました。聴覚について言えば、音楽のあるなしも影響します。日本料理の店は基本的に無音ですが、割烹によっては静かなジャズやクラシックが似合う店もあります。耳当たりがよければそれもありだと思います。触覚も大事ですね。磨き込んだカウンターの手触りには快感を覚えます。「今宮神社」近くにある「雄飛」というお鮨屋さんのカウンターはビロードのような手触りで、触れるたびにうっとりとしてしまいます。食事中ずっと手にするお箸の手触りも大事ですし、日本酒を飲むときの杯も同じく、手に馴染むかどうか、で気分が違ってきます。味覚や嗅覚についてはそれぞれ好みがありますから、どれが美しい味わいかどうか、は決めつけることはできません。

出汁の重要性は言うまでもありませんが、ことさらに料理人さんがそれを強調される、昨今の流行は美しいとは言えないものです。お客の目の前で鰹節を削ったり、昆布出汁を引いて、それをお客に飲ませるのは、本筋から外れているように思います。舞台裏をお客に見せるのは美しくないでしょう。カウンターの向こうから、ほんのりとお出汁の香りが漂ってきて、やがて目の前に出されたお椀の蓋を外すと、一気に芳しい香りが広がる。料理はそうあってほしいものです。

嗅覚についてはもうひとつ。お香を焚く店は意見が分かれるかと思います。魚臭かったり下水の匂いがしたり、は論外ですが、お香の匂いは時として味をじゃますることがあるので、美しいとは言い切れません。こうして五感すべてを通して、美しさを感じ取れるのが、京都ならではの店なのです。口コミサイトの点数や、格付け本の星の数、予約の困難さや行列の長さ、ではなく、どれほどの美しさをたたえているか、を京都の店選びの基準にされることを強くおすすめします。

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今回エッセイの中で紹介したお店

点邑(てんゆう)
​​住所|京都市中京区麩屋町通三条上ル
Tel|075-212-7778
営業時間|11:30〜13:00(最終入店)、17:30〜19:00(最終入店)
定休日|不定休

西角(さいかく)
住所|京都市上京区出町枡形
Tel|075-241-1571
営業時間|17:00〜21:00
定休日|水曜、第3火曜

割烹しなとみ
住所|京都市上京区信富町315-4
Tel|075-366-4736
営業時間|17:30~22:00(最終入店19:30)
定休日|水曜、ほか月2回不定休あり※完全予約制

東華菜館
住所|京都市下京区四条大橋西詰(本店)
Tel|075-221-1147
営業時間|平日11:30〜15:00(L.O.14:30)、17:00〜21:30(L.O.21:00)土・日曜、祝日11:30〜21:30(L.O.21:00)
定休日|不定休(週1日)

​​下鴨茶寮
住所|京都市左京区下鴨宮河町62
Tel|075-701-5185
営業時間|11:30~15:00(L.O.13:30)、17:00~21:00(L.O.20:00)
定休日|火曜

鮨かわの
住所|京都市左京区下鴨東半木町72-8
Tel|050-3503-4867
営業時間|12:00〜14:00、17:30〜22:00
定休日|月曜

紫(ゆかり)
住所|京都市上京区大宮通寺之内上ル三丁目筋違橋町561
Tel|075-415-2666
営業時間|18:00〜23:00
定休日|木曜

八条口 燕 en
住所|京都市南区東九条西山王町15-2
Tel|075-691-8155
営業時間|17:30~23:00
定休日|日曜

雄飛
住所|京都市北区紫竹西南町70-6
Tel|080-8533-8880
営業時間|17:00〜23:00(相談可)
定休日|不定休(相談可)

text: 柏井 壽 illustration: Takako Shukuwa
Discover Japan 2024年11月号「京都」

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