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“日本近代医学の父”ベルツ博士が認めた
湯治の本質は“予防医療”だった
|日本人と温泉にまつわるエトセトラ④

2024.2.15
“日本近代医学の父”ベルツ博士が認めた<br><small>湯治の本質は“予防医療”だった<br>|日本人と温泉にまつわるエトセトラ④</small>
ベルツが可能性を感じていた草津温泉の錦絵。手前には温泉街が描かれ、多くの人々が街を行き交っているのがわかる
孟需義虎『上州草津温泉全図』/東京大学総合図書館蔵

多くの火山を有し、全国各地に多様な温泉をもつ日本。日本人にとって温泉は野戦病院として利用されるほど、病気やけがの治療の選択肢として大切にされてきた。
 
今回は、日本の伝統的な湯治を世界に発信したベルツの功績と、現代にまで続く予防医療としての湯治について紹介する。

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“日本近代医学の父”ベルツ登場

1876(明治9)年にドイツから来日した青年医師エルヴィン・フォン・ベルツ(1849〜1913)は、東京医学校(現東京大学医学部)の内科正教授として、西洋医学のわが国への導入に務めた功績で、“日本の近代医学の父”と称されている。そのベルツが、一方でわが国の伝統的な湯治に注目したことは彼の優れた資質のたまものであった。江戸初期に後藤艮山が温泉の治癒力を称揚して以来、湯治は“治療医学”として根強く受け継がれてきていた。それをベルツが認めたのだ。

ベルツは「持続性の温浴について」(1884年)と題する論文を『ベルリン臨床医学』に発表した。群馬・川中温泉のぬる湯での「長時間浴法」に関するもので、わが国の湯治を海外に報告した最初のものとなった。さらにベルツを魅了したのが、草津の熱湯による「時間湯」の入浴法とその効能であった。一方で、ベルツは難病を患う湯治客が粗末な共同湯に浸かるだけで、なんら医学的処置が施されていないことに驚きを禁じ得なかった。ベルツは日本の独特の湯治療法を、西洋の近代科学の成果で裏打ちしたいと願ったようだ。ついには政府に「皇国の模範となるべき一大温泉場建設意見書」(1887年)を提言するに至る。箱根に各種の浴法装置を備え、学術兼備の医師が常駐する温泉場を建設し、日本の温泉場のモデルに、と提言したのだが、その理念は理解されなかった。思い余ったベルツは、草津に約4haの土地を取得し、自ら温泉保養地建設を目論むが、「外国人に温泉は供給できない」と拒否された。

予防医療こそ、湯治の本質

画像はイメージです

近代の湯治学の先達として、大正から昭和中期にかけて活躍した西川義方(1880〜1968)の名を挙げたい。西川は内科医学者で、宮内省侍医として27年間、大正天皇、貞明皇后の健康管理にあたった。3000ページに及ぶ西川の名著『内科診療の実際』(1922年)は、初版以降、1975(昭和50)年の改訂70版まで続いた。日進月歩の医学界にあって、半世紀も臨床医に愛用されたのだ。それほどの実力者であったが、一方で西川は湯治療法の普及に情熱を傾け、「温泉と健康」をテーマに啓蒙書を続々刊行した。
 
ヒトの生体はひとつの有機体である。別々の器官に分解しては機能しないように、温泉もまた同じだ。その効能は個々の成分によってのみ効くわけではない。温泉は特定の器官に作用するのではなく、有機体としての全身に働きかける——。西川の温泉論は核心を突いたものと思われる。温泉は自律神経系、免疫系、ホルモン系などに働きかけ、ヒトの生体を本来あるべき姿に正すことにより、結果として患部にも作用するからである。「予防に勝る治療はない」——。令和の現代における湯治の本質が“予防医療”としてのそれであることは、過去1世紀近くと同様に揺らぐことはないと考える。

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text: Tadanori Matsuda
Discover Japan 2024年2月号「人生に効く温泉」

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