TRADITION

自然と仲良く暮らすヒントが満載!
キーワードでひも解く
「縄文スピリット」【社会・経済編】

2021.9.4
<small>自然と仲良く暮らすヒントが満載!</small><br>キーワードでひも解く<br>「縄文スピリット」【社会・経済編】

縄文人の暮らしをキーワードでひも解くと、現代の日本人が大切にすべき知恵や技、哲学が見えてきます。平等で平和な縄文人の暮らしを支えていたのもやはり、自然の恵みと、自然から学んだ縄文スピリットでした。8つのポイントをイラストとともに解説していきます。

≪前の記事を読む

環境負荷ゼロ!丸木舟輸送

縄文時代、漁や水運を利用した物資の運搬、移動に使われていたのは、木の幹をくりぬいてつくった丸木舟だった。長さ6〜7m、幅60㎝ほどの大きなものから、その半分ほどの小さなものまで、全国で約100遺跡から170艘以上が見つかっている。1艘をそのまま使ったのはもちろん、長距離を移動する場合には、双胴船のように2艘を横に並べ、安定性を増して使っていたとも考えられる。

縄文バイヤーは海外へも!?

装身具などに使われたヒスイやコハク、などに使われた黒曜石、接着剤などに使われた天然アスファルトは、広範囲の縄文遺跡から見つかっている。それぞれの産地は限られているため、これらは交易によって各地に運ばれたと考えられる。特に黒曜石は海を渡り、アムール川流域やサハリンでも見つかっている。とはいえ、産地周辺に富が集中していた形跡がないことから、ビジネスではなかったと考えられる。

手土産を持って交流旅行

定住生活を営む縄文人も旅に出ることがあった。“お近づき”の印として、玉類や黒曜石などの手土産を持ってほかの集落を訪ねた旅人は、集落間の情報伝達や交易の役割を担っていたと考えられる。仲人役となって、結婚相手をほかの集落に求めたとも考えられる。また、カミへの感謝を表し、循環再生の祈りを込めて行っていた祭りも、集落内の団結を強めると同時に、ほかの集落と交流する機会でもあった。

高度な加工技術がいまの伝統につながる

垣ノ島B遺跡の早期の墓からは、身にまとったと思われる編布状の漆製品が見つかっている。約9000年前のものと推定されるこの漆製品は現時点で世界最古のもの。ウルシの樹液を塗料にするには高度な技術が必要で、漆を使った工芸品は、多くの工程を経てやっと完成する。自然を理解し、そこに技を利かせて活用することで文化をつくり上げた縄文人。そのスピリットは、現代の日本のものづくりの礎となっている。

上下関係のない共同体が1万年の秘訣?

縄文集落は、祖先の霊を祀る墓地広場を中心に、竪穴建物が等間隔に並ぶ環状集落。このことと、集落内に特別に区画された居住跡や施設跡がないこと、財産を副葬した大きな墓がないことなどから、縄文時代の共同体(ムラ)には、権力者はいなかったと考えられる。自然の恵みは平等に分配し、助け合いながら輪になって暮らす平和な社会。これこそが縄文時代が1万年以上も続いた理由だろう。

ペット埋葬は縄文から?

あらゆるものにカミが宿ると考えていた縄文人は、貝殻や魚の骨などの食べかすから、壊れた道具や灰、炭などまで、さまざまなものを送り場で感謝の気持ちとともにカミの元へ送り、再生を願った。死者も地面に穴を掘った土坑墓やもの送り場に埋葬した。また、人と同じように丁寧に埋葬された犬の骨も見つかっており、犬を育て大切にしていたこともうかがえる。

知識の共有が強い集落をつくる!

お互いに助け合う縄文時代の暮らしでは、狩猟の方法や道具などのつくり方、集落内の習慣、部族の歴史などについての知識、知恵を、協働する中で共有して次世代に伝え、集落の結束を強めていたと考えられる。ちなみに土偶や土器のかたち、文様は、精神哲学や信仰を共有する地域固有のもので、同族であることを示すサインでもあった。

差別のない世界で共存共栄

入江貝塚で見つかった20歳に近い人骨は、手足が異常に細いことから、なんらかの病気が原因で立って歩けなかったと考えられ、寝たきりの生活を送っていた可能性が高い。丁寧に埋葬されたということは、家族など周囲の人々が助けていたのだろう。自然を敬って感謝しつつ、その恵みを平等に分け合い、お互いに助け合う——これこそがまさに縄文スピリットといえる。

text: Miyu Narita illustration: Michihiro Hori
Discover Japan 2021年8月号「世界遺産をめぐる冒険」

 

新世界遺産!北海道・北東北の縄文遺跡群の全貌
 

≫続きを読む
 

RECOMMEND

READ MORE