TRADITION

縄文文化の形成と発展に迫る
北海道・北東北の縄文遺跡群の全貌

2021.9.10
<small>縄文文化の形成と発展に迫る</small><br>北海道・北東北の縄文遺跡群の全貌
「三内丸山遺跡」から多数出土した「板状土偶」と呼ばれる十字型の土偶

世界遺産登録の審査機関「イコモス」が認めた北海道・北東北の縄文遺跡群の価値、そして縄文文化の魅力とは?考古学者・岡村道雄先生に「集落展開及び精神文化に関する6つのステージ」「縄文文化とその広がり」という、ふたつのテーマで解説してもらいました。

岡村道雄(おかむら・みちお)先生
考古学者。自称“杉並の縄文人”。宮城県東北歴史資料館、文化庁、奈良文化財研究所などで勤務。三内丸山遺跡の発掘調査などにかかわり、縄文遺跡群世界遺産登録推進専門家委員会委員も務めた。著書に『縄文の列島文化』(山川出版社)などがある。

集落展開及び精神文化に関する6つのステージ

ステージⅠ 定住の開始

Ⅰa 居住地の形成
(紀元前1万3000年〜紀元前7000年)
氷河時代が終わって急激に温暖化し、日本列島に現代と同じような自然環境が生まれた。人々は、その新しい環境に合わせて、それまでの遊動生活から定住生活を開始。土屋根の竪穴建物に住み、土器や弓矢を使いはじめる。

▼北東アジア最古級の土器が出土
青森県・外ヶ浜町「大平山元遺跡」
縄文時代/草創期

Ⅰb 集落の成立
(紀元前7000年〜紀元前5000年)
日本各地に定住集落、海辺や湖岸に貝塚集落が営まれる。居住域と墓域が分離し、独特な墓制が成立する。垣ノ島B遺跡では、墓穴から現時点で世界最古となる、約9000年前の漆製品(赤漆塗り装束)が見つかっている。

▼足形付土版が出土
北海道・函館市「垣ノ島遺跡」
縄文時代/前期

ステージⅡ 定住の発展

Ⅱa 集落施設の多様化
(紀元前5000年〜紀元前3000年)
初頭の温暖期に、現在に比べて海水面が3mほど上昇(縄文海進)。現在、内陸部になるところにも貝塚が分布している。中央日本では環状集落が発達した。北東北では集落内に多様な施設が計画的に配置されるようになる。

▼内浦湾岸に位置する集落跡
北海道・伊達市「北黄金貝塚」
縄文時代/前期

▼古十三湖に面した貝塚を伴う集落跡
青森県・つがる市「田小屋野貝塚」
縄文時代/前期

▼精巧な鹿角製櫛が出土
青森県・七戸町「二ツ森貝塚」
縄文時代/前期

Ⅱb 拠点集落の出現
(紀元前3000年〜紀元前2000年)
東日本で人口が増え、集落が大規模化した。北東北〜北海道南部では前期半ばから中期半ばまで円筒文化が栄えた。周囲に点在する複数の小規模集落を束ね、祭祀や物流の要となる拠点集落が現れ、地域社会が成立した。

▼円筒文化を代表する巨大集落跡
青森県・青森市「三内丸山遺跡」
縄文時代/中期

▼道南の大規模拠点集落
北海道・函館市「大船遺跡」
縄文時代/中期

▼円筒文化と大木文化の境に位置
岩手県・一戸町「御所野遺跡」
縄文時代/中期

ステージⅢ 定住の成熟

Ⅲa 共同の祭祀場と墓地の進出
(紀元前2000年〜紀元前1500年)

東日本では、複数の集落が共同で祭祀場と墓地をつくるようになる。北東北〜北海道南部で環状列石墓地、北海道中央部で周堤墓が発達した。後期末には関東沿岸で塩づくりがはじまり、東北太平洋沿岸、東海にも広がった。

▼内浦湾岸にある“黒い貝塚”
北海道・洞爺湖町「​​入江貝塚」
縄文時代/後期

▼環状列石を主体とする祭祀遺跡
青森県・青森市「小牧野遺跡」
縄文時代/後期

▼直径30m超の環状列石が4つ並ぶ
秋田県・北秋田市「伊勢堂岱遺跡」
縄文時代/後期

▼日時計状の組石も見られる
秋田県・鹿角市「大湯環状列石」
縄文時代/後期

Ⅲb 祭祀場と墓地の分離
(紀元前1500年〜紀元前400年)
祭祀・儀礼が充実して、共同墓地、共同祭祀場が発達。後期より漆文化、漁具、祭祀具が発達し、東北では、遮光器土偶で知られる亀ヶ岡文化が栄えた。九州北部で水田稲作がはじまり、紀元前100年頃までには本州北端の津軽平野まで広がった。

▼土を積み上げて築いた共同墓地
北海道・千歳市「キウス周堤墓群」
縄文時代/後期

▼岩木山山頂を望む環状列石
青森県・弘前市「大森勝山遺跡」
縄文時代/晩期

▼貝塚を伴う共同墓地
北海道・洞爺湖町「高砂貝塚」
縄文時代/晩期

▼遮光器土偶が出土
青森県・つがる市「亀ヶ岡石器時代遺跡」
縄文時代/晩期

▼亀ヶ岡文化の南部の拠点
青森県・八戸市「是川石器時代遺跡」
縄文時代/晩期

縄文文化とその広がり

北東北〜北海道南部では、前期から中期にかけて円筒土器が主流だった。後期には、十腰内遺跡(青森県)で出土したことから名づけられた十腰内式土器、晩期には亀ヶ岡石器時代遺跡の出土品に由来する亀ヶ岡式土器が広い範囲で使われた。同じ型式の土器を使う範囲では、ほかの文化的な要素も共通し、それぞれ円筒文化圏、十腰内文化圏、亀ヶ岡文化圏と呼ばれる。円筒文化が成立したのは、大規模な集落が増えた時期。同時期、東北南部〜新潟県北部では、大木囲貝塚(宮城県)の出土品に由来する大木式土器が分布する、大木文化圏が広がっていた。

円筒文化と大木文化の境に位置する「御所野遺跡」から出土した土器

後期になると、集落とは別の場所に墓地と祭祀場がつくられるようになる。十腰内文化圏では、環状列石が発達した。複数の集落が共同でつくったと思われるものが多く、地域の共同墓地・葬祭場としての役割を担っていたと考えられる。青森県津軽地方を中心とする亀ヶ岡文化は、東北全体〜北海道南部までの広い範囲に及び、技術的にも芸術的にも縄文文化の集大成ともいうべき文化を紡いでいた。

亀ヶ岡文化の南部の拠点である「是川石器時代遺跡」から出土した木胎漆器

 

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text: Miyu Narita photo: JOMON ARCHIVES
出典:北海道・北東北の縄文遺跡群ウェブサイト

Discover Japan 2021年8月号「世界遺産をめぐる冒険」

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