TRADITION

《甲州街道》整備の目的は将軍の身が
危ぶまれた際の脱走路!?
|浮世絵からひも解く、五街道と地域文化

2025.9.5
《甲州街道》整備の目的は将軍の身が<br>危ぶまれた際の脱走路!?<br><small>|浮世絵からひも解く、五街道と地域文化</small>

徳川家康が整備を進めた、江戸と地方を結ぶ五街道。江戸幕府が国を統治するための重要な街道であると同時に、さまざまな役割を担っていた。今回は歴史家の安藤優一郎さん監修のもと、五街道の一つ「甲州街道」の成り立ちや特徴をご紹介!

物流路だけではなく、
逃げ道としての役割も!

甲州街道と中山道の合流地点・下諏訪宿
下諏訪宿にある旅籠屋の中の様子が描かれた『木曽海道六拾九次之内 下諏訪』。中山道との合流地点で温泉が湧いていて、下諏訪温泉の温泉街ではいまも宿場町の名残が感じられる
歌川広重『木曽海道六拾九次之内 下諏訪』/国立国会図書館デジタルコレクション

万が一、江戸城が陥落した際、甲府城までの逃げ道として整備されたといわれる甲州街道。江戸を支えた重要な物流路でもあり、幕府に献上される宇治茶を運ぶ大行列「茶壺道中」の通行もあった。参拝のために富士山山頂を目指す「富士講」の人々も甲州街道を通ったという。現在は国道20号が甲州街道を継承している。

甲州街道
総距離|約220㎞
宿場町の数|45

〈伝統工芸品〉
江戸の衣服文化にも影響を与えた郡内織ぐんないおり

工場=DELTA PROJECT 写真=山梨県産業技術センター

山梨県・郡内地域は1000年以上の歴史をもつ織物の産地。江戸時代には「郡内縞」として人気を博し、現在はここで生産される織物の総称を郡内織と呼ぶ。

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text: Nao Ohmori
2025年8月号「道をめぐる冒険。」

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