「日本橋三越本店」神殿の華やかさが残る空間
隈研吾が暮らす神宮の杜
建築家の隈研吾さんが、自身が携わった建築について語る《隈研吾が暮らす神宮の杜》。今回は、本館1階フロアにある柱の天井部を覆い尽くすように生い茂っている「白く輝く森」が印象的な「日本橋三越本店」について話を伺った。
隈研吾(くま・けんご)
建築家。東京大学建築学科大学院修了後、1990年、隈研吾建築都市設計事務所を設立。20カ国を超す国々で建築を設計し、日本建築学会賞、フィンランドより国際木の建築賞、イタリアより国際石の建築賞ほか国内外で受賞多数。土地の環境、文化に溶け込む建築を目指し、ヒューマンスケールのやさしく、柔らかなデザインを提案している。主な著書に『点・線・面』、『ひとの住処』など
ベンジャミン・リー(フォトグラファー、アーティスト)
カナダ・トロントで育つ。英オックスフォード大学で心理学を学んだ後、1977年、ロンドンにスタジオを設立。企業の広告写真を手掛ける一方で、彫刻家ヘンリー・ムーア等の著名人の肖像を撮影し、アート作品として評価を高めた。’80、’84年に英国のデザイン賞「D&AD賞」を受賞。その後東京に拠点を移し、各界の著名人を撮り続けている。主な写真集に『Odyssey』、『創造の現場。』など
三越伊勢丹ホールディングスの旗艦店である「日本橋三越本店」が、建築家・隈研吾氏の環境デザインを得てリモデルしたのは2018年10月のこと。それから2年を経て、本館1階フロアにある柱の天井部を覆い尽くすように生い茂っている「白く輝く森」は、一段とその存在感を増しているように見える。
日本橋三越本店の本館はもともと、明治から大正、昭和にかけて活躍した建築家で実業家だった横河民輔が設計した建物だ。1914(大正3)年に完成した後に関東大震災で被害を受け、現在の建物は1927(昭和2)年に増床・リニューアルしたものである。2016年に国の重要文化財に指定された。
「パリやニューヨークなど世界の先端都市で最も輝いていたアール・デコ様式を取り込んだ建築です。それを現代によみがえらせ、都市の中心部が輝いた時代を取り戻したいというのがデザインの起点でした」と隈氏は語る。
柱の天井部を覆う「樹冠」は、3Dデータを基に白いアルミパネルを切り出し、異なる角度に組み合わせて成形。それがいくつも連なっていることで白い森の中に迷い込んだ気分になる。各パネルに組み込んだLED照明は、隈氏に長く協力してきた、日本を代表する照明デザイナーの面出薫氏が手掛けた。木漏れ日を思わせる効果を生み出している。
「商業空間自体が、都市の中で『神殿』のような役割を果たしていた時代がありました。その華やかさが日本橋三越本店には残っていて、それを再び磨き直して現代によみがえらせたいと思ったのです」
その後スーパーマーケットが台頭し、ショッピングセンターもブランド店を並べるだけの「箱」になった現代。百貨店はその都市の中で「文化の中心地」を象徴する神殿的な役割を失いつつある。だが、隈氏にとって日本橋三越本店は、自分が社会性を身につけていく中で「学校」の役割を果たした、と強調する。
「父の実家が日本橋のすぐ近くにあったので、子どもの頃から何度も連れてこられたのがこの店なんです。商品を買うだけでなく、シャツやスーツを誂える際には生地の選び方から着こなし方を教えてもらい、置いてある商品の説明を聞くことで世の中について学んでいく『社会勉強の場』でもありました。いまはネットで簡単に買えるけど、その正反対にある『そこにしかない空間を味わいながら買える』場所を目指せば、百貨店はよみがえってくるのではないかと思うんです」
小物を置く売り場には「糸屋格子」という、江戸時代の日本橋にあった呉服屋生地を扱う店がよく取り入れていた格子を取り入れた。江戸の伝統がここで再びアール・デコ様式と融合して溶け込むよう、フロア内にある什器も隈氏がデザインした。
「総合的にひとつの空間をつくることが、人間とモノとの関係の復活には重要だと考えました。それにしても、亡くなった父は、自分が通い慣れた三越本店を息子がデザインし直したと聞いたら、すごく驚いただろうと思いますね(笑)」
父との思い出が残る商業空間がもつ伝統と文化を、新しい時代に伝えるための空間づくりを目指した。
日本橋三越本店
住所|東京都中央区日本橋室町1-4-1
Tel|03-3241-3311
営業時間|10:00〜19:00 ※本館・新館ともに1階・地下階は〜19:30。新館9・10階レストランは11:00〜22:00
定休日|不定休
text: Shumon Mikawa photo: BENJAMIN LEE planning & organizer: Noriko Sakayori(L.STUDIO)
2020年12月号 特集「全国の有名ギャラリー店主が今注目するうつわ作家50」