デザイナー・陶芸家《石本 藤雄》
マリメッコ、アラビアで50年間活躍
日本で挑戦するものづくり【前編】

愛媛県出身のデザイナー・アーティスト、石本 藤雄さん。2006年で定年退職をするまで、フィンランドのデザインハウス「マリメッコ」で働き、その後フィンランドから日本へ戻り、愛媛県松山市に「Mustakivi(ムスタキビ)」をオープン。また、1989年から陶器メーカー「アラビア」で作陶をはじめ、陶芸家としても数々の作品を世に送り出してきた。精力的に制作を行う石本さんの原点、そして50年ぶりに戻ってきた日本でのものづくりについてうかがった。
〈石本藤雄さんの歩み〉
1941年 愛媛県砥部町に生まれる
1960年 東京藝術大学美術学部工芸科に入学
1964年 繊維商社の「市田」に入社
1970年 市田を退社しニューヨークやロンドンなどを経てヘルシンキの「マリメッコ」の関連会社「ディッセンブレ」に採用される
1974年 「マリメッコ」にデザイナーとして採用される
1989年 「アラビア」で作陶をはじめる
1994年 カイ・フランク デザイン賞 受賞
1997年 ヘルシンキ市文化賞 受賞
2006年「マリメッコ」を定年退職
2010年 フィンランド獅子勲章 「プロ・フィンランディア・メダル」受章
2011年 旭日小綬章 受章
2017年 愛媛県松山市に「Mustakivi(ムスタキビ)」オープン
2020年 日本に帰国し、故郷・愛媛県松山市に居を構える
2021年 松山市・道後にアトリエをオープン
2024年 愛媛県松山市に「Mustakivi house」オープン
伝統柄の新解釈や
心に残った自然を作品に

柔らかい日差しの入るアトリエで、長年にわたり使用してきた窯道具、釉薬のサンプルなどが並べられた作業テーブルを前に、にこやかに佇む石本藤雄さん。1974年から定年退職する2006年までフィンランドを代表するデザインハウス「マリメッコ」で働き、1989年からは陶器メーカー「アラビア」で作陶をはじめ、陶芸家としても数々の作品を世に送り出してきた。
石本さんは2020年に50年にわたるフィンランドでの生活にピリオドを打ち、日本へ帰国。翌年に愛媛県・道後温泉にほど近い上人坂にアトリエ兼ギャラリーをオープン。個人の制作活動に加えて「Mustakivi」ブランドのテーブルウェアや布ものなどをデザイン。砥部や美濃の工房とともに、新たなものづくりに挑戦している。

石本さんのものづくりは日本とフィンランドの自然、四季、色やかたちから影響を受けている。その源泉には、故郷・愛媛の原風景がある。生まれは1941年。焼物の産地でもある砥部町で6人兄弟の5番目、家はみかん農家だった。「廃業した窯元の敷地を父が購入して住んでいました。近くには登窯の跡や煙突があり、陶器づくりの窯道具、“ハマ”と呼ばれる使い捨ての円盤状の焼き台を、拾ってきては投げるような遊びをしていました」。
雁皮(和紙の原料)の皮を取ってくるとちょっとした小遣いになると、近所の子どもたちと山に行ったり、庭木に登ったこともあるそうだが、どちらかというと、ものづくりが好きな少年だったそうだ。「雨の日が好きでしたね。みかん栽培の手伝いが休みになって家で工作ができるから」

1960年に東京藝術大学美術学部工芸科へ進学。デザインから染色、陶芸、漆芸、彫金など幅広い分野を学び、グラフィックデザインを専攻。そこではじめて陶芸作品をつくったが、“つくし”をテーマにしたという当時の作品は残念ながら手元に残っていない。北欧デザインに出合ったのもその頃。雑誌の中ではじめてマリメッコの世界観に触れたそうだ。1964年に繊維商社の「市田」に入社。広告デザイナーとして、グラフィックデザインから店舗のデザインまで幅広く手掛けた。
転機となったのは1970年。家財道具や愛車を売り、ローンを組んだお金を元手に世界一周の旅に出た。ニューヨークやモントリオールを経て欧州に。旅の資金が底をつきかけていた頃、「マリメッコのデザイナーとして働きたい」という思いを募らせ、11月のヘルシンキへ向かった。

「このときの一面の雪景色は忘れられません。すごいところに来たと思った」。当時マリメッコでは枠がなかったが、関連会社の「ディッセンブレ」に入社。それからも定期的に作品提案を続け、1974年、マリメッコにデザイナーとして正式採用される。
マリメッコでの活躍は、定年退職する2006年まで30年以上。自然からインスピレーションを得て、鮮やかな色の組み合わせから、黒やグレー、ブラウンなど重厚な色みまで、相対するような色彩世界をもち、さまざまなパターンや技法を積極的に探求。400種類以上のテキスタイルデザインを生み出し、同社で歴代2位の功績を残した。

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石本デザインを日本の技で。作品もご紹介!
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text: Junko Shimizu photo: Hiroaki Zenke
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