令和の中山道の歩き方
岐阜の宿場町をめぐる旅
後編|東美濃で育まれた食と伝統工芸とは?
つづら折りの坂や険しい峠が続く中山道において“砂漠のオアシス”であった岐阜17宿。「東美濃」(東濃)地域随一の豪商が築いた「中津川宿」に、多くの旅籠が営まれていた「大井宿」。かつての旅人に思いを馳せつつ令和の視点で宿をめぐれば、歴史文化の意外な一面が見えてくる。後編では、訪れたい食・和菓子、工芸を堪能できるスポットをご紹介。
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《食・和菓子》
東美濃で育まれた美味を求めて
宿場町めぐりへ

往時の気配は宿場町にとどまらず、道すがらの風景や町の佇まいにも静かに息づく。そのひとつが、中津川宿と大井宿を結ぶ恵那郡坂本村(現中津川市)の街道沿いだ。本陣や脇本陣と同等の役割を担った「茶屋本陣跡」や、間口が狭く奥行きの深い町家も現存している。
約150年前までは、傘屋・下駄屋・薬屋などがずらりと軒をなす地区のメインストリートであり、下駄屋は靴店に看板を変えるなどして昭和以降も賑わってきたが、駅やバイパスの誕生とともに中心市街地は移ろっていくことに。残念ながら往時の賑わいは鳴りを潜めたものの、旧街道ウォーキングを楽しむ旅人が行き交うなど、街道としての魅力は衰えてはいない。

賑わいの痕跡は、武家茶道の系譜を受け継ぐ和菓子店の多さからも垣間見ることができる。
東美濃の名物といえば栗菓子。「栗きんとんの発祥は、よくわかっていないんです。ただ栗の木があったのは間違いなく、明治以降になると栗おこわの駅弁が誕生するなど、栗はなんらかのかたちで食べられていたと考えられます」と「美濃屋」の店主。稲作が難しい扇状地では地元産の和栗が人々の食を支え、豪商たちの間では茶の湯が華やかに花開いていた。その背景がいまに伝わっているのだろう。
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〈中津川宿〉
美濃屋

1899(明治32)年創業。目抜き通りとして賑わった中津川宿と大井宿を結ぶ中山道沿いに佇むとあり、旧街道散策を楽しむ旅人が立ち寄ることも。レシピは創業当時から大きく変わっておらず、素材を信じて勝負する味は一度食べると心に残る。

住所|岐阜県中津川市茄子川1208-5
Tel|0573-68-2038
営業時間|8:30~18:00
定休日|水曜(9~12月は無休)
https://minoya.jp
〈中津川宿〉
桂小五郎隠れ家跡 やけ山

中津川会談が行われた料亭の跡地を活用した郷土料理店。朝採れよりも新鮮な、採れたばかりの野菜や山菜を使用するため、献立は自然の恵みに合わせて日替わり。みりんが手に入らなかった往時と同じく甘みづけに地元酒蔵の甘酒を使用するなど、調味料もすべて地産にこだわる。

住所|岐阜県中津川市新町4-11
Tel|0573-64-2882
営業時間|18:00~(完全予約制)
定休日|不定休
Instagram|@yakeyama.nakatsugawa
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《工芸》
美濃焼の歴史とこれからに触れてみる

そして美濃が日本を支えてきたものといえば、江戸城本丸や西御丸へと納めていた美濃焼である。「瀬戸物があまりにも有名ですが、東美濃の地域にもローカルな窯があり、東西に運んで売っていたという確かな記録が残っています」と伊藤さん。江戸で使われていた生活雑器は、美濃焼も瀬戸焼もすべて“瀬戸物=瀬戸のほうからやってきたもの”として認識されていたが、後の発掘調査では瀬戸で焼かれたと思われていたものが、実は美濃で焼かれていたことも判明。しかと江戸の食文化を支えていたのだ。
往時を生きた人しか知り得ない史実もあるが、それをたどるのも街道旅のロマンであり醍醐味。江戸を政治と物流の両面から支えてきた岐阜の宿場町をいまの視点でめぐり、日本史に秘められた物語とこれからを探しに行こう。
〈御嶽宿〉
幸兵衛窯

江戸城の御用窯で美濃焼の歴史文化に触れる
220年の歴史を誇る窯であり、歴代の陶芸家の作品を展示する美術館と資料館は、ミシュラン・グリーンガイドの二つ星にも認定。美濃焼を代表する様式の織部がペルシア陶器の影響を受けているなど、焼物の歴史を温故知新の精神から学ぶことができる。

住所|岐阜県多治見市市之倉町4-124
Tel|0572-22-3821
開館時間|9:00~17:00(日曜、祝日、第2・4土曜は10:00~)
料金|一般300円、大高生150円、中学生以下無料
www.koubei-gama.co.jp
〈御嶽宿〉
KOYO BASE

暮らしに寄り添ううつわを五感で楽しむ新拠点
和食器をイメージする美濃焼において、輸出向けの正統派アメリカンダイナー食器からスタートした「光洋陶器」の新拠点。「うつわの複合体験施設」をコンセプトとした館内では、工場見学をはじめとした、食べる・買う・楽しむ・学ぶコンテンツを用意。土から食卓に上るまでの姿が体感できる。
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text: Natsu Arai photo: Norihito Suzuki
2025年8月号「道をめぐる冒険。」



































