宮城県東松島市《後藤水産》
東北の山と海、人の手技が生み出す
牡蠣の世界【前編】
|“ニッポンの美味しい”のいまと未来③

作家・料理家の樋口直哉さんが訪ねる、知っておきたい“ニッポンの美味しい”のいまと未来。美味しいものは、生産者の方々なくしては語れません。作家かつ料理家として活躍し、全国の生産者の元へも足繁く通っている樋口直哉さんに、注目の生産者を訪ねてもらい、日本の食の現状と可能性を、生産の現場からひも解いていく。
採苗から収穫まで一貫して行っている宮城県東松島市鳴瀬地区の牡蠣。今回、その美味しさの秘密を知るため、牡蠣漁に同行させてもらった。
文=樋口直哉(ひぐち なおや)
料理家として活躍しながら、作家としての活動も。小説『スープの国のお姫様』(小学館)、『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA)など著書多数。『さよならアメリ力』(講談社)では芥川賞候補にも選出。
美味しい牡蠣の秘密は海の力?

「牡蠣は育つ海によって味が違う」という定説がある。一般的な牡蠣=冬〜春に旬を迎える真牡蠣であれば品種としては同じでも、それぞれ味が異なる。10年ほど前、三陸の海岸線をめぐりながら、それぞれの浜で養殖された牡蠣を取材したとき、それを知った。確かに個体差もあるが、塩味、旨み、脂分、苦みの割合がすべて異なっていたのだ。スーパーで「宮城産」と書かれている牡蠣を買っていたら、この味の違いはわからなかっただろう。
さまざまな牡蠣を味わう中で一番、印象的だったのが、東松島市の鳴瀬地区のものだ。鳴瀬というのは昔の地名で、そこを流れる鳴瀬川に由来する。もちろん、ほかの浜の牡蠣も押し並べて美味だったが、個人的に飛び抜けて記憶に残る味わいだった。今回はその味わいの秘密を知るために現地を訪れた。
早朝、というか深夜の3時。夜明け前、牡蠣漁の準備は慌ただしくはじまる。3時半、沖に向けて、船が出港する。あたりを遮るものがない海なので、風がじかに身体に当たる。季節は冬なので、当然寒い。

「自分たちでも行きたくないなと思うこともありますよ」お世話になった後藤水産の後藤晃一さんは冗談っぽく言う。
牡蠣の養殖方法は大きくふたつ。ひとつは「筏式垂下法」といって、海面に浮かべた筏を使う方法。主に広島県などの内湾で使われる。ふたつ目は「延縄式垂下法」といって、海面に浮かべた樽にロープを連結させ、牡蠣を連ねるもの。耐久性に優れているので、風や海流が強い湾口や外洋で用いられる。宮城県では主にこちらの方法が用いられる。
牡蠣はロープをウィンチで巻き上げるかたちで収穫される。引き上げられた牡蠣は洗浄器で泥などが取り除かれた後、籠に詰められる。船の上が籠で一杯になったら、漁の終わり……なのだが、漁師たちが作業の途中で船から身を乗り出し、引き上げたロープを再び巻き付けていた。
「ロープの長さは12mあります。海は海面に近いほど太陽光が入るので、プランクトン=栄養分などが多い。逆に深くなると少なくなるので、上側を収穫したら、ロープを結び直して、下側は1カ月後に採るんです」

不安定な船から海上に身を乗り出しての作業は重労働だが、漁師たちは軽々とこなす。この収穫に至るまで、牡蠣養殖はいくつもの工程を経ている。採苗=牡蠣の種(幼生)を採取してホタテの貝殻に付ける工程からはじまり、抑制といって浅瀬につくった棚で日光や空気にさらし稚貝を鍛える時間を経る。鍛えることで生命力の強い牡蠣が育つわけだ。通常の牡蠣はこの後本垂下=海に沈め、育成されるわけだが、鳴瀬の牡蠣にはもうひとつ工程がある。
「鳴瀬の海は鳴瀬川と吉田川の終着点。奥羽山脈からの栄養塩も豊富ですが、それだけではこの味にはならない。抑制の後、沖出しといって外湾の潮の流れが速い場所に牡蠣を移すんです。この作業には2カ月かけます。沖出しをしているところは、全国に何カ所かありますが、内湾で育てていた牡蠣を、川が流れ込む流れのきつい海域に移動させているのは、鳴瀬独自の方法だと思います」
荒波にもまれることにより、牡蠣の身がぎゅっと引き締まりながらも、栄養を蓄え白く肥る。
line
≫次の記事を読む
text: higuchi naoya photo: Kenta Yoshizawa
2025年1月号「ニッポンのいいもの美味いもの」