アマン創業者 エイドリアン・ゼッカが語る日本の魅力とは?
後編|91歳となったレジェンドの人間観や哲学
秋が深まりはじめた2024年11月初旬。エイドリアン・ゼッカさんの来日に合わせ、旅館「Azumi Setoda」に、ホテルジャーナリスト・せきねきょうこさんが向かった。この貴重な機会に91歳のレジェンドが語った、日本への想いや人生観とは?
ゼッカさんが考える日本の魅力とは?
ゼッカさんとの初めての出会いはインドネシアのウブドの「アマンダリ」だった。今回は、私にとって5回目となるゼッカさんへのインタビューだ。この機会に、年齢を重ねたいまも独りで世界を駆け、独創的な歩みを続けるレジェンドの“未来像”を尋ねてみたいと思っていた。
約束の朝、インタビューの場となったAzumi Setodaの東屋にゼッカ氏が現れた。微笑みながら「久しぶりだね。最後に会ったのはいつだったかな……?」と視線を合わせた。振り返れば、最後に会ったのは2年ほど前の京都。その前は開業後のブータンの「アマンコラ」で、いまは亡きゼッカさんの盟友である建築家ケリー・ヒルと共に。その前は東京だった。いまも世界を飛び回る多忙な中、この機会を与えてくれたことに謝意を表し、最初の質問を……と意気込んで口を開いたそのとき、ゼッカさんからうれしそうに話が始まった。
「さっき“しおまち商店街”を歩いていたら、瀬戸田特産のレモンを売る小さな果物店で、一人で開店準備をする女性を見掛けたんだ。キビキビと働くその人はなんと、97歳! 私がいま91歳だから、彼女はずっと歳上だね。瀬戸田でできたガールフレンドだ。次回はいつ来るかと聞かれ、Very Soonと答えたよ」と笑った。このエピソードのおかげで、ホッとその場の空気が和んだ。インタビューは約1時間半。そのほとんどを自ら進んで話をしてくれた。
まずは、過去に何度も質問を重ねてきたことではあるが、「日本に長年興味をもたれている一番の理由はなんでしょう?」と、私の中の台本に沿ってはじめた。長い間、日本に魅了されているというゼッカさんにとって、台本通りの答えがあるはずもなく、ひと言では表現できるはずはないだろうとは思ったが、このように答えてくれた。
「日本にはいろいろな顔がある。自然も美しい、伝統も文化も奥深い、それに何よりも日本の人は温かい。そんな魅力を“旅館”から世界に伝えていきたいね。長年ホテルにかかわってきて思うのは、結局のところ“人”なんだということ。工場で流れ作業によりつくられた時計か、職人の手によって丹精込めてつくられた時計かの差が、宿にもあると思うんだ。大型ホテルと小さな旅館の違いにたとえてもいい。いまの私が手掛けたいと思うのは、土地のカルチャーを生かし、アットホームな温もりを感じる宿なんだ」
91歳となったレジェンドの
人生観や哲学とは
世界が憧れるリゾートを牽引してきたゼッカさんが考えるリゾートとは、そしてラグジュアリーとはなんだろう。何ひとつ聞き逃さないよう、興味深い言葉をいくつも書き留めた。ゼッカさんの人生観や哲学、ホテリエとしてのブレない信条も伝わってきた。中でも印象的だったのは以下の言葉だ。
「私にとってのリゾートとはハイダウェイ(隠れ家)。自分にとって、世の中で最高の寛ぎが得られるところがハイダウェイなんじゃないかな。まさに“ホーム”のような……。真のラグジュアリーとは“Simplicity”。人が人をもてなす謙虚な気持ちが大事だと思う。そして人生には“sense of humor”が大切だ。もちろんホテリエにとっても」
現在91歳となったゼッカさんの口からはじめて聞かされた人生論が心に刺さった。「誰もが限られた人生を生きている。私は年齢もあり、今後いくつホテルをつくれるかなど誰にもわからない。以前のように多忙なスケジュールで動くことも難しい。でも限りある人生を感動と驚きで満たして過ごしたい。ハングリー精神を忘れてはいけないね」と語る。
“常識破りのホテリエ”から世界的なレジェンドへ。人生のほとんどの時をホテルづくりに費やしたゼッカ氏は「私が足を止めるのは、それは人生を終えるときだね」と笑う。「若い人たちと一緒にプロジェクトを進めていくのは楽しいよ」と、自身の立ち上げたブランド「Azumi」や「Azerai」以外にも、実は、自分の名の頭文字「AZ」で始まる複数のブランドのプロジェクトが世界各地で進行中だ。いまもそのまなざしは未来へ向かっている。
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Azumi Setoda
住所|広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田269
Tel|0845-23-7911
料金|1泊2食付12万1千円〜(税・サ込)
azumi.co/ja/setoda
text: Kyoko Sekine photo: Atsushi Yamahira
2025年1月号「ニッポンのいいもの美味いもの」