江戸時代中期から続く
三重県の老舗《叶林業》
未来を育む森づくり【前編】
三重県松阪市の深い山に抱かれ、日本有数の良質材の産地として知られる飯高町。江戸の昔から続く林業家がいま目指すのは、本来の生物多様性に富んだ森。我が子のように手をかけながらも、伸びやかで自然な美しさにあふれさまざまな可能性を感じさせる“意志のある森”を訪ねました。
スギやヒノキ、広葉樹が混じり合う
生命力に満ちた森
松阪市街から車を走らせること約40分。市の西端、奈良県境に接する飯高町に降り立つと、みずみずしく匂い立つ緑に迎えられた。総面積の実に94%が森林という林業の町で、年輪幅が詰まった良質のスギの産地として名高い。この地で山づくりに取り組む「叶林業」は、1925(大正14)年の設立。さらにその礎をひも解くと、江戸時代中期(1700年代初頭)までさかのぼる。叶林業の歴史は、地域の林業の歴史そのものだ。
堀内楓子さんと弟の宣孝さんはいまから11年前、ほぼ同じタイミングで帰郷し、家業である叶林業に入った。数百年の時を超えて姉弟が継承する森とは、どんな姿なのだろう。管理する約1000haの山の中でも、特に象徴的な区画を案内していただいた。
まっすぐに天を突くスギとヒノキ。その樹下ではケヤキやトチノキなど、さまざまな広葉樹が生い茂っていた。「地形が複雑で多雨な飯高町は、本州の植生がすべてあると言っても過言でない環境です。なのに、なぜスギ・ヒノキしか育てないのだろう? そんな純粋な好奇心から、父は40年ほど前から広葉樹の植栽をはじめたそうです。日本では昔からキリは箪笥、クリは線路の枕木、カヤなら将棋盤とか、樹種ごとの用途がありました。文化や産業を守っていく意味でも、さまざまな樹種を育てています」と楓子さんは話す。
膨大な樹種、本数の木々が共存し、素人目には天然林にしか見えないが、その裏には徹底した管理がある。スギやケヤキは肥沃な土地を好み、ヒノキやマツ、クリは痩せた土地が向く。同じ山でも2歩、3歩離れただけで土の質が異なることが珍しくないため、樹種と土壌との相性を慎重に見極めて植樹する。まさに“適地適木”なのだ。
堀内家に明治時代から伝わる、貴重な帳面を見せていただいた。樹種と場所、いつ植樹して間伐したかなどを子細に記した、いわば山の設計図。書き込みは何世代にもわたる。「こうして書いて残すことで、後に続く人が理解して受け継げる。世代を越えて林業をするために、記録はとても重要です」。現在も山に入る際、最新のデータと併せて古い資料も必ず参照するという。脈々と続いてきた営みの連続性が、手に取るように伝わってくる。
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text: Aya Honjo photo: Sadaho Naito
Discover Japan 2023年9月号「木と生きる」