TRADITION

女性たちの平安京。
往事に思いを馳せて、作家・柏井壽の京都案内【前編】

2023.3.23
女性たちの平安京。<br>往事に思いを馳せて、作家・柏井壽の京都案内【前編】
京都御所は桓武天皇が794年に平安京に都を移したのがはじまりとされ、1869年に明治天皇が東京に移るまでの約500年間、天皇の住まいとして使用された。京都御所の建物の中で最も格式の高い正殿である紫宸殿は、伝統的な儀式を行うために、平安時代の建築様式で建てられている
画像提供=宮内庁京都事務所

長く都として栄えた京都ですが、その源となる平安京の遺構は、さほど多く残ってはいません。たび重なる戦乱や大火によって、その多くが失われるのは、首都の宿命なのかもしれません。にもかかわらず、京都は今も平安王朝の空気を漂わせ、憧れを持って語られるのは、時代とともに生きた女性たちの、悲喜こもごもの物語が残されているからです。
華やかなイメージが強い平安京とはいえ、長い歴史のあいだには、さまざまな人間模様が交錯し、悲劇のヒロインも存在しました。時代を書いた女性、時代に翻弄された女性、平安京を彩る女性ゆかりの地を巡りながら、往時に思いを馳せてみましょう。

文=柏井 壽(かしわい ひさし)
1952年、京都市生まれ。京都市北区で歯科医院を開業。一方で、『京都』、『日本旅館』、『食』をテーマとするエッセイ、小説を執筆。京都を舞台にした小説『鴨川食堂』シリーズから待望の続編『鴨川食堂ひっこし』(小学館)が3月7日に刊行。

京都御所
住所|京都府京都市上京区京都御苑1
Tel|075-211-1215(宮内庁京都事務所参観係)
参拝時間|4~8月9:00~17:00(受付終了16:20)※季節により異なる
定休日|月曜(祝日の場合は翌日休)、年末年始(12/28~1/4)※行事により休止の場合あり
参拝料|無料
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

平安前期の女流歌人
小野小町ゆかりの随心院

まずは小野小町。平安前期の女流歌人として名高い小町は、世界三大美人の一人に数えられるほどの美女だったといわれていますが、それを象徴するような物語が〈百夜通い〉です。

想いを寄せる深草少将という男性に求愛された小町は、百日間通い続けたら受け入れると言い、それを信じた深草少将は小町が住まう山科まで、九十九夜通いましたが、最後の雪の夜に息絶えてしまうという、小町ゆかりの寺「随心院」に伝わる哀しいお話です。
梅の名所としても知られる「随心院」は、小町が晩年を過ごした地に建立されたといわれ、小町が化粧に使った井戸や、恋文を埋めた文塚など小町ゆかりの史跡が境内にあり、小町を偲ぶには格好のお寺です。

991年、山科の地に創建された「真言宗大本山 隨心院」。本堂前庭園に広がる苔が美しい。小野小町の生涯を描いた表書院「能の間」の襖絵「極彩色梅匂小町絵図」は京都の絵描きユニット『だるま商店』が描いたもの

随心院
住所|京都府京都市山科区小野御霊町35
Tel|075-571-0025
拝観時間|9:00~17:00(受付終了16:30)
定休日|不定休 ※寺内行事により休止の場合あり。
拝観料|大人500円
https://www.zuishinin.or.jp/

和泉式部も詠んだ
天橋立の磯清水

平安時代においては、和歌を詠むというのはとても大切なことでした。小町は六歌仙、三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人とされていますが、平安中期に活躍した和泉式部も女房三十六歌仙の一人です。
和泉式部は恋多き女性として知られ、浮き名を流した男性は数知れずといわれています。そのせいでしょうか、紫式部などは和泉式部を素行不良と非難していたようです。
祇園祭の山鉾のひとつ〈保昌山〉は、藤原保昌(ふじわらのやすまさ)という男性と和泉式部の恋物語に基づく鉾で、式部に翻弄される保昌が鉾の題材となっています。
洛中で行われる祇園祭ゆかりの地は海の京都にもあります。

―橋立の 松の下なる 磯清水 都なりせば 君も汲ままし―
これは京都府宮津市の景勝地、日本三景のひとつ天橋立のなかにある磯清水で、式部が詠んだ歌です。夫である保昌は丹後守としてこの地に赴任していて、式部はこれに随行してこの地を訪れたのです。
近くには〈式部の松〉と呼ばれる松があり、ほっそりとした美しい赤松を式部の姿にたとえたといわれています。

―よさの海の 海士のしわざと みしものを さもわがやくと 汐たるるかな―
ふたつの歌はどちらも、都を離れて暮らす我が身を詠んだもので、式部は華やかな都を懐かしみながらも、風光明媚な地を慈しむ心情をみごとに絡ませています。

天橋立神社そばの湧き水。周囲を海に囲まれていながら塩分を含まない淡水が湧くことから、古来不思議な名水として知られてきた。1985年には環境省の「名水百選」に認定。飲料不可

磯清水
住所|京都府宮津市文珠 天橋立公園
Tel|0772-22-8030(天橋立駅観光案内所)
見学時間|見学自由
入園料|無料
定休日|なし
https://www.amanohashidate.jp/

清少納言の歌碑が立つ
「泉涌寺」の水屋形

小野小町、和泉式部に続く清少納言もまた、女房三十六歌仙の一人。秀でた歌人でありながら、〈枕草子〉という随筆を著したのが、先のふたりと異なるところです。和歌を発展させたような随筆は一躍評判を呼びました。

―春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。―
あまりにも有名な一節ですが、ほのぼのと夜が明けはじめる頃の情景は、賀茂川の西岸から東山を眺めると、今もそれを実感できると思います。

―夜をこめて鳥のそら音ははかるとも 世に逢坂の関はゆるさじ―
東山のふもとに佇む「泉涌寺」には清少納言が詠んだ百人一首62番の歌碑が残されています。まだ夜が明けないのに、鶏の鳴き声を真似てだまそうとしても、そんな嘘は通りませんよ。逢坂は函谷関ではないのですから、あなたとわたしの間にある関は開きません。そんな意を込めた歌は、よほど深い教養がないと詠めないものです。

四条天皇にはじまり、室町時代前期の後光厳天皇から孝明天皇に至るまで、歴代天皇の葬儀が行われたことから、御寺と呼ばれる「泉涌寺」は、深い緑の中に堂宇が静かに佇み、訪れるたび心が洗われるような気がします。

読了ライン

皇室との関連も深い真言宗泉涌寺派の総本山。1218年に宇都宮信房から寄進された寺地に、俊芿律師が伽藍を造営したとき、清水が湧き出たのが「泉涌寺」の名の由来。清泉を覆う「水屋形」の隣に清少納言の歌碑がある
清少納言の歌碑

泉涌寺
住所|京都府京都市東山区泉涌寺山内町27
Tel|075-561-1551
拝観時間|3~11月9:00~17:00(受付終了16:30)、12~2月9:00~16:30(受付終了16:00)
定休日|不定休
※寺内行事により休止の場合あり。
拝観料|伽藍拝観大人500円、特別拝観500円
https://mitera.org/

 


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Text:Hisashi Kashiwai(main text)、Hiroko Yokozawa(caption&data)

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