TRADITION

“神女”の祈りも王国を支えていた
沖縄の豊かな文化のルーツを探る
「琉球王国」の歴史|Part 5

2022.8.11
“神女”の祈りも王国を支えていた<br><small>沖縄の豊かな文化のルーツを探る<br>「琉球王国」の歴史|Part 5</small>
与喜屋のろくもい神事装束 1927年 鎌倉芳太郎撮影
沖縄県立芸術大学附属図書館・芸術資料館蔵

日本史でいえば室町時代から明治時代まで、約450年という長きにわたって続いた琉球王国。東京国立博物館で開催中、九州国立博物館に巡回する沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」で出合える文化財の紹介を含め、現代の沖縄につながる独自の歴史と文化をひも解く。

★印の作品は、沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」 九州会場の展示予定作品です。詳細は展覧会公式サイトでご確認ください。

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琉球王国の祭祀は男性ではなく女性が担う

古来、村落のために神への祈りを捧げていた神女たちは、王府の下で組織化された。その頂点に立つ聞得大君(きこえおおきみ)は「おなり神」として、国王と王国を霊的に守護する存在。王国における宗教の最高位として大きな力をもっていた。

ノロとは?
琉球王国で、支配者によって任命された地域の女性神職者。村落の祭祀を司った。現在まで残っている地域もあり、宮古列島・八重山列島ではノロにあたる女性祭司を「ツカサ」という

琉球には古来、村落の五穀豊穣や平和を願って祈りを捧げる神女がいた。その起源は明らかになっていないが、農耕社会がはじまって集落がかたちづくられるようになったとき、厳しい自然環境の中で生き抜くため、神に祈るようになったことから生まれたと考えられている。それが女性であるのは、琉球に古くからあった、姉妹が兄弟を霊的に守護するという「おなり神信仰」に通じるもので、按司(あじ)(村落の首長)の姉妹や妻などが祭祀を司ったといわれる。ほとんどすべてのグスクに拝所(うがんじゅ)が設けられ、聖地であり、祈りを捧げる場所である御嶽(うたき)が各地にあることからも、当時の人々が神への祈りを大切にしていたことがわかる。つまり、その祭祀を司る神女はとても重要な存在だったといえる。

琉球王国誕生後も、神女は各地域で、そして王府内でも祭祀を執り行っていた。その影響力は大きく、第二尚氏第3代国王・尚真の即位のように、時に国王の任命にまでかかわった。その尚真は、祭政一致による王権強化を目指して全国の神女体制を階層化。各地の神女は、聞得大君を頂点とし、地方の神女を束ねる3人の大アムシラレ(宜保(じーぶ)、真壁(まかん)、首里(しゅい))、高級神女である三十三君(さんじゅうさんくん)とともに王国の組織に組み入れられた。

組織化によって、国内のすべての神女は国王に任命されることになり、地域の神女はノロという神職者となった。現代でいえば、ノロは国家公務員。ノロ地と呼ばれる土地、かんざし、勾玉や扇などの祭祀道具が下賜された。最高神女である聞得大君は、王家の女性から選ばれ、国王を霊的に守護する存在として、国王の健康や王国の安寧を祈った。同時に、王国における宗教の最高位として、政治にも影響を及ぼした。初代聞得大君に就いたのは尚真王の妹。17世紀以降は、政治改革によって組織は形式のみとなるが、1879(明治12)年に沖縄県が設置されるまでの約400年、15代にわたって、聞得大君は王府のさまざまな祭祀を執り行い、各地のノロは地域の中で祈りを捧げ続けた。

沖縄には現在でもノロと呼ばれる神女がいるが、中でも久米島の君南風(ちんぺー)は、三十三君に数えられる高級神女。王国の神女組織をいまに伝える最後の一人として、島内のノロをまとめ、伝統的な祭事や儀式を執り行っている。

『ノロの図』
第二尚氏時代・19世紀
東京国立博物館蔵

村落祭祀を司るノロの煌びやかな正装具

神扇(かみおうぎ)

アムシラレ(地域のノロを統括するオヤノロ)のものと伝わる大型の扇。表面中央に日輪、左右に鳳凰や瑞雲、裏面中央に月輪、左右に牡丹や蝶を描いている

江戸時代または第二尚氏時代・19世紀
東京国立博物館蔵
沖縄県指定文化財 聞得大君御殿雲龍黄金簪(きこえおおぎみうどぅんうんりゅうおうごんかんざし)

銅製で、聞得大君のものと伝わる。直径10㎝もある頭(カブ)、底板、柄の3部品それぞれに、王家ゆかりの品であることを示す「天」の字が刻まれている

第二尚氏時代・15~16世紀
沖縄県立博物館・美術館蔵
ハビラハギギン

ハビラは蝶、ハギは継ぎはぎ、ギンは衣の意。ハビラ部分は中国の緞子(どんす)や金襴、日本の絞り、琉球の藍型染などを取り混ぜて仕立てている

江戸時代または第二尚氏時代・19世紀
東京国立博物館蔵
玉ハベル

首から下げる装身具。9色のガラス玉を編みつないで文様を表した本体から、ハベル(三角形の布)がぶら下がっている。ハベルは琉球の言葉で蝶の意。蝶は神女や霊力を象徴する

江戸時代または第二尚氏時代・18~19世紀
東京国立博物館蔵

<COLUMN>
文化財の模造復元で
“手わざ”を未来に伝える

沖縄県立博物館・美術館が7年にわたって取り組んできたプロジェクトにより、琉球王国の文化と“手わざ”を物語る65件の文化財が現代によみがえった。

模造復元『美御前御揃(ぬーめーうすりー)御玉貫(うたまぬち)』

上原俊展[金細工まつ]、
高田明[公益財団法人 美術院]
平成30年度
沖縄県立博物館・美術館蔵
御玉貫は、麻糸で色とりどりの玉を編んだ飾りを錫製の瓶子(へいし)にかぶせた酒器。模造復元作業の過程で、玉同士の隙間が小さくなるよう、あえて不揃いのものを使用していたことがわかった

沖縄では、戦禍や近代化によって、琉球王国以来の貴重な文化財やものづくりの技術が失われた。沖縄県立博物館・美術館は、その文化財と、文化財を生み出す高度な技術=“手わざ”を未来へ伝えるべく、2015(平成27)年から7年間、琉球王国文化遺産集積・再興事業に取り組んできた。原資料について科学分析など最新の調査研究を重ね、失われた文化財を模造復元するプロジェクトで、絵画、木彫、石彫、漆芸、染織、陶芸、金工、三線の8分野65件の作品が選ばれた。模造復元は、オリジナルの文化財が製作された当時の姿を忠実に復元製作するもの。単にかたちを写すレプリカ(複製品)とは異なり、可能な限り、製作当時と同じ材料・技術を用いなくてはならない。わずかな手がかりから、当時の姿と手わざを解明し、実際に製作するのは至難の業といえる。今回のプロジェクトでは、8分野24人の監修者をはじめ、研究者や技術者など県内外300人以上が力を結集。試行錯誤を繰り返しながら、65件の模造復元品を完成させた。

「沖縄復帰50年記念 特別展『琉球』」では、完成した模造復元品も多数展示。一度は失われつつも、再びその姿を現した文化財は、王国の文化と未来へ受け継ぐべき手わざの素晴らしさを物語る。

沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」 九州会場
会期|7月16日(土)~9月4日(日)
会場|九州国立博物館
住所|福岡県太宰府市石坂4-7-2
開館時間|9:30~17:00 ※入館は午後4時30分まで
※金・土曜日は午後8時まで夜間開館(入館は午後7時30分まで)
休館日|月曜(8月15日(月)は開館)
料金|一般2100円、大学生1300円、高校生900円、中学生以下無料
Tel |050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://tsumugu.yomiuri.co.jp/ryukyu2022/

沖縄県立博物館・美術館
沖縄の自然や歴史、文化、美術工芸などを紹介した「博物館」と、沖縄県出身作家や沖縄とゆかりのある作家の作品を中心に展示された「美術館」からなる複合文化施設。「おきみゅー」の愛称で親しまれている。2022年7月20日(水)~9月19日(月)まで、復帰50年 特別展『沖縄、復帰後。展 ーいちまでぃん かなさ オキナワー』を開催予定。

住所|沖縄県那覇市おもろまち3-1-1
Tel|098-941-8200
開館時間|9:00~18:00、金・土曜~20:00(入館は閉館の30分前まで)
休館日|月曜(祝日の場合は翌日休)、メンテナンス休館 6月29日(水)~7月7日(木)、年末年始
https://okimu.jp

首里城はいつ復活する?

2019年10月31日の火災発生で主要な建物を焼失。現在は、2026年の完成を目指し、正殿復元に取り組んでおり、そのほかの建物もその後、順次復元する計画となっている

首里城公園 首里城正殿(2014(平成26)年撮影) 画像提供:一般財団法人 沖縄美ら島財団

監修=沖縄県立博物館・美術館学芸員 伊禮拓郎さん
参考:東京国立博物館ほか編『沖縄復帰50年記念 特別展「琉球」』図録(東京国立博物館、九州国立博物館、NHK、NHKプロモーション、読売新聞社)、JCC出版部著『絵で解る琉球王国 歴史と人物』(JCC出版)、上里隆史著『誰も見たことのない琉球』(ボーダーインク)、沖縄県立総合教育センター 「琉球文化アーカイブ」(http://rca.open.ed.jp)、日本芸術文化振興会「文化デジタルライブラリー」 (www2.ntj.jac.go.jp

text: Miyu Narita illustration: Minoru Tanibata
Discover Japan 2022年7月号「沖縄にときめく/約450年続いた琉球王国の秘密」

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