ワクサカソウヘイさんと堀道広さんが語る、縄文時代から存在する”貝塚”の魅力
日本に約2400あるといわれる「貝塚」。うち約700は千葉県にあり、都道府県としては日本最多。実は、千葉県は日本一の貝塚大国なのである。今回は千葉、否、日本が誇るベスト・オブ・貝塚「加曽利貝塚」に、文筆家のワクサカソウヘイさん、マンガ家の堀道広さんが向かった。「貝塚」の魅力って、いったいナンだ!?
文=ワクサカソウヘイ
文筆業。主な著書に『今日もひとり、ディズニーランドで』(幻冬舎文庫)、『夜の墓場で反省会』(東京ニュース通信社)、『変な鳥 ヤバい鳥 どでか図鑑』(枻出版社)等がある。好きな貝はハマグリ
イラスト=堀 道広
うるし漫画家。主な著書に『青春うるはし! うるし部』(青林工藝舎)、『耳かき仕事人サミュエル』(青林工藝舎)、『おうちでできるおおらか金継ぎ』(実業之日本社)等がある。好きな貝はアサリ
貝塚……。
と聞くと、大抵の人は地味な気分に襲われる。「貝塚?大好き!吉岡里帆よりも好き!」とテンションが高まる人は、ごくごくまれであろう。貝塚は、それほどまでに色気のないイメージをまとっている。
私はその日、実に地味な気分でもって千葉駅からのバスに揺られていた。向かう先は、まさしく貝塚。あまり知られていないが、実は千葉県は“貝塚大国”で、全国トップの貝塚密集率を誇っている。約700カ所もの貝塚が集中するその千葉県の中で、本日の私が目指しているのは、特別史跡「貝塚」。日本最大規模かつ国宝レベルの貝塚である。
「日本最大で国宝級、かぁ……。でも、そもそも貝塚って、おもしろいんですかね?」
そんな率直な疑問を、同行者である堀さん(イラスト担当)に道中ぶつけてみるが、返ってきたのは「さあ、わかんない」というすげない答え。Siriだって、もう少し気の利いた返答をしてくれると思う。
「……きっと、味気のない石碑がひとつふたつ建っている以外には何も見どころのない、ただの公園みたいな場所なんだろうな」
私は鈍色のため息をひとつ、静かに漏らした。
貝塚は縄文人の“生きた証”
ところが。
「加曽利貝塚」に足を一歩踏み入れた途端、それまでの沈んだトーンを一気に吹き飛ばすような驚きに、我々は出合う。足元に広がる一面の湿った土、そこにおびただしい数の貝殻がびっしりと埋まっているのである。見渡すかぎり、貝だらけ。ちょっと異様な光景だ。こんなにダイレクトな感じで「貝」が「塚」っているとは、想像していなかった……!
「ここにある貝殻たちはどれも、縄文人が運んできたものです」
こちらの学芸員である山下亮介さんが、説明してくれる。およそ5000年前、ここには村があった。そしていま、我々の足元に散らばっている無数の貝たちはすべて、その村の縄文人たちがかつて海から運び、食べ、そしてここに葬ったものなのである。
「貝塚はゴミ捨て場だったと解釈している人が多いみたいですが、現在では『生き物の亡骸をあの世へ送り、再生を願うための場所だったのではないか』などと考える研究者が増えています」
地面からひとつ、貝をつまみ上げてみる。この貝も遥か昔、縄文人の手の中にいたのか……。そんなことを想うだけで、ゾクゾクとしたものが身体に走る。遠い存在だったはずの縄文人が、急に生々しい存在として目の前に現れたような、エキサイティングな感覚だ。私は即座に、貝塚に対して地味なイメージしか抱いていなかったさっきまでの自分を恥じた。
静かで巨大なタイムマシーン
草が濃く生い茂り、青い湿気が満ちる、原野のごとき「加曽利貝塚」を歩く。すると目の前に、地中へと続くトンネルが。それは、貝塚の貝層断面が観察できる施設。中に進むと、貝殻がみっちりと詰まった貝層がガラス越しに登場する。
(イボキサゴっていう小さな貝をよく食べていたんだな〜)鮮明に伝わってくる、大昔の日本人の食生活。こんなに貝ばかり食べて、痛風の心配とかなかったのだろうか。「いえ、彼らは貝だけを食べていたわけではありません」。そう言われて貝層をよく眺めると、貝殻の隙間にイノシシやシカの骨、そしてたき火の跡などが確認できる。そうか、いろんなものを焼いて食べていたのだな。なんだか他人の家のキッチンを勝手にのぞき見しているような気分。ここでは縄文人のプライベートが丸見えだ。ますます彼らが身近な存在として現れる。
「日本の土は主に酸性なので、有機物は普通、溶けてしまいます。ところが貝殻は炭酸カルシウム成分を持っているので、周りの土を中和するんです。だから貝塚では、獣骨や人骨なんかが多く出土するんですよ」と山下さん。この「加曽利貝塚」でも、たった一部の調査だけで、すでに230体もの縄文人の骨が発掘されているという。
知らなかった。つまり貝塚は、歴史の防腐剤の役割を果たす、静かなタイムマシーンでもあったのだ。
時空を超えて縄文人と出会える場所
「加曽利貝塚」には、博物館が併設されている。そこでは貝塚から出土した土器や石器などが数多く展示されている。
「ここに存在していた縄文人の村は、約2000年間続いたのではないかと、出土した品から推測されています」
2000年間……。その途方もない時間を想うだけで、頭がくらくらとしてくる。ここにはかつて、長きにわたり紡がれた縄文人の生活があった。そしてその痕跡は、貝のカルシウムパワーによって、いま我々の目の前へと5000年の時を経て運ばれてきている。ああ、なんというスケール感なのだろう。貝塚よ、謝らせてほしい。地味とか言って、ごめん。
博物館を出ると、野生のキジが歩いていた。「キジのことも、記事にしましょう」と堀さんが、100点中12点のコメントをつぶやく。それを無視するようにして、キジは茂みへと消えていく。ゆるやかな風が流れ、木々の葉が控えめに揺れる。いま私が目にしているのは、縄文人が見ていた景色かもしれない。そんな感慨に耽りながら、あたりを散策する。人の気配のない貝塚は、まるで本当に縄文時代へとタイムスリップしてしまったかのような、不思議な静寂を漂わせている。
復元された竪穴式住居が建っているのを発見し、おもむろに中へと入ってみる。そこにはベッドもなければクーラーもないし、Wi-Fiなんて飛んでいるわけもない、質素なだけの空間が広がっている。(縄文人は、この薄い暗がりの中で家族の帰りを待っていたんだな)なんて想像をめぐらせると、すぐ隣に彼らがいるような気がしてくるから不思議だ。
「加曽利貝塚」を歩いていると、そんな感じで縄文時代のリアルな空気が可視化される。縄文人の存在が立体として浮かび上がる。我々はそこで、彼らのはっきりとした息遣いと出合うことができる。
ああ、そうか。
貝塚とは、現代と太古をつなぐ、時空を超越したマッチングアプリであったのだ。
貝塚にすっかり魅了されたその帰り道、私と堀さんは以下のような言葉を交わした。
「縄文人の質素な暮らしにこそ、本当の豊かさが隠れているのかもしれませんね」
「そうだね、現代は物があふれていて、大切なものを見失いがちだよね」
「そういえば堀さん、最近、何かいい買い物はしましたか?」
「あ、ドラム式洗濯機を買ったよ。あれ、便利でサイコー」
「わ、いいな。オレも絶対に買おう」
縄文人の皆さん、我々はいとも簡単に、俗物にまみれた現代社会へと舞い戻ってしまいました。日々の暮らしに疲れたらまた貝塚に寄りますので、その時はどうぞよろしく。
お会いできて、うれしかったです。
千葉市立加曽利貝塚博物館
住所|千葉市若葉区桜木8-33-1
Tel|043-231-0129
開館時間|9:00〜17:00(入館は〜16:30)
休館日|月曜、祝日の翌日、年末・年始(12月29日から1月3日) ※祝日の翌日が土・日曜の場合は開館
観覧料|無料
アクセス|車/京葉道路貝塚ICから約7分 電車/JR千葉駅9番乗場から京成バス市営霊園経由「御成台車庫」行き、桜木町下車、徒歩15分。または千葉都市モノレール桜木駅下車、徒歩15分。
www.city.chiba.jp/kasori/index.html
文=ワクサカソウヘイ イラスト=堀 道広
2018年9月 特集「縄文人はどう生きたか」