2026年秋、首里城正殿が完成予定!
沖縄の歴史文化を守る
|首里城正殿、復興のいま
2026年秋の正殿完成に向けて、着々と復元工事が進む「首里城」。琉球文化の保存や継承とともに、伝統技術を次世代に受け継ぐ機会にもなっている。復元途中のいまだからこそ出合える、首里城正殿を訪ねた。
沖縄の歴史文化を守る大切さ
2019年10月31日、世界中を駆けめぐった「首里城焼失」の報道。「首里城」は正殿内部からの火災によって9棟が被災した。「首里城公園」内に46ある施設のうち、正殿とその周辺に建つ北殿、南殿・番所など7棟が全焼、ほか2棟も一部が焼失するという甚大な被害に遭った。
「沖縄の歴史の象徴として、県民に愛されてきた首里城。今回の焼失は非常に残念な出来事でした。しかしこれを機に、あらためて沖縄の歴史文化を守っていくことの大切さに気づいた方も多いように思います」

こう話すのは、首里城復元事業に携わる沖縄県土木建築部首里城復興課の兼久迅さん。復興に充てるための沖縄県主体の寄付制度には、国内外から約61億円(2025年12月末時点)という想定を大きく上回る寄付金が寄せられ、復元への期待値の高さを肌で感じているという。
首里城の一日でも早い復元を目指し、被災直後から「内閣府 沖縄総合事務局」と沖縄県が連携した復元・復興計画がスタート。およそ6年にわたる工事期間を経て、2026年秋、正殿の復元が完了する予定だ。外観部分が完成し、国や県、教育機関、そして国民が一体となって復元の道を歩む首里城のいまを取材した。
沖縄の激動の時代をともに歩み、
今に歴史を伝える

守礼門をくぐり、ゆるやかな坂道(フィラ)を上っていくと工事用のパネルに囲まれた首里城正殿が現れる。正殿から少し離れたところにある信仰の場「京の内」に上ると、その姿と工事の様子をはっきりと見ることができた。
首里城の創建時期は不明だが、本格的な整備は琉球王国(1429~1879年)の創始者・尚巴志王(1372~1439年)の時代といわれている。約450年間続いた王国時代の政治、信仰、芸術文化の中心部として機能した王国最大の建築物だ。

その建築様式には、王国がアジア諸国を結ぶ貿易の中継地点に位置し、海洋国家として交易で栄えてきた痕跡が見て取れる。中国や韓国をはじめとするアジア諸国の宮殿を思わせる2層構造の建物に、日本の社寺建築の影響を受けた屋根・唐玻豊のつくり。そこに琉球王国独自の華やかな造形、さまざまな動植物が彫られた木や石の彫刻、極彩色を多用した色彩感覚が調和している。青空に映える真新しい朱の建築を目の当たりにして、琉球文化の“粋”を感じた。この場所で諸外国の賓客をもてなす多種多様な文化が醸成されていったのもうなずける。

正殿が再建されるのは、実は今回で5度目。中国との冊封体制(中国王朝から国王の位を認証され、朝貢品を献上する政治体制)にあった琉球王国時代に一度、薩摩藩と江戸幕府の支配下に置かれていた時代に二度、1945年の沖縄戦、そして2019年の火災と、5回の焼失を経験している。
琉球王国が崩壊し、1879年に沖縄県が設置されてからは、日本軍の駐屯地や学校として利用されていた時期もあった。さらに沖縄戦で完全に破壊された後、跡地には琉球大学のキャンパスが建てられた。大学の移転後、首里城復元事業が発足し、1992年に正殿が復元された(平成の復元)。
そして2000年には、首里城正殿基壇(基礎部分)の遺構が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつとして世界文化遺産に登録されることとなった。首里城は琉球王国の最も重要な機関として、またその歴史をいまに伝える存在として、沖縄の激動の時代をともに歩んできたのだ。
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伝統技術の継承が進む
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text: Discover Japan photo: Yukiko Shiraki
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