《中山道》大名や庶民から大人気!
険しい山道が続く“裏街道”
|浮世絵からひも解く、五街道と地域文化
徳川家康が整備を進めた、江戸と地方を結ぶ五街道。江戸幕府が国を統治するための重要な街道であると同時に、さまざまな役割を担っていた。今回は歴史家の安藤優一郎さん監修のもと、五街道の一つ「中山道」の成り立ちや特徴をご紹介!
監修=安藤優一郎(あんどう ゆういちろう)
1965年、千葉県生まれ。歴史家。文学博士(早稲田大学)。江戸をテーマとする執筆や講演、セミナー講師のほか、TV番組の時代考証など幅広く活動。『15の街道からよむ日本史』 (日経ビジネス人文庫)をはじめ著書多数。
東海道より人気!?
大名や庶民が好んだ“裏街道”

渓斎英泉と歌川広重が中山道の69の宿場を描く浮世絵の連作『木曽海道六拾九次』の一作。坂本宿は屈指の難所として知られ、碓氷峠越え前の宿場として栄えた
渓斎英泉『木曽海道六拾九次之内 坂本』/国立国会図書館デジタルコレクション
参勤交代で東海道より人気が高かったのが中山道だ。幕府から参勤ルートとして東海道を指定されているものの、何かと理屈をこねて中山道を利用する大名は少なくなかったという。険しい山道が続き、冬場の寒さは大層厳しいが、大きな河川が街道を横切っていないため、川留めの危険性が低かったのがその理由。庶民も同様で、旅路には中山道を選ぶことが多かった。
中山道
総距離|約507.7㎞
宿場町の数|69
〈伝統工芸品〉
中山道の賑わいとともに
江戸に広まった「木曽漆器」

檜をはじめ良質な材が採れた木曽の山々。17世紀初頭が木曽漆器のはじまりとされ、尾張藩の庇護の下で発達。中山道の宿場・奈良井宿を行き交う旅人の土産物としても人気が高かったという。
〈食文化〉
街道の和菓子文化が
生んだ東濃の郷土菓子

岐阜県・東濃地域に伝わる伝統菓子「からすみ」。米粉を蒸してつくられ、子どもの幸せを願う山形の形状が特徴。江戸末期からつくられるようになったとされ、現在でも祝い事などで食されている。
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02|天下の大動脈「東海道」
03|大名や庶民から大人気「中山道」
04|時の文人も夢中「奥州街道」
05|日光東照宮へ向かう「日光街道」
06|脱走路として整備された!?「甲州街道」
text: Nao Ohmori
2025年8月号「道をめぐる冒険。」































