PRODUCT

群馬・上野村の森から消費者へ。
山から製品まで一貫した木のものづくりとは?

2025.5.15 PR
群馬・上野村の森から消費者へ。<br>山から製品まで一貫した木のものづくりとは?

森林が多く、緑深い「群馬県上野村」は、森の木を生かして工芸を行う“ものづくりの里”だ。今回は上野村の木を生かしたつくり手の工房を訪ねる。木材を無駄なく暮らしに役立てるものづくりとは?

line

上野村の木を無駄なく暮らしに役立てる

群馬県の最西南端にある上野村は、総面積の9割以上が森林という、緑深い土地。広葉樹がたっぷりと枝を広げる山は深く豊かで、名水百選に選ばれた神流川が山肌を潤している。

地形は切り立った斜面が多く、畑を拓くこともままならない。だからこそ、森の木々は昔から人々の暮らしを支える大切な存在。いまも山に手を入れ、森の木を育て、伐り出して加工し、無駄なく暮らしに役立てている。

木の伐採は冬場、木が水を吸いあげていない時期におこなう。なかには樹齢100年を超す大木もある。間伐することで森に日が入り、木々の生長が促進され、山が整備される

上野村に森林組合ができたのは1964年。ここでは森林整備から伐採、製材、そして工芸品の加工販売まで手掛けている。「地元の山持ちたちが集まって結成したと聞いています」と木工課長の鳥澤稔之さん。

山で伐採した丸太が、組合の作業場に運ばれてくる。それを余すことなく生活に役立てていく。
建材には、おもに樹齢30~50年の杉材が用いられる。広葉樹や曲がった材は、漆器や家具などの木工製品に。ヒノキやカラマツは原木市場へ出荷される。

丸太からはがした樹皮はバイオマスボイラーに用いられ、木材の乾燥に使われている。端材はチップにして製紙会社に運んだり、ペレットの熱源に使われたり。おがくずは地元のいのぶたファームへ持っていけば、豚舎の敷料にうってつけだ。

上野村森林組合木工課長の鳥澤稔之さん。山から伐りだした樹木は、組合の敷地内で乾燥させ、製品化を待つ

line

上野村の木を生かしたつくり手の
工房を訪ねる

名人がつくる美しき挽物
「今井挽物工芸社」

今井挽物工芸社のけやきの汁椀や菓子鉢。口当たりがよく、使い込むほどにつややかになる

上野村は、ものづくりの里でもある。村民は約1000名、そのうち20名ほどが木工芸に携わっている。

「上野村の木工はお椀から始まったんですよね」と語るのは上野村の木工芸のさきがけ、「今井挽物工芸社」の今井正高さんだ。
「かつて、上野村の産業はこんにゃくと養蚕と炭作り。けれども昭和30年代になると日本の生活が変わり、従来の暮らしでは立ち行かなくなった。そこで、当時の村長が新しい上野村の地場産業として木工を広めようと、村役場に入庁したばかりの私を小田原の工房へ2年間派遣させたんです。それがスタートだったね」と今井さん。

役場の職員から転じた職人の世界は知れば知るほど奥が深く、やがて今井さんは独立して工房を構える。
「50年やってきたがまだわからない、そういう世界ですよ。売れないと食っていけないから、寝ても覚めても、ものづくりのことばかり考えてるね」
今井さんが扱うのはケヤキだ。樹齢百年余の原木を仕入れては、粗挽きして1年ほど乾燥させる。木肌が上気したように赤みを帯び、年輪がくっきりとしている。

ろくろで材を回し、バイトと呼ばれる刃物をあてて挽いていく。ものの5分ほどで椀の形が現れる

「ケヤキは木目がきれいなんだよね。ただ、堅い材だから加工には技術が必要なんだよ」
しっかり乾燥させた材を、粗取りしてろくろで挽く。みるみるうちに木の塊は「うつわ」になる。丹念にやすりをかけて口当たりのよいうつわにする。仕上げの拭き漆は実姉がおこなっている。

「若い人が自分用にまずひとつ買ってくれる。使ってみてよかったからと、家族の分を揃えていく。そういうとき、嬉しくなるね」

今井正高
1955年上野村出身。’75年に上野村役場に勤める。地場産業振興のため、小田原で木工技術を習得。その後石川県で山中漆器の木取りを学び、’87年に独立、「今井挽物工芸社」を設立する。群馬県伝統工芸士認定。椀物など、国産のケヤキ材を使ったろくろ工芸品を制作している。高島屋の催事に出展。
https://www.imai-kougei.site/

line

世代を超えて愛される木のおもちゃや家具
「木まま工房」

アニマルチェアーの第一号はゾウだったそう。イルカ、キツネ、フクロウ、ネズミなど、35種類ほど

動物をモチーフにして、子どものためのおもちゃや家具を作っているのは、「木まま工房」の大野修志さん、純子さん夫妻だ。
動物型の積み木やパズル、コロコロ転がしながら遊べるおもちゃ。「どんな樹木にもそれぞれの良さがある」と、雑木の端材も捨てずに、えんぴつ立てやストラップにしては、息を吹き込んでいる。

若い頃は千葉や東京で暮らしていたという大野さんは、29歳のときに上野村へ移住してきた。
「自然の中で暮らしたくて、全国あちこちをめぐったなかで、この村にやってきたんです。最初に山を歩いて感じたのが、木の芽生えの美しさ。これだけさまざまな広葉樹があるのは、自然が豊かな証拠だと。それと、人のやさしさですね。ここを離れたくなくて、この村でできる仕事をしようと、ものづくりをするようになったんです」

アニマルチェアーの背を作る。糸鋸を使って、一筆書きのようにして絵柄を切り抜いてゆく

工房の商品のなかでも人気が高いのは、子ども用のアニマルチェアー。自分の子どもに与えたくて作ったのがきっかけだったという。堅いブナの木を使い頑丈に作るので、長持ち。なかには親から子へ、2代にわたって受け継がれている椅子もあるという。
「お子さんが大きくなったら、肘かけを切って外して、肘掛けなしのチェアにしてさしあげるサービスもしています。机代わりにしたり台所で踏み台にしたりと、長く使っていただけるのが嬉しいです」

春夏秋冬を肌で感じるたびに「今日も生きてる」と実感する、という大野さん。自然とともにある暮らしのなかから、多くの人に愛されるものが生まれてくる。

大野修志
1960年北海道出身。’89年に群馬県上野村に移住、上野村森林組合名木工芸センターに勤務。’92年に独立して「木まま工房」設立。子どもむけのおもちゃや家具を手掛け、クラフトフェアや百貨店催事に出展中。2003年に愛子様ご使用のアニマルテーブルとアニマルチェアー(羊)が話題となった。
http://e-kimama.com/

line

伐採から商品化まで一貫して行う
「上野村森林組合」

スタッキングチェア(右)は、何度も試作を重ねては使いやすさを追求していき、この形になったという。左は工房に残されている試作品

「上野村森林組合」では、箪笥やテーブルなどの家具から椀もの、カトラリーといった小物まで、さまざまな製品をつくっている。組合員は約40名、そのうち木工の職人は現在7名ほど。レーザー加工やろくろ挽き、指物など、技術も多様だ。

周囲は山に囲まれている。森の香りを放ちながら、山から伐りだしたばかりの丸太が運ばれてくる。敷地内に積まれた一本一本は、育った環境によって木目の出方も色も大きく異なる。それらを日々目にしながら、職人は手を動かす。

職人の堀川浩太郎さんは、森林組合で木工の仕事に携わるようになって20年ほど。「使う人にとって使いやすく、道具としての用途を果たすものを作るように心がけています」と言う。その姿勢がよく現れているのが、スタッキングチェア。座高が低めで横幅は広め、おかげで小柄な人や年配者が安心して座りやすい。材には村内のスギが使われており、軽くて持ち運びしやすい。両脇についた持ち手は、立ち上がるときの助けとなる。

自然木は千差万別の個性がある。プロダクトとして考えるなら、すべてを同じかたちに仕上げることが重要視されるが、ものづくりの魅力はそれだけではない。「古い家の梁を見ても、木の丸みがそのまま残されていますよね。自然の木を扱っているから、自然なかたちが素直に生かされていることに惹かれます」と、堀川さん。

そうした意識から、最近力を入れているのが、まな板。樹皮を残したり、フシをデザインに取り入れたり。ひとつひとつ異なるかたちのなかから、好みのものを選んでもらえたら、と考えている。

堀川浩太郎
福岡県出身。職業訓練校を経て「上野村森林組合」に入社。木工部門と製材部門を担当する。スタッキングスツールやカッティングボードを制作。自然の木の形をなるべく活かしたものづくりを心がけている。
https://ueno-shinrin.org/

上野村では、さまざまな広葉樹が混ざり合って山を育んでいるように、十人十色の職人が自分の仕事に励み、ものづくりの場を豊かに耕している。

作品や商品は人それぞれに個性がある。それでも通底しているのは、木という材への思いの強さ。手元に来た材を余すことなく使いきり、端材にも用を与えて、木の一生をまっとうさせることに努めている。森とともに生きているからこその誠実なあたたかみが、そこにある。

line

 

上野村の木工について
もっと知りたい方はこちら!

 

≫詳しくはこちら

 

text: Naoko Watanabe photo: Atsushi Yamahira

群馬のオススメ記事

関連するテーマの人気記事