《松之山温泉 ひなの宿 ちとせ》
里山の温泉宿で湯治文化に触れる|後編
長期滞在者が集う社交場として花開いた湯治文化は、いつしかマスツーリズムの温泉旅行へと変化。だがワーケーションが注目される昨今、松之山温泉の老舗宿は原点回帰とも呼べる滞在を提案する。
回帰する湯治文化と温泉街の新たな挑戦
「これだけユニークな温泉があるのだから、さらに土地のものを提供すればそれに勝るものはない」と、地域一丸となり松之山温泉を盛り上げようと尽力している柳さん。源泉を利用したバイナリー発電に挑戦するなど芸術祭の人気にあぐらをかかない姿勢を見せ続けているが、新たに今春オープンさせたのは、1階に交流拠点となるカフェバーを設け、その上階に長期滞在型の“離れ”を備えた「湯治BAR」。湯治場から名づけられたことは言わずもがなだが、時代が一巡した現代に湯治文化がマッチしたという。
「離れをつくろうと思ったのは、コロナ禍の影響が大きいです。川端康成は越後湯沢、坂口安吾は松之山といった湯治場を拠点に小説を書いていたわけですが、それっていまでいわれるワーケーションですよね」と、その視点は目から鱗。かつて湯治場とは農民たちが農閑期に長期にわたり滞在し、骨を休めて情報交換を行った場所。近年は短期宿泊の温泉旅行が主流となっていたが、ワーケーションの登場により“温泉街に暮らす”といった在り方が戻ってきたのだ。素泊まりで提供されるキッチン付きの離れは、自炊旅館の名残も見せている。
「旅館ってご飯の時間が決まっているけれど、離れは好きなように生活して好きなだけ温泉に入っていただける場所にしたいと思っています。思い立ったらすぐ温泉に行ってリセットできるというスタイルは、クリエイターとの親和性も高いんじゃないかな」と、もしかすると芸術祭に出展するアーティストの拠点となるかもしれない。ひと息入れたくなれば階下のカフェに下り、リフレッシュしたいとなればアウトドア用のテーブルとチェアを持ち出して温泉街で作業することも可能。自炊が面倒なときは宿の食事処で済ませるなど、いかようにも過ごすことのできる、まさに現代の湯治場だ。
そして日が暮れはじめ看板にポッと明かりが灯ると、湯治BARのカウンターには昼の姿とは異なるラフないでたちの柳さんと、弟であり料理長の柳 政道さんが待っている。気軽な温泉旅行では当主と会話を交わすことなど少ないが、柳さんは時間が許す限りカウンターに立つとのこと。「長期滞在中にちょっと一杯飲みながら、薪窯で焼いた里山のシンプルな素材をつまんでもらうイメージですね」と、まずはキンキンに冷えたグラスでオズボーン社のドライ・シェリーを出してくれた。なぜ新潟でシェリーかといえば、宿からほど近い高台に、スペインとの国交150年を記念してつくられた巨大モニュメント「オズボーンの雄牛」に由来するという。現代アートと土地の背景。そんな興味深い話が交わされるバーが温泉街にあるとはおもしろい。
「芸術祭のコンセプトに『人間は自然に内包される』とありますが、まさに里山というのは人の手によって繰り広げられる自然美。里山があるからこそアートが生きるのかな」と柳さん。大地の芸術祭は「文化・芸術の最も初歩的で基本的な表れは『食』である」という理念に基づいているが、人のみならず卵に豚にコーヒーと、あらゆる食材を湯治してしまう柳さんこそ温泉街のクリエイターか。「いまは肉をほとんど食べない里山の文化をベジタリアンへのおもてなしに活用できないかと模索中です」と、ここでは生命をつないできた里山の食が待っている。
松之山温泉 里山ビジターセンター
住所|新潟県十日町市湯本9-4
Tel|025-595-8588
営業時間|9:00~17:00
定休日|不定休
湯治BAR(1階)
Tel|090-2386-1824
営業時間|16:00~23:00
定休日|火・水曜
ひなの宿 ちとせ離れ「かわ胡桃」(2階)
料金|1室3泊7万5000円~
(食事なし、税・サ込、入湯税別)
text: Natsu Arai photo: Yuko Chiba
Discover Japan 2022年6月号「アートでめぐる里山。/新潟・越後妻有”大地の芸術祭”をまるごと楽しむ!」