TRADITION

日本青少年キャンプの父・乃木希典から辿る、日本におけるキャンプのルーツ。

2021.6.13
日本青少年キャンプの父・乃木希典から辿る、日本におけるキャンプのルーツ。
乃木希典の銅像は、年中温暖で、アウトドア・キャンプの聖地である浜名湖畔に立つ
画像提供=浜松市産業部観光・シティプロモーション課 フィルムコミッション推進室

日本人は、実はいまも昔もキャンプ好き。日本におけるキャンプのルーツを掘り下げていくと、意外なことが見えてきます。ビールの“つまみ”感覚でお楽しみください。

1,日本青少年キャンプの父・乃木希典

日本のキャンプのはじまりはいつ頃なのかといえば、西洋文化が押し寄せた明治期のこと。以来、昭和にかけてキャンプが大流行したという。

明治時代のキャンプは時代を反映して軍事色が強い。「富国強兵」のスローガンの下、「歩兵操練」、「兵式体操」など軍隊式の集団訓練が学校の教科に取り入れられた時代。日清戦争、日露戦争を経て次第に軍事教練は強化され、男子生徒は学年に応じて射撃訓練や天幕を張って野営しながら演習するようになった。

そこに登場するのが陸軍大将・乃木希典である。

乃木希典といえば日清戦争で功績を挙げ、続く日露戦争では大将になった人物。彼は晩年1907(明治40)年に学習院院長に就任すると、毎年夏休みに行われていた遊泳演習に陸軍から譲り受けた天幕を使っての天幕生活を取り入れた。浜辺に広がる天幕の中で自身も学生たち160名と一緒に3週間寝起きをともにしたという。

そんな中、1911(明治44)年に彼はボーイスカウトの創始者であるイギリス陸軍中将・ロバート・ベーデン=パウエルとイギリスで運命的な出会いをする。ロバートは自らの軍人経験から若者たちの人格・市民性・肉体的発達を目的としたスカウティング教育法を考案。その教育法はアウトドアとサバイバル技能に重きを置くもので、乃木はボーイスカウトの訓練や精神性に感銘を受ける。そして日本初のボーイスカウト式キャンプを取り入れる。

このことから乃木希典は「日本青少年キャンプの父」といわれるようになったわけだが、それまでの軍隊式の野営から、人格教育のためのアウトドア・キャンプへと転換を促した人物といっていいだろう。

ちなみに彼は酒がめっぽう強く、大のビール好き。視察に訪れた海軍大将・樺山資紀をビールでもてなしたという。

2,大正時代のキャンプ指南書

画像提供=国立国会図書館デジタルコレクション

続く大正時代はどうだったかといえば、1926(大正15)年、当時の鉄道省が編集し、実業之日本社が発行したキャンプ指南書『キャムピングの仕方と其場所』が発刊される。キャンプを行うときの心得から場所の選定、天幕の張り方、持参する薬から、皆でつくるおすすめ料理まで書かれている。

たとえば天幕。「我が子に持つ様な愛を天幕に持つ事の出來ない人はよいキャムパーとなる資格がないと言はれてゐる」(同書P35)とある。素晴らしい記述ではないか。こんな記述もある。「然し私逹の血管の中にはさうした平和と自由と漂泊とを愛好した祖逹の血が今日でも流れてゐるのであります。私逹が定つた家を持ち、暖かい床を持つて居るにも拘らず、簡易な天幕生活に憧憬を持つて居るのは全くさうした原始的な祖逹の生活體驗を遺傳してゐるからであります」(同書P2)。つまりはこうだ。私たちの中には先史時代の人々がそうだったように、自然の中で暮らす素質がある。雨風をしのげる家があっても、自然に身を置く生活に憧れるのは遺伝がなせる技なのだと。人が人としてあるためにキャンプを全面的に肯定しているのは感心するほかはない。

実はこの本の出版には深い理由があった。発刊3年前の1923(大正12)年秋、関東大震災によって東京は大きな被害を受けた。その後人々は復興を目指してがむしゃらに働き、心身ともに疲れ切ってしまう。その切羽詰まった社会情勢と市民の精神状態を少しでも緩和するため、自然に身を置くことで、いっときの安らぎをもってほしいとキャンプ指南書が誕生した。

そしてもうひとつ。

「何時この文化が破壊されて原始的な時代に還らないと断言し得ませうぞ」とある。原始の時代に還らないまでも、関東大震災を経験したいま、サバイバル知識と技術をキャンプを通して身につけておけば安心だという防災キャンプのすすめでもあった。この視点は現代人にも必要といえるだろう。

3,人間は遊ぶ存在である

『ホモ・ルーデンス』
著者:ヨハン・ホイジンガ(著)、高橋英夫(訳) 発行:中央公論新社 価格:1320円

最後に、20 世紀を代表する歴史学者、ヨハン・ホイジンガの著作『ホモ・ルーデンス』を取り上げてみたい。彼は著作の中で、古今東西の文化や習俗、言語や歴史に至るまで幅広く取り上げながら、その中に潜む「遊び」について考察し、「人間は遊ぶ存在である」ということ。人間はアフリカで誕生したときから遊びなくして生きてこられなかったというのだ。食料獲得は最重要課題だが、同時に格好の遊びでもある。石器をつくることも、水場を探すことも遊びなのだ。それらは生きることと地続きである。そうして遊びがいつしか文化となり、宗教となり、儀礼となって私たちの社会をかたちづくった。人間は遊びを通してしか進化してこなかった、ともいえる。

そう考えると、今号で紹介した、アウトドアでのクリエイションやワーケーション、焚火料理も、自然の中における遊びが根底にあることが見えてくる。ホイジンガが言うように、人間の根源的要素が遊ぶことであるならば、先史時代のように自然の中に身を置いて、火をおこし、料理をし、焚火を囲んで語らい眠る時間をもつことこそ、現代人に必要なことなのではないか。

ワーケーションという新しい生活様式が生まれたいま、仕事をするにも自然に近い環境に身を置いて、人間本来の感覚を取り戻しながら業務に向かえるようになった。頭脳に違う空気が流れれば、新たなアイデアも生まれようもの。遊びは頭脳に余白とアイデアを送る大切な装置だ。

私たちは本来、遊ぶ存在。アウトドアに出たくなるのは、本能の欲求なのだ。いざ、自然の中に赴かん!

text: Akiko Konda
Discover Japan 2021年6月号「ビールとアウトドア」


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