ART

小松美羽の精神を支える恩人。
手島佑郎 Jacob Y Teshima(ヘブライ文学博士)

2020.9.4
小松美羽の精神を支える恩人。<br>手島佑郎 Jacob Y Teshima(ヘブライ文学博士)
『天地の守護獣』2015年。大英博物館キュレーターのニコル・クーリッジ・ルーマニエール氏の目に留まり、有田焼という伝統工芸、狛犬という文化財、独特の生命感を纏った芸術品としての価値が評価され、大英博物館に永久収蔵された

「彼女の芸術の秘密は、祈りにはじまり、祈りで仕上げられていく」

小松美羽の作品に接すると100人中の100人が驚く。
なんと大胆な色使い!
なんと勇壮な筆のタッチだ!
そして、なんと躍動するデザインだ!
……そして皆が超特大のキャンバスの前でしばらく佇む。
……そして皆が作品の前で鑑賞する。

ここで私のこの短いコメントをよく読んでほしい。皆さんは何を鑑賞しているのであろうか? 私の文章には「皆が作品の前で鑑賞する」とは書いたが、何を鑑賞しているとは記さなかった。

然り! 小松美羽の個展があると、来場者の皆が、彼女の作品の前で唖然として、何を鑑賞しているのか、何を探求したのかさえ忘れてしまうのである。ただ、すごい作品に出合ったという印象というか、感動だけに圧倒されてしまうのである。

小松美羽の作品について評論家のようにあれこれ解説や分析、批評を加えると、その注釈が空転してしまう。ここに彼女の作品の魔力がある。それは魔力なのだ。それは技巧では表現も演出もできない世界である。

女子美術大学短期大学部の卒業作品。祖父の死をきっかけに、朝から晩まで夢中に取り組み、3カ月を要して完成した銅版画が『四十九日』である

小松美羽の作品には、3種類ある。

第1に、彼女が未だ美術学校の学生であった時代の作品。これは普通の美大生が制作するようなテーマを見つけて、製作したもの。これは彼女の幼稚さが目立つ作品だ。

第2に、彼女が亡き祖父と愛していたウサギを追悼して大奮闘して完成させた卒業制作の作品『四十九日』。ここには追悼のテーマがある。一見、洒脱でユーモラスなラクダと兎、故人への哀惜と哀悼が込められている。そしてその前に突如強大な姿を現す冥界の審判者ヤマラージャ(閻魔大王)の真剣な目線。それは彼女にしか見えない真実なのであった。これに引き続く『六道輪廻』の制作で彼女は霊界と現世のつながりを如実に表現した。この白黒の銅版画は彼女の画家としての道程の一里塚であった。ここまでは、銅版にへばりついて、金属板を削り、金属板と格闘しながらの制作活動であった。銅版といっても、『四十九日』は、縦690×横1050㎜の大きさであった。銅版を削るのに3カ月を要した。次の『六道輪廻』は、やや小ぶりであった。それでも、縦660×横800㎜の銅版である。

『六道輪廻』2012年。『四十九日』の連作。動物たちの死に立ち会ったことから死生観を表現するようになったと小松さん。美しい死を描いたという2作品は、彼女だけがつくり出せる精神性の結晶だ

通常であれば、ここで彼女の画家としての技術は確立し、その延長で制作活動を続けるものである。銅版を削るという作業を通して、彼女は自分の世界を確立したのではなかっただろうか。何しろ金属板を削るのである。キャンバスに絵を描くとか、石膏をこねて塑像(そぞう)をつくるという、比較的楽な作業ではない。そこから、彼女は全神経を集中して、腕の筋肉に力を込めて、一刀入魂の制作作法を習得したのであった。ここにも彼女の作品に込められた見えざる真実がこもっている。

小松美羽の作品が、ほかの作者と違っているのは、そうした精神性の結晶だという点である。小松美羽は銅板を削ることにとどまらなかった。もっと大きな世界に挑戦したかったのである。そのために、次の表現技術を見つけるまで、しばらく足踏み状態が続いた。

小松美羽さんが、有田焼の窯元「弥左エ門窯」と共同で制作した作品『天地の守護獣』。2015年、イギリスのチェルシー・フラワー・ショーで金賞を受賞した庭園デザイナー・石原和幸さんの作品中に置かれたことでも注目を集め、現在はロンドンの大英博物館に収蔵

3番目に彼女が見つけた世界、いや開拓した世界は、銅版やキャンバスなどを振り切って、画材のサイズに制約されない、自由な空間に自分の等身大の力を投入できる空間への挑戦だったのである。そのために必要な画法は、白い空間に全身をぶつけて、表現すべきテーマを出現させることだったのである。現在、彼女はそれと日々、格闘している。

彼女の作品の中で、彼女の精神性を最もよく代表しているのは、大英博物館のキュレーター(収蔵責任者)のニコル・クーリッジ・ルーマニエールさんが注目した『天地の守護獣』である。有田焼の二頭の狛犬の色やかたちも美しいが、何といっても、頭を下げて地表を睨んでいる赤鼻の犬の目玉が見事である。私はあの狛犬に出会ったとき、会場で身をかがめて、膝を床につけた。そして陶器の狛犬と睨めっこをした。その目は、実に見事な目力であった。ああ、これこそ傑作だと思った。

あの作品に限らず、制作したときの彼女の「目」の高さ、目の位置、目との距離を再現して接してみると、それぞれの作品に込められている彼女の執念というか、気迫、ヘブライ語で言えば「カヴァナー (kavvanah)、集中した一念(concentrated intention)」が伝わってくる。

こういう作品は、現代の作家では、ほかに例を見ない。日本の美術品を眺めても、快慶・運慶の仁王像や、広隆寺の彌勒菩薩半迦思惟像や法隆寺の阿修羅像など、決して数多くない。ここにも小松のユニークさが浮かび上がってくる。

描きはじめる前に手を合わせて瞑想する小松さん。写真は、アメリカで有数の日本美術コレクションを所蔵するクリーブランド美術館の企画展「SHINTO」。2019年5月に開催された、美術館アトリウムでのライブペインティングの様子

小松美羽の作品は、総じて彼女の祈りが込められている。彼女は描きはじめる前に手を合わせて、瞑目する。「どうぞ描かせてください。この作品を見る人々が幸せになるように導いてください」と念じている。もちろん彼女なりに下絵や構想もある。だが、どのように仕上がるかは、神の導きと加護のままなのである。ほかの作家と違って、彼女は描きはじめる前から無心なのである。その無心さと祈りが多くの人々の共感を呼ぶのではなかろうか。

小松さんは2011年にユダヤ教主席ラビ、ビンヨミン・Y・エデリーの下へ通いはじめ、手島先生にユダヤ教を学んで今年で6年になる。勉強会での学びは気づきが多く、彼女の死生観に大きな影響を与えたという

実は、彼女は2015年の2月以来、東京・大森のユダヤ教のラビ邸で毎月開講されている勉強会の熱心なメンバーである。彼女はある友人の紹介でそこに参加するようになった。

その勉強会ではユダヤの古典、たとえばタルムード、の一節を引用して、その一句から知り得るさまざまな局面について発想が飛ぶ。

タルムードの一節、「ブラホット」篇には「平安を愛し、平安を求め、人類を愛せよ」という一句がある。これは2000年前のユダヤの偉大な賢人ヒレルの言葉である。これをどのように実践するか?となると容易ではない。

しかし、小松美羽は彼女の内側から湧き上がる祈りを通して、それを実践しているのである。

タルムードにいう、「祈りは、もし魂も一緒に捧げられているならば、受け入れられる」と(タアニート篇8a)。彼女は制作を始める前に必ず瞑目して祈る。

それは上手く描けますようにとか、皆から喝采を受けますようにといった、利己心からの祈りではない。彼女は目を閉じて、両手を合わせて、一呼吸おいてから念じる。

「どうぞ導いてください。この作品を見る人々が皆、幸せになるように祝福してあげてください。そのために私を使ってください」。

彼女はいわく言い難い祈り心地で、見えざる力に自分を預け、そして制作に取り掛かる。これを、西洋人にわかる表現にあらためれば、近代ユダヤの大思想家ラビ・アブラハム・ヨシュア・へシェルが指摘する“洞察”の瞬間ということになるのであろう。

「いわく言い難いものを感じる感覚は、理性の深みから発する知的冒険なのである。それこそが知覚し洞察することの源なのである。」
The sense of the ineffable is an intellectual endeavor out of the depth of reason; it is the source of cognitive insight.
(Abraham Joshua Heshcel, “GOD IN SEARCH OF MAN”, p.20)

祈りは、自分に湧く想いを神に捧げる行為であるが、小松に湧いてくる作品制作の霊感は、見えざる世界からの衝撃なのである。それは、彼女が作品として仕上げてはじめて、ようやく人々の前に姿を現す。

それでも、その作品が絵画のような平面であれ、有田焼のような立体であれ、その内奥に込められた祈りと祝福がすべて観客や読者に伝わるかどうか。それは小松の作品と対峙する各自の課題である。

幸い私は祈りを大切にする両親や祖父母、そして代々の祖先の神道の伝統に支えられて育ってきた。

加えて、この半世紀あまり、ユダヤ教の敬虔な生活を実践しているイスラエルやアメリカでのユダヤ教の指導者の方々に親しく交わりをいただき、文字にできない彼らの内面にも触れてきた。

そこで見聞してきた神秘的畏怖(awe)の感情は、対象が何であれ、宗教・教派、神学の壁を超えて、人々に語りかけるものがある。

逆に、そうした畏怖の感情への感性を研ぎ澄ませて自然界や人間界を観察すれば、誰しも物事の深い真実が見通せるようになるはずである。

そうした畏怖の感性を補助道具として、小松美羽の世界を探究してみては如何ですかと、皆様に提案しつつ、この拙文を閉じる次第である。

2016年、手島さんと小松さんが、霊感を収集するために訪れたイスラエルでの1枚

ちなみに、彼女がラビ邸での勉強会で何を発見しているかを、私は知らない。そこに参加しているほかの友人と同様に、真実生きることの大切さと意義を、ユダヤ教の賢哲たちの発言から掴もうとしているのである。

自分が日々新たであるために、自分にない何かを発見しようと彼女が努めていることだけは、確かである。

2016年5月には彼女は私と一緒にイスラエルを訪ねた。そしてイスラエル各地で霊感を収集した。

彼女は、世界の各地の聖地に足を踏み入れては、そこでも、静かに頭を垂れて、永遠の世界へ思いを馳せる。

 

彼女の芸術の秘密は、祈りにはじまり、祈りで仕上げられていくのである。

皆さまが小松美羽をより深く理解しようと思われるのであれば、皆様ご自身が型を破ることである。

彼女の作品もそうであるが、たとえば、著書や画集も終わりからめくって見られてはいかがであろうか?

画集の編集者が設計した手順を破って、皆さま独自の読み方、鑑賞の仕方を工夫してみては如何であろうか?

そうすると皆さま自身の独創的世界が開けるかもしれない。

手島佑郎 Jacob Y Teshima(てしま・ゆうろう)さん
ユダヤ哲学 ギルボア研究所所長、ヘブライ文学博士。1967年、ヘブライ大学卒業(哲学・聖書学専攻)。1977年、ユダヤ神学校大学院でヘブライ文学博士号取得。1985年にギルボア研究所設立。日本ユダヤ学会、京都ユダヤ思想学会の会員。日本イスラエル商工会議所の会員

小松美羽の「大和力」に影響を与えた恩人たち
1|塩原将志(アート・オフィス・シオバラ代表)第1章第2章第3章
2|齋藤峰明(シーナリーインターナショナル代表)
3|Luca Gentile Canal Marcante(アートコレクター/起業家)
4|JJ Lin(シンガーソングライター)
5|手島佑郎 Jacob Y Teshima(ヘブライ文学博士)
6|加藤洋平(知性発達学者)
7|飛鷹全法(高野山高祖院住職)

小松美羽さんが裏表紙を飾るDiscover Japan10月号もチェック!

Discover Japan10月号では、巻頭特集で小松美羽さんを特集しています。
宗教や伝統工芸など、日本の文化と現代アートを融合させ、力強い表現力で、神獣をテーマとした作品を発表してきた現代アーティスト・小松美羽さんの、すべてが本書に詰まっています。

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text=Yuro Teshima Jacob Y Teshima photo=提供
2020年10月号「新しい日本の旅スタイルはじまる。/特別企画 小松美羽」


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