京都《伏見稲荷大社》のご利益の秘密①
奈良時代に秦伊呂具が創建した伏見稲荷大社の歴史
伏見と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、朱い鳥居が連なる光景で知られる「伏見稲荷大社」だろう。その謎めいた雰囲気に外国人参拝客も多く集まるが、この伏見一帯が、歴史と深く結び付いたパワースポットであり、「水」にまつわる逸話が多いのも事実。京都屈指といわれるご利益の源をめぐらずにはいられない。
今回は「伏見稲荷大社」の千本鳥居の奥に潜んでいる、さらなる魅力を紹介する。
文=柏井 壽
作家。1952年、京都府生まれ。京都人ならではの目線を生かしたエッセイや旅紀行文を執筆。小誌特集内「京都人の美味しい日常」でもエッセイを寄稿。
大小の鳥居が無数に集まる
不思議な境内に導かれて……
洛南伏見は、京都と大阪の間にあって、アクセスもよく、洛中にはない、さまざまな魅力をもつ町なのに、見逃されがちなのは惜しいことだなぁと常々思っています。
残念ながらいまではレプリカしか残っていませんが、かつて伏見には「伏見城」がそびえ建っていて、ここが日本の中心地になる可能性もあったといわれています。江戸城のモデルにもなった伏見城の城下町は大いに賑わい、東京の「銀座」の発祥ともなりました。
そんな伏見も幕末の頃には、鳥羽・伏見の戦いをはじめ、維新をめぐる戦いの場となりました。坂本龍馬が大坂から、淀川、宇治川を通り、船で上ってきて、京都へと向かう拠点にした「寺田屋」の跡地には石碑があります。
全国で3万を超えるといわれる稲荷神社の総本宮「伏見稲荷大社」ですが、外国人参拝者にも人気が高く、伏見を代表する映えスポットとして、足を運ぶ方がきっと一番多いでしょう。
千本鳥居の奥には、さらなる魅力が潜んでいるのでおすすめしておきます。 京都人が“おいなりさん”と呼び親しんでいる当社は、いまでこそ商売繁昌の神さまとして知られていますが、元は農耕の神さまでした。
古くは奈良時代。その頃の京都で圧倒的な権勢を誇っていた秦一族の、秦伊呂具は裕福な暮らしを続けていて、お餅を的にして矢を射るという、なんとも罰当たりな遊びをしていました。
あるとき、その餅が白い鳥になって飛んで行き、落ちたところに稲がなったのを見た秦伊呂具は、贅沢ばかりしていたことを悔い、社を建てたのが伏見稲荷大社のはじまりとされています。
稲がなる。稲なり、が稲荷に変化したともいわれるように、五穀豊穣のご利益があるとされているのです。それがやがて、繫栄へとつながり、商売繁昌へと広がっていったようです。
おいなりさんのあちこちで見掛けるのが狐。狐が神の眷属とされているからで、狐はまた、農事がはじまる春先から、収穫期となる秋口まで、里へ下りてきて農家を見守り、収穫が終わると山へ戻っていくことから、農家の守り神とされてきました。
おいなりさんといえば、狐と並んで千本鳥居が名高いのですが、最近は押すな押すなの大盛況で、心静かにお参りすることが難しくなっています。
願いが通る、という意から鳥居を奉納し、それを朱塗りすることで魔除けとする。そんな由来を噛み締めながら千本鳥居をくぐれば、きっと神さまのご加護があることでしょう。
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photo: Katsuo Takashima
Discover Japan 2023年11月号「京都 今年の秋は、ちょっと”奥”がおもしろい」