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育成林業のはじまり
《木と日本人のかかわり、そして未来②》

2023.11.1
育成林業のはじまり<br><small>《木と日本人のかかわり、そして未来②》</small>
『木曽式伐木運材図会』より「元伐之図2」
林野庁中部森林管理局蔵

「山と森の国」日本は、森林があることで多様な文化が育まれてきた。では、我が国の森林はいま、どんな状況にあるのか。日本がもつ森林資源のポテンシャル、そして活用可能性を考える。
 
今回のテーマは「育成林業のはじまり」。江戸幕府や各藩における育成林業の取り組みを紹介。江戸時代から森を守り続ける大切さを皆が理解していた。

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育成林業のはじまり

日田出身の農学者・大蔵永常が1859年に著した『広益国産考』より「杉苗を片下りの地に植る図」
国立国会図書館デジタルコレクション

そこで1955年から60年代にかけて段階的に進められたのが、木材の輸入自由化だった。輸入木材は爆発的な需要を賄い、高度経済成長を下支えした。
 
木材の輸入拡大によって国内の森林を温存することができたが、一方で、日本の林業は国際価格との競争に巻き込まれていく。
 
そして同じ頃にはじまった、エネルギー革命による化石燃料の普及も、林業に大きな影響を与える出来事だった。
 
「日本人の生活において石油やガスへの依存度が高まったことで、それまで暮らしを支えていた薪炭の需要が大幅に減少。薪炭用の木材を生む薪炭林(=広葉樹林)の需要も急速に減り、広葉樹林は構造材として扱いやすいスギ、ヒノキの針葉樹林へと置き換えられていきました。戦後に植林された針葉樹林は大きく育ち、現在、主伐期を迎えつつあります。その一方で、高度成長期後の需要の低迷、木造住宅の着工戸数の減少などにより、木材の需要はかつてより減少。現在は森林資源の増えるペースが伐採利用量を上回っています」
 
あり余るほどの供給資源があるのは、森林をうまく生かし切れていない証拠。現在の年間成長量は日本の森林全体で約8000万㎥。国産材の供給量は年間約2700㎥と、年間成長量の3分の1にとどまっている。
 
加えて、森林の「高齢化」も深刻な問題だ。
 
「いまは戦後の拡大造林期に植林された山の面積が増え、若い山の面積が少なくなっています。年月を経て蓄積が大きくなってきた樹木を積極的に伐採、利用して再造林する必要に迫られています」

日本各地の育成林業の歴史

①津軽、南部
利用形態によって山林を分類。伐採禁止や輪伐(森林の伐採を区画を決めて行うこと)、植林を行った。山林方や山守の職制を敷いた
 
②秋田
17世紀初頭の家老・渋江政光は山林の保護育成に尽力。その後、御留山による伐採抑制、利用目的に合わせて順に伐採する番山繰(輪伐)、区画を分け生育状況により選伐する「際見」などが行われた
 
③能登
アテ(ヒノキアスナロ)を挿し木苗で植林し、輪島塗の木地に利用
 
④木曽
もともと幕府の天領だった木曽は、家康時代に尾張藩領となった。尾張藩は御留山などの伐採抑制やヒノキの植林などを推し進め山林の管理を行ったが、幕府も木材の伐出権をもち続けていた
 
⑤山武
造船の用材として、スギの挿し木苗による植林を行った
 
⑥天竜
15世紀半ば頃、犬居町秋葉神社が社有林にスギとヒノキの苗を植林。17世紀頃、山住神社が伊勢などから苗木を取り寄せて植林
 
⑦吉野
16世紀初頭、吉野川上郡でスギの苗を植林。山の所有者が村民に山林の管理を委託する借地林や山守制度によって山林を維持した
 
⑧飫肥(おび)
17世紀のはじめ、藩の財政を支えるためにスギの植林を行った
 
⑨武蔵、青梅
江戸への薪炭と木材の供給地として、地方のスギ苗を取り寄せ植林
 
⑩紀州尾鷲
藩主・徳川頼宣がスギの種子を九州、ヒノキの種子を木曽から取り寄せ造林。18世紀には植林をすると伐出販売ができる植出権を策定
 
⑪日田
江戸時代にはスギの挿し木苗の植林が本格化。その後、全国有数の林業地となった。
 
⑫屋久島
16世紀後半に、屋久杉の伐採利用がはじまった
 
⑬琉球国
尚真王、清王がリュウキュウマツ数千本を植栽。マツ並木の景観のほか、寺院の修繕や生活用材、造船材としての利用が目的だった

 

森林の役割と林業の現状
 
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text: Naruhiko Maeda
Discover Japan 2023年9月号「木と生きる」

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