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「山と森の国」日本の森づくりの歴史
《木と日本人のかかわり、そして未来①》

2023.11.1
「山と森の国」日本の森づくりの歴史<br><small>《木と日本人のかかわり、そして未来①》</small>

「山と森の国」日本は、森林があることで多様な文化が育まれてきた。では、我が国の森林はいま、どんな状況にあるのか。日本がもつ森林資源のポテンシャル、そして活用可能性を考える。
 
今回のテーマは「日本人の暮らしと深くかかわる森づくりの歴史」。日本人は古代から森にあるものを食べ、森の木で家をつくり、豊かな森林から得た薪炭をエネルギーとしてきた。森とともに暮らしてきた日本人の歴史をたどっていこう。

教えてくれた人
森林総合研究所 林業経営・政策研究専門員
堀 靖人

1960年生まれ。1984年に農林水産省林業試験場(現在の森林総合研究所)経営部に採用。林業経営・政策研究領域林業動向解析研究室長、同領域長、研究コーディネーターなどを経て現職

日本人の暮らしと深くかかわる森づくりの歴史

林業技術の伝承は書物で行われていた!?
飛騨高山の郡代役所地役人だった土屋秀世が1845年につくった『官材画譜』には、飛騨地方の木材の伐出と運材の方法が書かれている。その後1854年に同地役人の富田礼彦が官材画譜に基づき『官材図絵』を作成している。『官材画譜』[土屋秀世作、松村寛一絵 1845(弘化2)年] 国立国会図書館デジタルコレクション

日本は「世界有数の森林大国」。日本人にとって、森林は古代から身近な存在だ。「木の国」、「森の国」として、森林と日本文化は切っても切り離せない関係にあり、日本人は森とともに生きてきた。現在も国土の約67%は森林であり、樹木の多様性は、同じ温帯林を有する国の中で類を見ない。
 
では日本人はこれまで、どのように森林を活用してきたのか。その歴史について、森林総合研究所の堀靖人さんに話をうかがった。
 
「日本人は森林からエネルギーと食料生産のための肥料、家畜の飼料を得て、木材を建材や道具などに活用してきました。やがて稲作農業のはじまりとともに焼き畑農業はなくなり、人口が増えて、森林をさらに積極的に利用しはじめます。弥生時代後期の登呂遺跡では、住居や水田の土留めにスギ板が使われていたことが確認されており、その量は直径30㎝×5mの丸太で1万本以上に及んだといわれています」
 
そして6世紀頃になると、製鉄技術が発展し鉄器具が登場。以降、大型建築や船などに使われる木材が大量に伐採されていった。
 
「天然材の採取はその後もずっと続きました。その影響で近郊の森林が荒廃すれば、伐採地は次第に周辺へと拡大していったのです」
 
出雲大社や伊勢神宮の建立、平安京への遷都、東大寺の再建といった歴史的な出来事の中、多くの天然材が消費されていった。森林をひたすら伐採し、木材を採取。育林は天然更新任せ。そのような粗雑な伐採による森林資源の利用は、近代まで続いた。
 
「戦国時代以降、森林の荒廃がはじまります。当時は多くの武将が領地の木材を使い、大きな城を築きました。そして16世紀に天下を統一した豊臣秀吉は大坂城や伏見城、聚楽第などを、国内中から集めた木材で造営。その後、徳川家康も多くの建築物を建てるため、全国から木材を集めました。それまでは辛うじて森林を利用し続けられていましたが、こういった乱伐によって、日本の森林は全国的に荒れていきました」

江戸時代に行われた保続林業の取り組み

『官材画譜』[土屋秀世作、松村寛一絵 1845(弘化2)年]
国立国会図書館デジタルコレクション

森林の荒廃の影響によって、17世紀半ばになると、建築用木材の品質低下や供給不足が顕著になっていった。そこで、江戸幕府は直轄地(天領)に対し伐採の禁止、森林保護と植林を奨励するお触れを出した。
 
幕府は伊那、飛騨などの良材の採れる林業的価値の高い山林や防災上必要な山林を管理下に置き、「御林」、「御留山」として指定。伐採を禁じ「御留木」として樹種による禁伐も行った。そして1685年に御林奉行を設置し「御林台帳」を作成。森林の状態把握に努め、保護を目指した。
 
その一方、津軽、秋田、能登、飫肥などの良木の産地を有する藩でも、領内への木材供給や領外への販売のため、さまざまな取り組みが行われた。
 
「木曽ヒノキの産地である尾張藩、秋田杉の産地である秋田藩、青森ヒバの産地である津軽藩などは留山といわれる伐採制限や禁伐を行い、森林を保全。植林と天然更新を進め、藩による自主管理で、幕末まで優良な森林を維持し続けました」
 
特に積極的な森林保護の取り組みを行っていたとされるのが秋田藩だ。秋田藩は木山方という管理組織を設置し、森林の保全、伐採の管理、植林の奨励に力を入れ、水源を養う水野目林の指定など、積極的な改革を行っていた。
 
「当時は地域に根差した生活をして、地域で使う森を育てていた。それゆえに、各地域特有の森林をしっかり守り続けないといけないことを秋田藩はよく理解していました。荒廃していた森林を、藩と商人と農民らがみんなで協力し、いい山をつくろうと立ち上がった。それにより秋田の森林は回復していきました。木山方の現場を担った『御山守』たちは、文書で林業にかかわる事柄を記録していて、それが明治維新を超えて受け継がれていたことが現在では明らかになっています」
 
秋田藩をはじめとする各藩は、現代にも通じる持続可能な森林資源の維持・循環を、独自のノウハウの下で行っていたのだ。
 
「現代社会では当然とされる再生可能な森林利用ですが、林業先進国ドイツにおいては18世紀はじめが起源とされています。しかし、それより半世紀前に、鎖国状態であったこの国で取り組まれていた保続(=育成)林業は、現在も多くの林業先進国から“日本の奇跡”として高く評価されています」

森林資源の増えるペースが
伐採利用量を上回る現在

『官材画譜』[土屋秀世作、松村寛一絵 1845(弘化2)年]
国立国会図書館デジタルコレクション

その後、明治維新を経て、政府は西洋の学問から積極的に学ぶ政策を採用した。林業についても、先進国ドイツに留学して林学を学んだ学者や技官が、国有林の制定などを通じて統一的に管理・指導するように。明治維新はほかの産業同様に、林業においても大きな転換点となったのだった。
 
「江戸時代に諸藩によって植林、保護された森林は明治以降、官林そして国有林として受け継がれていきます。そして大正から昭和に入り、第二次世界大戦後まで、日本の国土を支え続けました」
 
その後、第二次世界大戦が終わるとともに、荒廃した国土の復興がはじまった。復興需要により必要な大量の木材を供給するために大幅な伐採が進み、森林は再び荒廃。たび重なる洪水もあって国産材は供給不足となり、木材価格は高騰していく。

日本の林業の歴史

木曽・飛騨地方にて山の神を祭り、安全を祈る杣夫
かつて山で働く人々は信心深く、仕事に取りかかる前に山の神を祭り、安全を祈願した。山でけがをすることは山の神を汚したせいと考え、事故や災害を恐れる彼らにとって形式的行事ではなかった
『木曽式伐木運材図会』より「祭山神圖」 林野庁中部森林管理局蔵

6〜14世紀 採取利用
森林の天然更新による回復に頼る
天然林をひたすら伐採し続ける「採取利用」は、近代に至るまで続いてきた。その長い歴史の中で日本の山林は徐々に荒廃していったが、中世までは主に森林の天然更新による回復に頼ることで、辛うじて利用できていた

15〜16世紀 戦国時代
武将たちが大建築物を多数造営
各地の武将たちの築城に加え、天下を統一した豊臣秀吉、徳川家康は全国から良木を集めて、大坂城や伏見城、聚楽第、二条城や江戸城といった、大建築物を造営。そのための全国的な乱伐が行われた

15〜17世紀 山林の荒廃
大都市の木材消費量が爆発的に増加
多くの大建築物の造営に加えて、江戸や京都、大坂といった大都市において、木材の消費量が爆発的に増加。日本の国土が広く尽山(裸山)となるほどの、全国的な山林の荒廃を招いてしまった

17〜18世紀 育成林業の萌芽
幕府による造林の奨励と御留山、御林奉行の設置
17世紀以降、建築用木材の品質低下や供給不足が顕著に。1661年には尾張藩らが御留山を指定し、幕府は1685年に御林奉行を設置。1751年には秋田藩が30年ごとの伐採順序を決める番山繰を導入

17〜19世紀 各地で保続的な林業への取り組み開始
藩による自主管理で森林保護と木材供給を両立
尾張藩(木曽桧)、秋田藩(秋田杉)津軽藩(青森ヒバ)などで留山(伐採制限)や禁伐を行い、森林を保全。植林と天然更新を進め、藩による自主管理で森林保護と木材供給の両立を目指した

<主な出来事>
15世紀半ば 大鋸の使用
1590年 豊臣秀吉の天下統一
1600年 徳川時代のはじまり
1642年〜 幕府による造林の奨励
1661年〜 尾張藩等で御留山を設置
1666年 幕府の諸国山川掟(開発抑制と植林の要請)
1685年 幕府が御林奉行を設置
1697年 宮崎安貞の『農業全書』で諸木の植林法を解説
1708年 尾張藩がヒノキ・サワラ・コウヤマキ・アスヒの伐採を禁止(御停止木)
1713年 世界では、H.Cフォン カロウイッツが「保続的利用」を概念化
1728年 尾張藩の御停止木にネズコが加わり木曽五木が確定
1751年〜 秋田藩主が計画伐採の「番山繰」を導入
1788年 熊沢蕃山の『宇佐問答』
1804年〜 秋田藩の林政を主導した賀藤景林による林政立て直し
1826年 鳥取藩が「諸木増殖仕法」を制定
1832年 土佐藩が生立樹木年齢調査を行う
1851年 大蔵永常の『広益国産考』

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育成林業のはじまり
 
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text: Naruhiko Maeda
Discover Japan 2023年9月号「木と生きる」

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