老舗氷業店《クラモト氷業》の
金沢から世界への挑戦
グラスの中で静かに光る透明な氷。ことにバーにおいて、それは脇役ではない。温度を整え、香りを引き出し、味わいの輪郭を決める最後の素材だ。いま、その氷を求めて、世界のトップバーが日本へ視線を向けている。世界への送り主は、石川県は金沢の「クラモト氷業」。一軒の老舗氷業店が、いま世界のバーカルチャーの最前線で存在感を放っている。
金沢から世界へ
クラモト氷業の挑戦
世界のバーに向けて、日本から氷が輸出されている。それも、一杯のグラスにぴたりと収まるよう、美しくカットされた氷だ。海の向こう、国境を越えても手に入れたい、と求められている氷がある。そう聞いて、にわかに信じられるだろうか。

そんな氷を手掛けるのが、1923(大正12)年創業、100年以上の歴史をもつ老舗氷業店「クラモト氷業」である。輸出先はアメリカ、オーストラリア、シンガポールなど多岐にわたり、名だたるトップバーから注文が寄せられている。その中心にいるのが、5代目の蔵本和彦さんだ。
「氷は、ただ冷やすためのものではありません。カクテルの味を決める最後の素材といえます」

そう語る蔵本さんが家業に入ったのは、25歳の頃。製氷機の性能向上と価格競争で、街の氷販売店が厳しい時代を迎えていた。実際に働きはじめて感じたのは、切迫感だけではなかった。
「正直、古臭いなと思いました」氷業店という仕事に、どこか閉じた業界の空気を感じたという。だからこそ、「もっと格好いい仕事にしたい」と思った。当時のクラモト氷業は、氷を仕入れて販売するいわゆる氷の小売店だった。だが、祖父の代から「いつか自社で氷を製造したい」という悲願があった。蔵本さんが入社し、その構想がようやく動きはじめる。

しかし、壁は高かった。製氷工場建設に必要な借入額は2億円超え。当時の売上規模から見れば、無謀ともいえる挑戦。「無理だ」と周囲から言われ続けた。
それでも、時代の流れが追い風になった。北陸新幹線開業への期待、後継者の存在、先代たちの熱意。銀行に足繁く通い続け、ようやく融資が実現した。「ファミリービジネスで、逃げない人間がいることは大きかったと思います。信用に値したのだと」。
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金沢の氷ができるまで
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text: Yumiko Numa photo: Sadaho Naito
2026年7月号「納涼、しましょ。」



































