TRADITION

大熊健郎が巡る、芸術に高まった日本の職人仕事「民藝」
第3回/銀座たくみで知る、民藝の愉しみ

2017.8.30
大熊健郎が巡る、芸術に高まった日本の職人仕事「民藝」<br>第3回/銀座たくみで知る、民藝の愉しみ

柳宗悦ら民藝運動の主要メンバーによって創設され、全国の新作民藝を販売する拠点となり、健康の美の普及に勤しむ小さな民藝店がある。つくり手と使い手をつなぐ民藝の聖地、銀座たくみを訪ねた。

Profile
大熊健郎(おおくま・たけお)

「CLASKA Gallery&Shop “Do”」ディレクターとして、まだ知られていない日本のいいものを見つけ出し紹介する達人。インテリアショップ「イデー」のバイヤー&商品企画、『翼の王国』編集部を経て現職。www.claska.com

Profile
野﨑 潤(のざき じゅん) 

大学時代に日本民藝館のはじめての学芸員実習生となり、卒業後は「東急ハンズ」へ。MD企画部文具部門マネージャーを経て、2011年「銀座たくみ」に入社。翌年、取締役に就任。志賀直邦社長の下で民藝とたくみ、経営について学びながら、配り手として全国を飛び回る。

民藝と銀座たくみ、80年。
文=大熊健郎

たくみの1階にて、うつわ談義に花を咲かせる大熊さん(左)と野﨑さん(右)

近代的なビルが建ち並ぶ東京銀座の外堀通りを数寄屋橋方面から新橋方面に向かって歩いていくと、左手に印象的なファサードの店が現れる。日本と世界の民藝、手仕事の品を集めた「銀座たくみ」である。

店内に並ぶ工芸品の数々は実にバラエティーに富んでいる。陶磁器やガラスはもちろん、籠やざるなどの編組品、染織品、和紙、金工、木工、鉄器、郷土玩具に南米のフォークアートまでと、まさに諸国民藝の宝庫といった様子だ。

銀座たくみが創業したのは1933(昭和8)年。実は東京・駒場の日本民藝館が出来るよりも前にこの店は誕生している。創立にあたり発起人として名を連ねていたのは、柳宗悦をはじめ、濱田庄司、富本憲吉、芹沢銈介、志賀直哉といったそうそうたる面々。このことからもたくみ開店の意義が察せられるだろう。

それは、柳宗悦自身が「民藝」というものを思想的、感覚的に伝えるだけでなく、ひとつの社会運動として発展させることを意図していたことの証である。つまり民藝という「正しくよいもの」を品物として社会に届けることで健全な手仕事を存続させ、また人々の暮らしに美をもたらすことで社会を変えていくという信念である。

とはいえ民藝を思想として紹介することと、実際に品物として販売することは目指すべき先は同じでも事情は異なる。店の運営は事業、すなわち経済活動であり、確固たる思想が必ずしも商売に有利に働くとは限らない。

まして時代の変化もある。そのような「難事業」を80有余年という長きにわたり銀座たくみが続けてきたのは驚くべきことである。

現在、企画・仕入れ担当として全国の産地やつくり手の元を飛び回り、銀座たくみの舵取りを担う野﨑潤さんは言う。
「たくみは民藝運動をはじめた人たちが創業者。彼らが見出した手仕事のもつ美しさや技術を後世に残し、伝えていく使命にはやり廃りはありません。そして多くのつく手がたくみを支えてくれています。柳の言う『今見ヨ、イツ見ルモ』の心を忘れずにたくみとして『正しいものを揃える』努力をし続けてきたことがいまにつながっているのだと思います」。

取材を忘れて我々は思わず買い物を楽しんだ。商品を手に取るたびに、勤続50年になるという世川店長がつくり手や工房の話を丁寧に聞かせてくれる。平日だというのに店には年配の男性、友だち連れのご婦人、若い女性、外国人旅行者といった人たちが絶え間なく訪れていた。「正しいもの」は時代を超えて人々に愛され続けている。柳たちの信念は確実に実を結んでいるようだ。

銀座たくみは、民藝の「配り手」である

昭和8年に銀座たくみが開業し、翌9年に日本民藝協会が設立され、昭和11年の日本民藝館開館へと続く

民藝運動から生まれたたくみの使命は、民藝という正しい品を社会に届けること。

つまり、つくり手と使い手の架け橋となる配り手に徹することである。配り手の役割は単にものを仕入れて販売するのではなく、つくり手の話を聞いて学び、時には助言して支え、ものの背景を使い手に正しく伝えるという重責を担う。すべては健全な手仕事の未来と、人々の暮らしのために。

しかし民藝運動から90年以上の時が流れ、柳たちが見出した正しい品々が、必ずしも現代の暮らしにフィットするわけではない。残念なことに、道具としての需要は下がっているのが現状だ。使い手がいなくなればつくる必要がなく、つくり手の生活も成り立たなくなる。だから、販売が厳しくなったものでも、たくみは発注し続ける。

野﨑さんは言う「一番恐れているのは、つくり手の次につなげる手が止まってしまうこと。長年積み上げてきたものを、手が忘れてしまったら取り返しがつきません。ですから、たとえ長期にわたる在庫になっても、店に置き続け発信していかなければなりません」

つくり手と使い手の両方に責任をもつ。それが一民藝店ではない、たくみという配り手なのだ。

陶磁器や漆器、ガラス器、染織品、木工品、郷土玩具など、国内外の美しい手仕事が並ぶ
たくみの包装紙は芹沢銈介が手がけたもの。生活道具がモダンに配されている
京都・北村一男さんの鎚起銅器。繊細な道具の使い方、手入れ法などをしっかり伝えるのも配り手の義務
北朝鮮でつくられていた伝統的な石器がフルラインアップ揃う。いまでは希少な存在に

野﨑さんが民藝に感じる魅力とは?

野﨑さんが父親から譲り受け愛用している小鹿田焼。つやが増しより美しく育っている

美しさにはさまざまな姿かたちがあるが、柳はそれまで美的対象物として評価されることのなかった日用雑器の中に、「健康の美」を見出した。それらは「美の標準」として日本民藝館に収蔵されており、野﨑さんが配り手として心に刻む原点になっている。

「それぞれの土地の気候や風土の中で、日々の暮らしのためにつくられた健やかで温かい手仕事の品々は本当に素晴らしく、使ってこそその魅力を感じることができます。つくり手が変わっても、民藝の精神は受け継がれ、ものに宿るのです」

瀬戸本業窯

世代交代で麦わら手を描く職人も次世代へ。まだ3年目だが、描く線を見ているとその成長ぶりがうかがえる

小鹿田焼

一子相伝で技を守り伝える小鹿田焼も、時代に合わせてうつわの厚みや色みが微妙に変化している

読谷山焼 北窯

松田米司さんら4人の共同窯。県産の白化粧土不足と向き合う中、それでも変わらずおおらかなうつわを生み出している

奥原ガラス

沖縄でつくられるペリカンピッチャー。イタリアの工芸製品を新しい民藝として琉球ガラスで再現。いまでは工房を代表する作品に

肥料振りかご

宮城県大和町でつくられる肥料をまくときに使う籠。日本民藝館賞を受賞している。現在農具としての需要はほぼないのが現状

対談:野﨑 潤さん×大熊健郎さん これからの「民藝」のこと

同じ売り手・配り手という立場で民藝について語り合う大熊さん(左)と野﨑さん(右)

大熊:野﨑さんが民藝に興味をもったきっかけは何ですか?

野﨑:美しいものをこよなく愛していた父の影響ですね。民藝が好きでいろいろ買い集めていましたから、たくみに並んでいるような品々に囲まれて育ちました。濱田庄司の湯飲みを普段使いしてましたし、私にとっては生活の一部でした。それで、大学4年時の学芸員実習を日本民藝館に頼み込み、はじめての実習生としてお世話になりました。ちょうど館が50周年の記念展の準備を行っている時期でした。

大熊:でも大学卒業後は東急ハンズに就職されて……。

野﨑:7年前までハンズで文房具のバイヤーを。その後たくみに転職しました。

大熊:真逆の世界ではなかったですか?

野﨑:よく聞かれますが、ハンズは“Hands”で手仕事ですから、私的には根本は同じだと思っています。ただ、たくみは民藝を守り次世代に伝えることを使命としていますから、よりつくり手に近い存在でいられる。これはハンズ時代にも望んでいたことなので、実際に産地に足を運び、産地の現状を見ることができているのは、とてもありがたいことですね。

大熊:民藝を生業としていく上で、意識していることはありますか?

野﨑:あまり民藝という言葉にこだわらないようにしています。正しいものなら、自然に手に取ってもらえますからね。ただ、そのものの背景はしっかりと伝えたい。もちろん民藝のうつわだからよいと伝えるつもりはありません。つくり手は純粋に自分のつくったいいものを永く使ってもらいたいと思ってつくっていますから、私たちがそれをしっかり受け取り、その思いとともに正しく届けることが大切だと思うのです。

大熊:たくみさんと同じように、産地も世代交代の時期ですよね?

野﨑:多くのつくり手が後継者問題に直面しています。後継者がいたとしても、育つには時間がかかります。いまはただ若手の育成を根気よく、といったところでしょうか。でも民藝を志す人たちは素直でまじめ。若い人も切磋琢磨していますから、私たちも彼らの成長を一緒に見守っています。未来の名工になるのではと期待に胸が弾みます。

大熊:これからの民藝に必要なことは何でしょうか?

野﨑:父が残してくれた古いものを見ていると、永く愛されるものには理由があり、これから先も残すべきものだと思うのです。それは、単に古いからいいということではありません。民藝は暮らしに根ざしたものですから、先人が残してきた技術やかたちう等の伝統を受け継ぐべきところは受け継ぎ、捨てるものは捨て、また新しいものを取り入れることも必要になります。ですから原点を忘れないように、ときには振り返ることも大切。正しいものを見て触れ、美の標準を身につける。そして、つくり手は正しいものをつくり、私たち配り手は正しいものを選んでいく。それに尽きると思います。

大熊:それは使い手にも言えることですね。

野﨑:民藝うんぬんではなく、日常の暮らしの中で使ってこそ美しいもの、心地よいものがあることを知ってほしいですね。その上で、たまたま手に取ったものが民藝由来のものだったり、購入した店がたくみだったりしたらうれしいです。そして、心惹かれるものと出合ったなら、ぜひ産地にも足を運んでもらいたい。ものが生まれる風景を見て、土地の美味しいものを食べ、暮らしぶりを肌で感じることで、ものへの愛着も増すのではないでしょうか。

大熊:これから、たくみの在り方も変わるのでしょうか?

野﨑:ありがたいことに、私たちにはこれまでに多くのつくり手から受け継いだ財産があります。それをうまく活用していきたいと考え、手はじめに芹沢先生の図案でオリジナルの手ぬぐいをつくりました。また、新しい試みとして「東京クラフトマップ」にも参加し、お店の情報をたくさんの人々に発信するとともに、配り手の横のつながりを拡げています。まだ手探りではありますが、全国のつくり手を支えられるたくみであるために、新しい一歩を踏み出すときだと思っています。

野﨑さんが志賀社長の助言を元に提案したオリジナルの注染手ぬぐい。左は棟方志功の裸婦、右は芹沢銈介の図案型絵染
老舗からライフスタイルショップまで、東京のクラフト・工芸店をめぐれる「東京クラフトマップ」を企画、参加。「老舗にあぐらをかいてはいけないと思っています」

銀座たくみ
住所|東京都中央区銀座8-4-2
Tel|03-3571-2017
営業時間|11:00~19:00
定休日|日曜、祝日
www.ginza-takumi.co.jp

【information】
民藝のうつわが一堂に会する特別企画展がはじまります。見て、触れて、お気に入りの民藝を持ち帰ってください。

いまの暮らしに、健やかな美を。民藝展」
会期|2020年8月26日(水)~ 9月6日(日)
会場|日本橋髙島屋S.C. 本館8階催会場
住所|東京都中央区日本橋2-4-1
営業時間|10:30~19:30(最終日は18時閉場)
Tel|03-3211-4111
※後に巡回 大阪髙島屋 9月9日(水)~14日(月)

文=大熊健郎、岩越千帆  写真=山平敦史


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大熊健郎がめぐる、芸術に高まった日本の職人仕事「民藝」
1|瀬戸本業窯で見た、民藝の本流
2|浄法寺塗・浅野奈生さんの工房で見た、日用品としての漆器
3|銀座たくみで知る、民藝の愉しみ

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