我が道を突き進んだ
「10人の北前船主」
開拓者、大地主、実業家……【前編】
「一航海千両」といわれるほどの利益を上げた北前船。開拓者、大地主、実業家……命を懸けた航海をも恐れない気概と商売の才覚を生かし、富豪に上り詰めた船主10人をご紹介!
富豪に上り詰めた船主たち
北前船主となったのは、蝦夷島(北海道)にいち早く進出し、松前藩による商場(場所)請負(藩の家臣から請け負った商人が交易を代行すること)に進出した近江(現・滋賀県)の商人、雇われ船頭から船主へと独立した越前(現・福井県)や加賀(現・石川県)など北陸出身の船乗り、取次業務だけでは飽き足らず、自ら船主となった廻船問屋、幕府による蝦夷島直轄を機に進出した江戸の商人など、出自も職業もさまざまな人物たち。身分制度が厳しかった江戸時代、それぞれが一攫千金を夢見て海へ乗り出した。

ただし、北前船はハイリスク・ハイリターン。船1隻につき平均7年に1回は難破したという。そのリスクを減らすため、船主は自船の数を増やして、確実に儲かる商品に特化していった。江戸時代後期には、多くの船を所有し、幕府や藩の御用商売・御用輸送で活躍した北前船主が財を築いた。
一方、北陸の五大北前船主に数えられる廣海二三郎、右近権左衛門、大家七平、浜中八三郎、馬場道久をはじめ、江戸時代にはそれほど大規模でなかった北前船主は、倒幕による影響が少なかったために明治時代に入って繁栄。北前船の全盛期を支えた。明治20年代になると和船から汽船船主となり、銀行家や政治家となる者も現れるなど、北前船が役目を終えた後も各地で活躍し続けた。
〈陸奥〉酒造業も手掛けた東北の豪商
「野村屋治三郎」

写真提供=野辺地町立歴史民俗資料館
陸奥(現・青森県)の豪商・野村家は、18世紀末から和船を所有し、大坂へは魚肥などを、帰りは木綿や古着などを運び、酒造業も手掛けた。1880年代に土地取得を進め、青森県を代表する大地主兼資産家に。6代目治三郎は、県会議員を務めたほか、1890年には貴族院の多額納税者議員にも選ばれた。野村家は1890年代に廻船業・問屋業から撤退するが、1900年には銀行を開業。地元企業の役員にも名を連ねた。
Profile
本拠地|野辺地(青森県)
北前船経営の開始時期|18世紀末
最多所有帆船数|6隻
〈能登〉 “海運の西村”として浪華財界に君臨
「西村屋忠兵衛」

写真提供=羽咋市歴史民俗資料館
1819年に能登(現・石川県)で生まれた初代忠兵衛は、1834年に北前船の水夫となり、1862年に独立。主に蝦夷島の厚岸・箱館と阿波(現・徳島県)の撫養・大坂間を往復し、北海道産魚肥の売買で巨利を得た。1870年代には8隻程度の和船を所有し、本拠である大阪店は「大阪松前問屋一番組」に加入。後に問屋組合の取締を務めるなど、西村家は「浪華財界の三羽烏」と称される豪商になった。
Profile
本拠地|大坂(大阪府)
北前船経営の開始時期|1851年頃
最多所有帆船数|8隻
〈加賀〉北陸五大北前船主の筆頭
「廣海二三郎」

写真提供=加賀市教育委員会
加賀の廣海家は海運業を営む旧家で、慶応年間(1865~1868年)には4隻の大型和船を所有していた。1854年生まれの5代目二三郎は1883年に大阪に移り、和船買積経営から汽船運賃積経営への転換を進め、1906年末時点で、個人汽船船主として国内最大規模の汽船を所有するまでになった。1896年には「日本海上保険」を設立する一方で、鉱業にも参入し、日本有数の硫黄鉱業者となる。
Profile
本拠地|大坂(大阪府)
北前船経営の開始時期|19世紀初頭
最多所有帆船数|11隻
〈加賀〉材木問屋から船主になった異端児
「銭屋五兵衛」

画像提供=石川県銭屋五兵衛記念館
1773年、加賀の両替商に生まれた3代目五兵衛は、1811年に海運業に乗り出してまもなく、加賀藩の要請で材木問屋職に就任した。木材調達のために下北半島、津軽半島、そして蝦夷島へも進出。加賀藩の御用商人となり、最盛期には15隻程度の和船を所有し、青森にも拠点を構えた。巨万の富を築いたが、河北潟干拓に着手した際、民衆の反発を招いて投獄され、1852年に獄中で生涯を終えた。
Profile
本拠地|宮越(石川県)
北前船経営の開始時期|1811年頃
最多所有帆船数|15隻
〈越中〉綿と米を運び財を築いた
「綿屋彦九郎」

写真提供=新湊歴史保存会
江戸時代、越中(現・富山県)では木綿生産が発達。8代目彦九郎の時代から加賀藩の御用米を大坂・堺に運んでいた「綿屋」は、綿の買い付けも藩から一任されるようになった。1850年前後、13代目彦九郎の時代には7~9隻の和船を所有。藩最有力の船主として、加賀の銭屋五兵衛と並び称される豪商となった。なお苗字帯刀を許されてからは代々、宮林姓を名乗っている。
Profile
本拠地|放生津(富山県)
北前船経営の開始時期|1817年頃
最多所有帆船数|9隻
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01|「航路の歴史」とは?
02|太古~平安時代前期
03|平安時代後期~戦国(安土桃山)時代
04|江戸時代~明治時代
05|北前船の主要ルートとは?
06|北前船はなぜ儲かった?
07|「10人の北前船主」【前編】
08|「10人の北前船主」【後編】
09|北前船が運んだもの
text: Miyu Narita
2025年7月号「海旅と沖縄」































