お雛さま、飾っていますか?【後編】
雛人形は心をつなぐ存在です。
3月3日は桃の節句。桃の節句といえば雛祭り。そして雛祭りに欠かせないのが雛人形だ。時代とともに人形の姿や飾り方は変わっても、雛人形に込める想いは変わらない。後編では、日本人形文化研究所所長の林直輝さんと、松崎人形の松崎光正さんに、お雛さまを飾る理由や江戸木目込人形の魅力をうかがった。
林 直輝(はやし なおてる)さん
日本人形文化研究所所長。日本人形玩具学会理事。「骨董喫茶健康堂」代表。大学卒業後、吉德資料室に学芸員として勤務。同室長を経て現在は客員研究員。凧絵師でもある。
松崎光正(まつざき みつまさ)さん
松崎人形3代目。伝統工芸士。雅号は幸一光(こういっこう)。多摩美術大学彫刻科卒業後、松崎人形に入社。全国節句人形コンクール総理大臣特別賞をはじめ数々の賞を受賞。
日本ならではの
子どものためのお祭り
日本には、さまざまな節句祭りがある。そもそも節句は、季節の変わり目など節目にあたる日で、節日(せちび)ともいう。節日には神に食べ物を供えたことから、もともとは節供と書いた。節句の中でも人日(じんじつ)(1月7日)、上巳(じょうし)(3月3日)、端午(たんご)(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(ちょうよう)(9月9日)を合わせて五節句といい、江戸時代には幕府が式日(祝祭日)とした。
「明治時代になって、五節句は式日ではなくなりましたが、節句の行事自体はすでに定着しており、その後も受け継がれてきました。中でも3月3日と5月5日は、子どものお祝いに特化した行事。これは世界でも珍しく、日本独自の文化と言えます」(林さん)
雛祭り、1000年前になぜはじまった?
雛祭りの起源は平安時代の雛遊び(人形遊び)。これと上巳の節句の祓いの行事が結び付いて生まれた。現在のような華やかな祭りになったのは江戸時代。1629(寛永6)年に京都御所で盛大な雛祭りが行われたことにはじまるという。
伝統工芸技術の集大成
節句自体は古代中国にルーツがあり、平安時代、上巳の節句には、川で身を清めて宴を催していた。これと紙でつくった小さな人形で遊ぶ「雛(ひいな)遊び」が結び付き、形代(かたしろ)(人形(ひとがた))に災厄を移して祓(はら)う「人形流し」が生まれた。そしてこの形代が雛人形の起源ともいわれる。現在のように、宮中の結婚式を模したようなお雛さまが飾られるようになったのは江戸時代から。
「江戸時代より前も人形はありましたが、多くはシンプルなものでした。それが節句にお雛さまを飾るようになると、時代とともに鑑賞的要素の強い人形がつくられるようになっていきました。そのおかげで、人形づくりの技術も発達したと言えるでしょう」(林さん)
「京都から江戸へ伝わった木目込人形もそう。たとえば当初は、胴体を木彫りでつくっていましたが、東京の職人が桐塑(とうそ)(桐の粉としょうふのりを混ぜたもの)を型抜きにする方法を考案したことで、量産することができるようになりました」(松崎さん)
木目込み
人形は一般的に、頭(かしら)、胴体、手足、装飾品など、それぞれを専門とする職人たちの分業によってつくられている。中でもお雛さまは装飾も繊細で豪華。また、姫(女雛)の嫁入り道具である箪笥(たんす)や貝桶、化粧用具など、人形と一緒に飾る道具の種類も多いため、それらの道具も指物師(さしものし)、塗師(ぬし)など専門の職人によって、本物と同じようにつくられる。つまり雛人形は、日本の伝統工芸技術の粋の極みとも言えるのだ。
東京・日本橋は雛人形の聖地だった!
現在の日本橋室町3丁目付近、日本橋から北に向かう大通りの両側にあった十軒店(じっけんだな)という町では、年に3回、市が立った。3月の上巳の節句前に立つ雛市では、常設店に加え、よしず張りの露店が通りに並び、大いに賑わったという。
なぜ飾るのか?
雛人形の飾り方には、緋毛氈(ひもうせん)を敷いた5段や7段などの飾り台に人形や道具を並べる段飾りのほか、男雛と女雛の一対のみを飾る親王飾り、親王飾りに三人官女を加えた五人飾り、収納箱を飾り台として使える収納飾りなどがある。飾る位置や人形の持ち物などにはそれぞれ意味があり、たくさんの人形や道具が並ぶ段飾りは特に華やかで、眺めているだけでも楽しいもの。
「おばあさまのもの、お母さまのもの、娘さんのものというように、代々のお雛さまを並べて飾る家もありますし、ひと昔前までは、ぬいぐるみやおもちゃなど子どもの好きなものを、雛人形と一緒に段飾りに並べる家もありました。それが雛祭りの本来の在り方だと思います。一年に一度、家族の健康、幸福を願って雛人形を飾り、お祝いをする。それを繰り返すことで、雛人形が家の歴史をつないでいく。日本人は、家族を大切に思う心をそうやってずっとつないできたんです」(松崎さん)
「節句は本来、節供ですから、お雛さまを飾る際には、お供え物も忘れないこと。そのお下がりをいただくことでご加護にあずかります。白酒や雛菓子などが一般的ですが、季節ならではの郷土料理など、旬のものであればなんでもいいと思います」(林さん)
飾るタイミングは、二十四節気で春がはじまる日である立春を過ぎてから。3月3日の1~2週間前を目安にしたい。
「できれば旧暦の3月3日までは飾っておいてほしいですね。そうするとちょうど桃の咲く時期で、より桃の節句らしいお祭りになります。江戸時代には、翌4日のお昼に縁起のいい蕎麦をお供えしてから片づけていました。食文化であったり、精神性であったり、日本人が守り伝えていくべき伝統を凝縮したもの――それが節句の祭りだと思います」(林さん)
心を込めて選ぶ
家族の歴史を紡ぎ、日本の伝統を伝える雛人形。つくり方は大きくふたつに分けられる。ひとつは、木などでつくった胴体に、縫ってつくった着物を幾重にも着せてかたちづくる衣裳着人形。そしてもうひとつが木目込人形である。重ね着させているため衣装が豪華で、立体感や質感などがよりリアルに再現される衣裳着人形に対して、木目込人形は表現の幅が広いため、作家の個性が出やすく、さまざまなフォルムの人形が存在する。胴体の曲線に合わせて衣裳をのり付けするためコンパクトで、手入れしやすいという特徴もある。
また雛人形には時代ごとにはやりがあり、享保年間(1716~1736年)頃には、豪華な衣装に身を包んだ雛人形(享保雛)が庶民の間で流行した。江戸では、大型の雛人形も好まれ、奢侈(しゃし)禁止令では、8寸(約24㎝)以上の雛人形が禁止されるほどだった。木目込人形でいえば、京風のふくよかでおっとりとした顔立ちに対して、江戸では細面で目鼻立ちのはっきりした顔が好まれた。そして現代のはやりは、コンパクトに飾れる小さいもの。そこで松崎人形は、小さくても品質がよいことはもちろん、長く愛してもらえる人形を目指す。
「節句人形は、一生に一度のもの。買って終わりではなくて、贈られたお子さんが大人になっても飾りたいと思える人形であってほしいですね」(松崎さん)
そのためにも、人形を選ぶときにはまず実物を見ることが大切だという。
「立体物として人形そのものを見るのはもちろん、人形がまとう雰囲気や、人形がある空間を含めて、感じていただけるものがあるはずです」(松崎さん)
通常、人形工房の多くは、ほかの工房から購入した頭を用いて人形を制作しているが、松崎人形では、胴体だけでなく頭の原型も自社で手掛ける。そうして生まれる人形の顔はそれぞれに個性的で、上品かつ愛らしい。
「頭の中のイメージをかたちにするべく、その想いをのせて、人形と真摯に向き合います。そうすると人形から返ってくるものがあるんです。〝子どものことを考えながら見ていたら、この人形と目が合った〟という理由で選ぶ方もいます」(松崎さん)
人形は〝もの〟であって〝もの〟でない。人間の心を映す鏡のようなものだという。
「つくり手が真心を込めてつくった人形は、買った人が心を込めてはじめて完成すると言えるかもしれませんね。節句人形の姿や大きさ、飾り方が変わろうと、いつの時代も人形に込める想いは同じ。子どもが健やかに成長するように、幸せに暮らせるようにという願いです。心を込め、一生物として贈る人形は、子どもにとって守り神のような存在になります。そして、お子さんが成長して自分の人形を見たときに、自分がどれだけ愛されてきたかをあらためて気づかせてくれるのです」(林さん)
松崎人形 ショールーム
住所|東京都足立区栗原2-4-6
Tel|03-3884-3884
営業時間|10:00~17:00(12:00~13:00は除く)
www.koikko.com
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text: Miyu Narita photo: Kenji Okazaki
2022年3月号「第2の地元のつくり方」