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『未来の職業図鑑』新しい社会を創造する仕事とは?|後編

2020.9.25
『未来の職業図鑑』新しい社会を創造する仕事とは?|後編

既存の産業で新しくチャレンジする人、新領域を創出する人、あるいは自らの関心を追求しそれが職業になった人。社会の流れをつぶさにとらえ自らの職をアップデートし続ける18組が登場!

選・文=鈴木絵美里
1981年生まれ。編集者。「今回は、自分が文化や地域に関する案件に数多くかかわる中で出会った、とっておきの“いま、肩書きと動きが気になる人”に話をうかがいました」

≪前編を読む

表現が社会とより密にかかわり合うような提案をするための“自称”
文化活動家

北海道斜里町立知床ウトロ学校での「校歌のカラオケ映像をつくろう!」ワークショップ(2017年8月)の様子。1週間滞在し、撮影やレコーディングを実施。墨汁でテロップを制作中

アーティストという“実践者”であり、大学に研究員として在籍する“研究者”でもあるアサダさんは自身で「文化活動家」と名乗る。「表現活動をベースにしながら、社会のいろいろなところにかかわっていくこと自体が自分の仕事になっている。けれども僕の場合は実践の場があまりにもローカルだからこそ、そこで得られた知見をもう少しほかの土地や広く社会と接続できるポイントがあるのではと考える機会が多くて。ならばそれを書いて少しでも伝わればいいな、と。その両方を説明できる肩書きを探していました」とアサダさん。アサダさんは今日も、研究と実践現場の距離感を独自の手法で飛び越えつつ、その間に生まれる表現や関係性そのものを楽しみ、同時に社会へとそれらを提案・還元している。

自宅を地域に開いてみました

滋賀県大津市の長屋自宅(2016年6月当時)での、住み開きイベントの様子。世代も地域も異なる20人ほどが集う
足立区千住でのアートプロジェクト「千住タウンレーベル」での、街中レコード鑑賞イベント「聴き巡り千住!」(2018年1月)の様子

文化をつくる未来のワークスタイル

アサダワタル
1979年生まれ。アーティスト、文筆家、博士(学術)。自称“文化活動家”。オフィス事編kotoami 代表、大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員。『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)など著書多数

活動開始(設立)年|2000年
活動本拠地|東京都
資金調達方法|自己資金
転職経験|あり(以前はNPO法人に所属)
複業|大学教員(有期雇用)
年収|生々しいのでここではちょっと(気になる方は直接聞いてください!)
好きな言葉|片手でつながり、片手は自由に

“創造”ではない、地域がよりおもしろくなる“編み直し”
場を編む人

地域にお寺を開くきっかけに多数のカレー屋さんが出店した「カリー寺」。尼崎市内、西正寺の副住職、中平さんと藤本さんの出会いにより生まれたこのイベントは、全国のお寺に広がりつつある

仲間と元喫茶店を改装してつくった場で、数々のイベントを開催したことを起点とし現在に至るまで、藤本さんは常に多くの人とかかわり続ける。かかわる多くのイベントは、藤本さんや仲間の純粋な興味から生まれたものと、クライアントからの案件であるものが溶け合っているように見える。「オファーをいただいてやっているものは仕事。でも僕らがずっとやっているのは、遊びです。まちにある課題を“解決”するのではなく、どう楽しむかというつなぎ方、編み直しをしているのだと思う」と藤本さん。名刺の肩書きには“場を編む人”とある。正解を決めつけず、余白や価値観のグラデーションを大切にし、今日も彼は多様過ぎるほどの人と人の“あわい(間)”で次々と場を編み続けている。

「福祉」とはそもそも何?と問い直す場

尼崎市とともに行うイベント「ミーツ・ザ・福祉」ではかかわる人々が「みんなとは? 福祉とは?」と自問するきっかけを組み込む
現在クラウドファンディング実施中の徳島県上勝町の杉の間伐材でつくられたつみき「komorebi」。尼崎と上勝の新しい関係性が誕生する

遊びと仕事の“あわい”に価値がある

藤本 遼(ふじもと・りょう)
兵庫県尼崎市出身。大学卒業後、NPO法人勤務の後、個人事業主として独立。「尼崎ENGAWA化計画」を旗揚げし、行政職員から住職、まちの個人店など幅広くつながり、自らの育った尼崎を軸に、地域の場づくりをする

活動開始(設立)年|2015年
活動本拠地|兵庫県尼崎市
資金調達方法|現在、初のクラウドファンディングを実施中。通常の収入源はイベント・地域プロジェクトの企画運営・コーディネートや、会議・ワークショップのファシリテーション、まちづくりに関する研修・講演等。
転職経験|あり(前職はNPO法人勤務)
複業|なし
年収|非公開
好きな言葉|あわいの編集

誰かの回復の物語が生きる糧となるように。弱さの共有が可能な場をつくる
NPO法人代表理事/編集長

回復の時間と物語をお茶とともに
2018年12月オリジナルブレンドティー「so ar tea」2種の販売開始。これまでメディアで届けてきた“回復”の体験を、お茶を飲んで自らをゆるめる時間をもつことで味わってもらおうという試みだ

“人々の回復の物語”を届けるメディア「soar」。記事では障害をもつ人やL
GBTなど社会でマイノリティとされる人々それぞれの個別の物語が丁寧につづられる。誰かの自己開示に読み手が触れることで「これは自分の物語でもある」と感じる。このことに人の可能性の広がる瞬間を見出した編集長の工藤さんは、メディアを立ち上げて約1年後に事業をNPO法人化し代表理事に就任。「誰もが自分の可能性を活かして生きる未来をつくる」というビジョンの下、イベントなどで人々が想いや存在を共有し合える場も育てている。

工藤瑞穂(くどう・みずほ)
1984年生まれ。仙台の日本赤十字社で勤務中に東日本大震災を経験。寺など街の地域資源を生かしながらさまざまなフェスティバルをつくる。2014年上京し「soar」を立ち上げた

活動開始(設立)年|2015年12月(NPO法人としては2017年1月設立)
活動本拠地|東京都
資金調達方法|メディアは寄付会員からの寄付で運営。イベントや講演の企画運営や企業研修なども行う
転職経験|あり(前職は日本赤十字社)
複業|なし
年収|非公開
好きな言葉|一切は移ろう

普通の大学生からスタートアップが運営するメディアの編集長へ急成長
日本酒ウェブメディア編集長

SAKE100 第1弾商品「百光」
全国の蔵元との関係性や日本酒への興味は深まり続ける。会社の新事業であるプレミアム日本酒ブランド「SAKE100」では、酒匠の専門知識やテイスティング能力を生かして商品開発にもかかわる

小池さんは日本酒ウェブメディア『SAKETIMES』に大学3年から所属。運営するClearは日本酒スタートアップとしてメディア事業をはじめた頃で、編集部スタッフを募集していた。卒業後は編集者の道に進みたいと考えつつ日本酒の魅力に気づきはじめていた小池さんは友人を介してこの情報を知り早速応募。以降、大学卒業後もSAKE TIMESひと筋で活動し、2017年の終わり、当時4人目の社員になると同時に編集長に就任。勢いのある若き編集長は、日本酒の魅力を世界中に伝えるべく情熱を傾け続ける。

小池 潤(こいけ・じゅん)
1993年生まれ。居酒屋でのアルバイトを通じ日本酒「たかちよ」に出合いその魅力に気づかされる。専門資格「酒匠」、「日本酒学講師」を保有。大学時代より参画してきた『SAKETIMES』にて2017年12月に編集長就任

活動開始(設立)年|2015年(日本酒ウェブメディア『SAKETIMES』のリリースは2014年6月)
活動本拠地|東京都渋谷区
転職経験|なし
複業|なし
年収|非公開
好きな言葉|むずかしいことをやさしく

インターネットとシェアリングの掛け合わさった未来をつくり、伝える
シェアリングエコノミー伝道師

佐別当さん自身も家族とともに暮らす、マイホームとシェアハウスとゲストハウスをひとつにした「Miraie」は2013年より運営。都心の一軒家が、家族とシェアメイトとゲストの出会う場になる

シェアリングエコノミーに関する豊富な知見と活用実績をもつメンバーからなる、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師。Airbnbを海外ではじめて利用した際、インターネットとリアル空間が融合する社会が到来することを実感したという佐別当さん。これはいままで自分が会社員としてやってきたインターネット技術の世界と、学生時代から夢見ていた社会起業家的ビジョンのど真ん中だと確信し、会社に所属したまま個人事業主としてシェアハウス「Miraie」の運営をスタート。しばらくすると所属する会社も企業としてシェアリングへビジネスとかじをきりはじめた。会社員としても起業家としてもかかわるすべてがシェアリングの未来の事業に向かいはじめている彼の姿はまさに“伝道師”そのもの。

待望の保育園併設型シェアハウス

「Miraie」の次なるかたちは、保育園併設型シェアハウス。こちらも東京・代々木上原でのこの春オープンに向け準備が進む
佐別当さんが現在力を注ぐのが定額制で全国住み放題の多拠点コリビングサービス「ADD ress」だ。第1期住人や物件の提携先も募集中

会社員のまま さまざまな事業を立ち上げ

佐別当隆志(さべっとう・たかし)
2000年ガイアックスに入社。広報・事業開発を経て2016年シェアリンクエコノミー協会設立。日本でのシェアリングエコノミーの普及・推進と共助社会の実現を目指し、法規制の緩和やユーザー理解の取り組みに従事

活動開始(設立)年|2017年
活動本拠地|現在は東京都
資金調達方法|2018年に設立したアドレスではCVCやエンジェルからの投資を受ける
転職経験|会社員としては転職経験なし
複業|シェアハウス「Miraie」運営、ガイアックス社員、mazel CEO、アドレス CEO、一般社団法人シェアリングエコノミー協会理事(常任)
年収|1000万円
好きな言葉|おもしろきこともなき世をおもしろく

目先のリターン目的ではなく起業家の熱意や想いに個人として投資する
エンジェル投資家

新会社heyのキーワードは「Just for fun」。楽しみによって駆動される経済の発展を願い、創業メンバー全員アロハシャツ着用での一枚をメインビジュアルに使用し、スタートアップ界隈でも話題に

2018年にhey(ヘイ)を設立した佐藤裕介さん。経営者として2社を上場、現在はエンジェル投資家としても活動する。ウェブサービスの分野を中心としてスタートアップ企業が生まれる背景には、既存のファンドやベンチャーキャピタルのみならず、起業家の熱意や想いに個人として投資する“エンジェル投資家”の存在が欠かせないといわれている。これまでにも創業間もない非公開・未上場の企業に多数の投資を行ってきている佐藤さんは、社会の中での自らの役割をどうとらえているのだろうか。

「お金ってくるくると回っているもの。自分の場合は自社株式の売却などで資金を得てきたわけですけど、それも上場企業である僕らに投資して株を保有してくれた方々のお金を、ある意味一時的に預かっているだけ。僕が30代半ばという比較的まだ若い世代であることやいまもっている観点、ネットワーク、そしてこれまでに得たテクノロジーという専門性による物差しで、不確実性の高い案件に投資をすることが、僕の社会における現時点での役割だと感じます」

稼ぎは自分の事業で得ればよい。スタートアップへの投資による目先のリターンはほぼ何も求めず、自分が純粋に好きだと思える価値に今後の社会的影響を期待してベットする。

「若いうちから積み上げはじめるほど、複利は後ろに効く。こういう指数関数的なものは非直感的だからこそ、“いますぐ儲かるかどうか”を基準にするのでなく“もしかしたらいまの直感では想像し得ない何か大きいことを生み出すかもしれない”という純粋な楽しみへ投資することを大切にしたいです」

新会社heyでも、個人向けオンラインストア開設サービスを手掛ける。想定する“売り手”は、“楽しいから”で動く人々だ。

「熱狂的なファンがいてエンゲージメントはあるのに、現状の資本主義社会でお金という尺度にはめると持続性が失われる文化も多くある。今後ブロックチェーンなどでそういういびつさが構造的に解消される可能性はあるけれど、まだそこにギャップがあると感じるので、自分ができることを事業でも投資でもやってみています」

価値尺度が人類の数だけ存在するようになった新たな時代のお金の回し方を、佐藤さんは考え続けているようだ。

2014年に経営者として2社を上場

佐藤裕介(さとう・ゆうすけ)
1984年生まれ。hey代表取締役社長。2008年Googleに入社し、広告製品を担当。2010年末、COOとしてフリークアウトの創業に参画。また、イグニスにも取締役として参画し、2014年夏にフリークアウト、イグニスともにマザーズ上場。2017年1月、フリークアウト・ホールディングス共同代表に就任。2018年、CoineyとStores.jpの経営統合を主導し、新会社heyを創業。エンジェル投資家としても活動

活動開始(設立)年|2011年頃(「エンジェル投資家」として)
活動拠点|東京都
転職経験|あり
複業|なし
年収|非公開
好きな言葉|直感に反する真実を見つけよう

社会課題をクリエイティブに解決する「ソーシャルデザイン」の深化形
勉強家

2014年当時の高野山真言宗管長・松長有慶氏へのインタビューの際の記念すべき一枚。兼松さんの根底には、空海の教えを現代に応用する「空海とソーシャルデザイン」という大テーマがある

前職では「ソーシャルデザイン」をテーマにさまざまな社会の動きをウェブメディアで追ってきた兼松さん。現在フリーランスの「勉強家」という肩書きを名乗り、大学では「ソーシャルデザイン」の講義を担当する。そんな彼が、かつて肩書きそのものとのそぐわなさに苦しんだ自らの過去も振り返り、試行を重ねてきたのが『beの肩書き』だ。ワークショップを通じ、肩書きをプレゼントし合える機会をもつことで、社会における自分のあるべき姿を楽しみつつ、気づけるのが大きな特徴。現在は学内の授業のみならず依頼があればこのワークショップを各地で開催。こういった学びのワークショップシリーズをつくり、ともに学び合う場を研究すること自体が、いまの兼松さんの仕事の中心軸だ。

2018年刊 最新著作はこちら

自分の本当にやりたいことを探るヒントにもなる『beの肩書き』について、ワークショップの開催方法も含めた内容が一冊の本として刊行。ちなみに兼松さんの「勉強家」も“beの肩書き”だ
beの肩書きワークショップの実施はなんと1年で約80本。自分の在り方や働き方について考えたいというニーズが高まり続けている証し

大学講師で空海について書いてます

兼松佳宏(かねまつ・よしひろ)
1979年生まれ。WEBデザイナー、クリエイティブディレクターなどを経て、2010〜2015年に『greenz.jp』編集長を務める。その後フリーランスの勉強家として独立。現在、京都精華大学人文学部特任講師に在任

活動開始(設立)年|2016年
活動本拠地|京都府
資金調達方法|前職時代には2度クラウドファンディングも経験。またメディアもNPO法人としての寄付会員からの資金で運営。独立後は外部からの資金調達は特に無し
転職経験|あり(前職はウェブマガジン『greenz.jp』編集長)
複業|大学講師
年収|秘密(比率は6:4でフリーランスが多い)
好きな言葉|わたしの仕事は、兼松佳宏

東日本大震災を機に見つめ直した原体験と、「掛け合わせ」の価値
低山トラベラー

自主取材で訪れた岡山県王子が岳。瀬戸内海を望む絶景と地域伝承など見どころ満載の低山だ。大内さんは常に自ら先行して取材し、メディア等で発信。山の案内人として再び現地を歩くことも多い

宮城県仙台市出身の大内さんは現在46歳。マーケティング領域の企業勤務を経て独立。東京の「自由大学」という学びの場を通じて、会社を越えた「社会」とのつながりを楽しみはじめた頃、東日本大震災を体験。故郷へ自由大学の仲間とともに通い続け、土地から学びを得る中で、自然体験・地域体験を共有することを生業にできるのではと気づきはじめた。2年ほどの準備期間を経て40歳を機に独立、低山トラベラーとしての活動を本格始動。「30代までの会社勤め、マーケターとしての経験があったからこそ、現在の生業である『低山』と『トラベル』を掛け合わせたテーマとポジションに可能性を見出せた」と大内さん。もともと探究していた「歴史探訪×山歩き」を、いまではさまざまなかたちで伝えている。

山を愉しむ視点とおもしろさの語り部となる

比較的誰もが挑戦しやすい低山であるからこそ気づける歴史的な視座を含め、ともに体験し魅力を伝える。photo: ScoppDesign 権守智義
毎年恒例の新春山はじめイベント。東京の大岳山にて富士山を望む。形成したコミュニティに、低山ならではの視点と価値を提示し続ける

メディアでも低山の注目度 日々上昇中

大内 征(おおうち・せい)
地域の歴史や伝承をたどりながら山を歩き、日本のローカルの魅力を探究。登山や暮らしをテーマにした地域の取り組みにも参画する著書に『低山トラベル』、『とっておき! 低山トラベル』(ともに二見書房)など

活動開始(設立)年|2013年
活動本拠地|東京都
資金調達方法|特になし。現在の収入源は著述、山の案内人、地域活性のコンサルティング及びコーディネーター、講座講師、イベント・ラジオ出演等 転職経験:あり(前職2社では、セールスプロモーション、マーケティング支援)
複業|なし
年収|秘密
好きな言葉|バランスより、カタヨリ。

なめらかなコミュニティに不可欠なのは“小学校の先生的役割”
コミュニティマネージャー

クリエイターの熱き集いも進行します
「cakesnote fes.」という祭典も開催。こちらのイベント企画や当日の司会進行も水野さんの仕事のひとつ。トップランナーたちがゆるくつながりそこから新しい仕事が誕生するような場をつくる

“クリエイター”と呼ばれる表現者たちを世に送り出しているピースオブケイク。ここで水野さんがウェブディレクターという肩書きと並行し「コミュニティマネージャー」とも名乗るようになったのは、自社が運営する、創作のウェブプラットフォーム「note」を通じユーザー同士の中に生まれるつながりをいち早く見つけたり、ここで楽しむ人、表現に喜びを感じる人たちが盛り上がることで、より多くの人がが心地よく過ごせるのではという気配に気づいたからだ。誰もがアイデアを言っていい場、自由に表現ができる場のために準備をしつつも、自らがとことんおもしろがることも仕事のひとつ。水野さんいわく「たとえばハッシュタグでつながるお題を提示するとユーザーがお題に沿った作品を発表し反応してくれる。それを見て次の企画をまた考え、提示する。そういうことをウェブ上でもリアルな場でも繰り返して盛り上げる。小学校の先生みたいな距離感で全体を見ています」とのこと。

水野圭輔(みずの・けいすけ)
1982年生まれ。2018年2月ピースオブケイクに入社。「つくる、つながる、とどける」プラットフォーム「note」のディレクター、コミュニティマネージャー。クリエイターの対応やイベント企画、法人まで幅広く担当

活動開始(設立)年|2018年(noteのサービススタートは2014年)
活動本拠地|東京都港区
転職経験|あり(前職は広告代理店、ウェブメディア勤務)
複業|なし
年収|非公開
好きな言葉|誰もが、創作をはじめ、続けることができる世界へ

週末だけで世界一周をしたサラリーマンが肩書きで伝えたいこと
リーマントラベラー

さまざまな生き方と出会うべく週末に世界へ旅をし、帰りに自己分析をする。戻ってくる仕事場があり、限られた時間であるからこそ自分の中で旅から得られるものが多くなる

働き方改革が話題の昨今だが「好きなことに出合い、限られた休みの中で休み方を変えてみたら勝手に働き方が変わっていたようです」と東松さんは振り返る。サラリーマン以外に生き方の選択肢をもたなかった彼が、ひょんなことから旅に魅了され人生を転換させていく様子は著書に詳しいが、数々の旅を経て体得したのは「いかに自分がいまもてる“資本”を活用しきって人生を楽しむか」という主体性の大切さ。それこそが“休み方改革”になるし、それだけで人生は変わるという事実を、多くの同志であるサラリーマンに自分の発信によって伝えることは、彼のミッションとなりつつある。「日本にいるときをトランジット」ととらえたことで会社を辞めずに世界一周を達成。小さい頃からの夢だった本も出版した。発想や視座の転換次第で、会社を辞めずとも夢はかなえられる。サラリーマンを全肯定し全力で人生を楽しむ彼は、今日も会社へ向かう。

東松寛文(とうまつ・ひろふみ)
1987年生まれ。平日は激務の広告代理店に勤務し、週末で世界中を旅するサラリーマン。社会人3年目以降、6年間で54カ国111都市に渡航。著書に『サラリーマン2.0 週末だけで世界一周』(河出書房新社)

活動開始(設立)年|2016年
活動本拠地|世界各国(日本にいるときはトランジット期間)
資金調達方法|平日のサラリーマン生活
転職経験|なし
複業|サラリーマン
年収|非公開
好きな言葉|迷ったら、攻める。

≪前編を読む

選・文=鈴木絵美里
2019年3月号『暮しが仕事。仕事が暮し。』


≫ますます広がるリモートワークの可能性 嬉野「和多屋別荘」「BESS」「国立公園」

≫ 世界が注目! あたらしい仕事をつくる人「ひと目で“千原”を認識させる」

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