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武田双雲の半生
2001-2008 会社員から書道の世界へ。

2020.1.29
武田双雲の半生<br>2001-2008 会社員から書道の世界へ。
武田双雲の人生の一文字
人生の一文字は「楽」。書道家として活動をする上で、大切な字となっている。「自分の中で絶対に譲らない軸をもとうと思って決めたんです」

日本を代表する書道家・武田双雲。彼はいかにして書と出合い、何を思い、何を考え、筆を執り続けているのか。そしてなぜ彼の書は多くの人々の胸を打つのか。歩んできた道のりに迫り、その理由を探っていく特集《書道家・武田双雲の半生》。第1回は書道家になったきっかけをうかがった。

書道家・武田双雲さん
185㎝という長身で、おおらかで伸びやかな人柄が人々を惹きつける。2020年にアメリカへ活動拠点を移すことを決意。胸に抱くのは現代アーティスト・Sounn♡としての作品

1975年6月9日、熊本市内の病院で一人の男児が産声を上げた。「大智」と名づけられた彼こそが、後の書道家・武田双雲その人である。「両親は『光り輝いていた』と話していますね。絶対に勘違いなんですけど(笑)。それがきっかけで、僕を特別な人間だと思って育てたみたいです」。

書道家である母・武田双葉さんの導きで、はじめて筆を執ったのは3歳のとき。書道の型を厳しくたたき込まれるも、書道以外では自由に伸び伸びと育てられたという。それは父・圭二さんも同様。何をしても手放しで肯定し、「大智は天才たい」が口癖だったとか。

双雲初個展「一文字展」/2002年
会場は独立後に借りた古民家。当時はここで書道教室を行っていた。「井戸に落とした書を、木に下げた鏡に映したり、色を使った書を展示したり。現代アート個展のようでした」

母の字を模倣する臨書で書道を学んできたが、小学校へ上がると「文字で遊ぶ」ようになっていく。「先生の字を模倣したり、隣の席の男の子の癖字をまねしたり。『字ってこんなにおもしろいんだ!』と、人の字に興味をもつようになったんです。ひとつの漢字を立体化したり、バラして違った角度で構成したりもしていましたね。振り返ると、小学生の頃の落書きがいまのアートの原型になっているのだと思います」。

中学校へ進んで以降、書に親しむ時間は減っていくが、東京理科大学への進学を機にはじめた一人暮らしや、新卒で入社したNTTでの寮生活で、ふと暇ができると書道を行うようになっていた。そのうち会社のメモも筆と墨を使うようになり、社内でうわさが広がっていったという。転機が訪れたのはそんなある日のこと。

愛・地球博/2005年
121カ国4国際機関が参加した「愛・地球博」メインパビリオンの題字を手掛ける。「僕の活動を知ったプロデューサーの方からご連絡いただいて。徐々に活動の場が多くの人に見ていただける舞台になっていきました」

「『名前を書いてほしい』と言われて書いたら、一人の女性社員が涙を流して喜んでくれたんです。『自分の名前が嫌いだったけど好きになれた』って。それで『世界中の人を喜ばせたい!』と感じ、退職を決意しました」。

2000年8月にNTTを退社。’01年1月に書道教室「ふたばの森」を開き、ネットショップ「ふで文字.com」をオープン、サックス奏者の坪山健一さんのストリートパフォーマンスに魅了され、空いた時間にはストリート書道も行っていた。

「美空ひばり」新題字/2007年
昭和の歌姫・美空ひばりさんの生誕70周年を記念して発売されたカバーコレクション・アルバム。「昴」や「夜霧よ今夜も有難う」など、数々の名曲が美空さんの歌声で収録されている

「ストリート書道を行ううちに、自分の心の中と、現実に起きることが、リンクするとわかったんです。そして自分の人生の一文字を『楽』に決めたんですね。世界中を楽にして、楽しませて、自分自身も楽して、楽しく生きる。これは僕が一貫して伝えたい思いとなりました」。

’02年頃から双雲さんの活動は各メディアで取り上げられ、多くのキーマンの目に留まり、題字やロゴ、イベントでの書道パフォーマンスなど、多岐にわたる仕事が舞い込んでくる。

 

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文=大森菜央 写真=工藤裕之
2020年1月号 特集「いま世の中を元気にするのは、この男しかいない。」

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