武田双雲の半生
2001-2008 会社員から書道の世界へ。
日本を代表する書道家・武田双雲。彼はいかにして書と出合い、何を思い、何を考え、筆を執り続けているのか。そしてなぜ彼の書は多くの人々の胸を打つのか。歩んできた道のりに迫り、その理由を探っていく特集《書道家・武田双雲の半生》。第1回は書道家になったきっかけをうかがった。
1975年6月9日、熊本市内の病院で一人の男児が産声を上げた。「大智」と名づけられた彼こそが、後の書道家・武田双雲その人である。「両親は『光り輝いていた』と話していますね。絶対に勘違いなんですけど(笑)。それがきっかけで、僕を特別な人間だと思って育てたみたいです」。
書道家である母・武田双葉さんの導きで、はじめて筆を執ったのは3歳のとき。書道の型を厳しくたたき込まれるも、書道以外では自由に伸び伸びと育てられたという。それは父・圭二さんも同様。何をしても手放しで肯定し、「大智は天才たい」が口癖だったとか。
母の字を模倣する臨書で書道を学んできたが、小学校へ上がると「文字で遊ぶ」ようになっていく。「先生の字を模倣したり、隣の席の男の子の癖字をまねしたり。『字ってこんなにおもしろいんだ!』と、人の字に興味をもつようになったんです。ひとつの漢字を立体化したり、バラして違った角度で構成したりもしていましたね。振り返ると、小学生の頃の落書きがいまのアートの原型になっているのだと思います」。
中学校へ進んで以降、書に親しむ時間は減っていくが、東京理科大学への進学を機にはじめた一人暮らしや、新卒で入社したNTTでの寮生活で、ふと暇ができると書道を行うようになっていた。そのうち会社のメモも筆と墨を使うようになり、社内でうわさが広がっていったという。転機が訪れたのはそんなある日のこと。
「『名前を書いてほしい』と言われて書いたら、一人の女性社員が涙を流して喜んでくれたんです。『自分の名前が嫌いだったけど好きになれた』って。それで『世界中の人を喜ばせたい!』と感じ、退職を決意しました」。
2000年8月にNTTを退社。’01年1月に書道教室「ふたばの森」を開き、ネットショップ「ふで文字.com」をオープン、サックス奏者の坪山健一さんのストリートパフォーマンスに魅了され、空いた時間にはストリート書道も行っていた。
「ストリート書道を行ううちに、自分の心の中と、現実に起きることが、リンクするとわかったんです。そして自分の人生の一文字を『楽』に決めたんですね。世界中を楽にして、楽しませて、自分自身も楽して、楽しく生きる。これは僕が一貫して伝えたい思いとなりました」。
’02年頃から双雲さんの活動は各メディアで取り上げられ、多くのキーマンの目に留まり、題字やロゴ、イベントでの書道パフォーマンスなど、多岐にわたる仕事が舞い込んでくる。
1|2001-2008 会社員から書道の世界へ
2|2009-2012 武田双雲の名が知れ渡っていく
3|すべての活動の基盤は「感謝」にあり
4|2013-2017 最先端を走り続ける
5|2018-2019 “楽”を世界に伝える
文=大森菜央 写真=工藤裕之
2020年1月号 特集「いま世の中を元気にするのは、この男しかいない。」